円卓の女王
「とにかく、おっちゃんとエルミナーゼが最下層にいることは確かなんだ! こんなところでグズグズしてないで、すぐにでも迷宮に潜るべきだよ!」
椅子に立ったパーシャがバンバンと円卓を叩いて、強硬に主張する。
リーンガミル城の奥部にある “円卓の間” には彼女を含む、すべての義勇探索者が集められていた。
「しかし潜ったところで現時点で踏破されているのは、三層の一部までだ。最下層に到達してアッシュロードたちを救出するには時間が掛りすぎる」
自身の名を冠する一党 “緋色の矢” を束ねる女戦士のスカーレット・アストラが、腕組みをしたまま答えた。
「だからこそじゃない! だからこそ一秒だって無駄に出来ないんだよ!」
痩せても枯れても火の玉でも、パーシャは魔術師 だ。
パーティの参謀であり軍師であることを自認している。
そんなことは目前で霞のように “僭称者” が消えた直後、すぐさま “探霊” でアッシュロードとエルミナーゼの生存と座標が確認された瞬間から、何百回と考えたことだ。
ありとあらゆる角度から、ありとあらゆる救出手段を、頭から煙が出るほどに考え抜いた末に辿り着いたのが、今彼女が主張している愚直な救出プランなのだ。
「地図が完成してない以上、“転移” での救出は不可能なんだよ! 迷宮の全体像が分からないんじゃ、地道に踏破していくしかないじゃないか!」
円卓に座す誰もが黙しているのは、彼女の主張の正しさを認めているからだ。
現実にはそれしかない。
唯一希望があるとすれば……。
「動くのはマグダラ陛下の意見を聞いてからにしよう。陛下は熟練の冒険者であり、女神から “賢者” 恩寵をたまわった世界有数の司教だ。なにか俺たちの思いつかない救出法をお考えかもしれない」
レットがなだめるような口調で言った。
……そんな方法が都合良くあるもんか。
パーシャは小さく毒突くと憤懣やるかたなく座り込み、親指の爪を噛み始めた。
その方法がないからこそ自分たちは一層一層、一歩一歩、最下層を目指して迷宮を這い進んでいたのではないか。
アッシュロード嫌いの急先鋒であるホビットの少女が、ここまで強硬に即時救出を主張するのを、誰も不思議には思わなかった。
「……気持ちは分かるよ、ホビット。あの娘が還ってきたときに野暮天がいないのは残酷すぎるからね」
ドーラが皆の気持ちを代弁して、友情に篤い少女魔術師を気遣った。
パーシャは答えず、血が流れ兼ねないほどに爪を噛みながら、救出プランの立案に没入している。
見かねたフェリリルがさすがに止めようとしたとき、
「女王陛下のおなりです」
先触れがあり探索者たちはパーシャを除き、全員立ち上がりかけた。
「どうぞそのままで」
キビキビした所作で室してきた女王は、探索者たちをすぐにまた着席させた。
自分の入室に気づかず座ったままのパーシャを、慮ったのだろう。
「まずは我が良人ソラタカ・ドーンロアの非礼お詫びします」
マグダラは立ったまま、深々と頭を下げた。
狼狽えたのは頭を下げられた探索者たちよりも、近侍の家臣たちだ。
「陛下!」
いかなる理由があろうとも一国の統治者が他者――それも他国民に頭を下げるなどあってはならないことだ。
たとえこちらに非があるにしても謝罪は、外交を通じて文書で執り行われなければならない。
そうでなければ国の威厳が保てず、他国の風下に立つことになる。
「ここは “円卓の間” です。身分も国籍もありません」
主君であるマグダラにそこまで言われては、家臣らもそれ以上の諫言はできない。
頭を下げて、黙り込むしかない。
「そんなことはどうでもいいから、あるの!? ないの!? おっちゃんを助ける方法!」
パーシャが再び椅子の上に立ち上がり、マグダラを睨めつけた。
大馬鹿のドーンロアの介入と妨害も、女王の謝罪も、円卓の意味も、そんなことはどうだっていい。
今聞きたいのは必要なのは、未来から絶対に還ってくる親友を絶望から救う方法。
グレイ・アッシュロードを救出する方策だ。
「アッシュロード卿とエルミナーゼのいる迷宮の最下層に今すぐに到達する方法は、残念ながらありません」
マグダラは小さく頭を振った。
「それじゃ、ここでこうしている暇はないね! グズグズしてたらおっちゃんたちが飢え死にしちゃう!」
「いえ、グズグズしていなくても卿と娘の死は避けられないでしょう」
椅子から飛び降りかけたパーシャの背中に冷水が浴びせられた。
マグダラの冷徹な言葉にホビットだけでなく、円卓に就く全員が息を呑んだ。
「……ちょっとあんた、なに言ってるのよ」
パーシャがマグダラに顔を向ける。
俊敏なホビットが見せたユラリとした動作が、彼女の怒りを物語っていた。
「言葉のとおりです。今からどんなに急いで迷宮を踏破したところで、最下層に辿り着くころには魔物との遭遇、飢渇、いずれにせよ、ふたりの命は果てています」
「だからこそ――!」
「まて、パーシャ。まずは陛下の話を聞こう」
火の玉になりかけたパーシャを、レットが制した。
すでに “犬面の獣人” に苦戦していた駆け出しではない。
古強者のパーティを束ねる、自身も熟練者のリーダーだ。
その声には仲間を従わせる力強さと威厳が籠もっている。
「失礼しました。お続けください」
会釈をするレットうなずき、マグダラが再び口を開く。
「現時点でのアッシュロード卿とエルミナーゼの救出は、いかなる手段を以てしても不可能と判断せざるを得ません。即時救出は諦める他にないでしょう。ですから作戦の目的を救出ではなく “回収” に切り替えます」
反論の気配を見せたパーシャを手で制して、レットが訊ねる。
「ですがそれでは根本的な問題の解決にはなりません。作戦の目的が救出から回収に変わったところで死の――消失の危険は回避できないのですから」
遺体が必ず残っているなら、それもいいだろう。
灰が必ず積もったままであるなら、そういう選択肢もある。
しかし遺体は必ず食い散らかされ、灰はいずれ霧散する。
時間が経てば経つほど、消失の危険は高まる。
最下層であるならなおのこと。
それが迷宮だ。
「“不幸の石” という魔道具があります。ハンナの報告書では迷宮上層で見つかるとありましたから、あなた方もご存じでしょう。あの石の “秘めたる力” を使えば、消失の問題は回避できます」
ガタッ、円卓を囲む複数の椅子が鳴った。
「そうです。あの石の真なる力は状態の如何にかかわらず、対象を灰化すること。迷宮内限定ですが消失から灰に戻すことができます。石の数だけ蘇生を試みることができるのです」
探索者たちは二の句が継げなかった。
なんと非情で残酷な手段だろうか。
最下層の暗闇で救出を待ち焦がれているふたりの心を思えば、たとえそれが唯一の方法だったとしても、到底受け入れることはできない結論だ。
死を前提にした救出策などと――。
言葉を失う探索者たちを目にしながら、マグダラの胸にも鈍い痛みが走っていた。
“不幸の石” は今も彼女たちを呪縛し続けている悲劇の発端……象徴でもある。
あの石がもう少し早く見つかっていれば……。
もう少し早く見つかって、秘められた力が解明されていれば……。
そうすれば少女は甦ることができ、ふたりの少年は悲しみに呑まれることもなく、別の未来を歩めただろう……。
「二〇年前あの石は迷宮の下層でしかみつかりませんでした。今は違います。これはわたしたちにとって数少ない福音です」







