デュプリケーター★
轟音と爆熱の奔流にアッシュロードがなしえたのは、ほんの僅か。
エルミナーゼの細腰を抱えて、開きっぱなしの扉の奥に飛び込んだだけだった。
だが宇宙開闢と同質の現象を前に、それがいったい何だというのか。
飛び込んだ先は一×一の最少の玄室。
爆熱風に一瞬で席巻される。
オーブンの中の七面鳥だ。
だから思考の末の判断ではなかった。
探索者としての本能。
ただの条件反射。
直後、追いかけてきた文字どおり天文学的なエネルギーが、ふたりを呑み込んだ。
猛熱が皮膚を灼き、衝撃波が五体を引き裂く。
逃げ場のない爆風に攪拌され、床に、壁に、天井に、叩きつけられる。
呪文による現象の発現は、一瞬で治まる。
爆風が消え去ったあと玄室には、薄煙をあげる焼け焦げた人型が倒れていた。
直撃ではなかった。
直撃ではなかったが……。
ふたりは生命力の九割を失い、悶絶していた。
四肢が爆散していなかっのは、装甲値の低い魔法の鎧を着込んでいたからだ。
眼球が溶け落ちていないのは、唯一無効化されてなかった “恒楯” のお陰だろう。
鼓膜は破れていた。
運がよかったとしか言いようがない……これでも。
二匹目の “骸骨百足” が長大な胴を伸ばして、黒ずんだ酷熱の玄室を覗き込んだ。
「カタカタカタカタカタカタッ」
白骨の顎を鳴らして、自分の呪文の効果に満足する。
望みうる最良の結果だ。
一撃で消滅させるよりも、即死させるよりも、これがよい。
あとは凶悪なほどに鋭利な鎌の手で、いかようにも料理できる。
不死属となったあとも、魔族としても残虐性はそのままだ。
むしろ強まってさえいる。
……ピクッ、
片方の指先が、わずかに動いた。
「……あ……う……が……」
意識を取り戻した片方が声にならない呻きをもらしながら、手を腰に伸ばす。
長く共にあった黒い拵えの曲剣は吹き飛んでいて、手元にはなかった。
先に失った短剣 に続いて片方――アッシュロードはまたしても、得物を失ってしまった。
残されているのはベルトに手挟む、短刀のみ。
+2相当の強化が施されているとはいえ、最凶の白骨戦車には非力すぎた。
アッシュロードの手がようやく腰に届いた。
感情がないはずの “骸骨百足” は面白可笑しく、その様を眺めている。
短刀は……なかった。
愛剣と同じく爆風で攪拌された際にそれすらも、もぎ取られてしまったのだろう。
指先触れるのは、破れ焦げた雑嚢のみ……。
“……アレハ、ナンダ……?”
瀕死の男が触れた物を見て、“骸骨百足” は疑問に思った。
仮にも最高位階の呪文を唱えられるのだ。
並の人間など足下にも及ばない知能がある。
“……アレハ、リボン、ダ。キョウイニハ、ナラナイ……”
黒焦げに焦げた無残な男が触れたのは、“青の綬”
それも解けて形の崩れた、憐れな代物だった。
奇跡が起った。
それは……今は遙か高次元の存在と融け合っている、少女の想い。
解けた青い飾り帯が、清冽な輝きを宿す長剣に姿を変える。
その瞬間アッシュロードの身体に、最後の命の炎が燃え上がった。
“紫衣の魔女の迷宮” から “林檎の迷宮” へ移され、少女の祈りに応え変化したキーアイテムを握る。
『生きて、道行』
「貴理子ーーーーーーっっっ!!!」
アッシュロードは絶叫し、跳躍し、“貪るもの” を大上段に振りかぶった。
虚を衝かれた “骸骨百足” はそれでも四本の鎌手を交差し、己が頭を守る。
しかしリーンガミル史上最強の剣聖の魂を宿した刃は、まるで羊皮紙を裂くように強靱鋭利な鎌骨を断ち割り、異形の頭骨から長大な胴部までを一刀両断にした。
バラバラになって崩れる大量の白骨。
アッシュロードは膝を突き、魔剣を支えに、かろうじて倒れ込むことに耐えた。
まだだ、まだ駄目だ。
まだ楽にはなれない。
まだ白目は剥けない。
失神するエルミナーゼに這いずるように近づき、ありったけの、残されたすべての癒やしの加護を嘆願する。
最後の “小癒” を施した直後グレイ・アッシュロードは頽れ、意識は途絶えた。
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「…………卿…………ロード卿…………アッシュロード卿…………」
声が聞こえた。
耳鳴りが響いているだけだった両耳に。
「……アッシュロード卿! アッシュロード卿!」
全身に漏れなく走る痛みが、男の意識を覚醒させる。
“怪我の功名” だとは、微塵も思わなかった。
ただただ、ただただ、ウンザリするほど痛むだけだった。
「……そんなに……わめくな……痛えんだから……」
“痛みがあるのは生きている証拠”
なんの慰めにもならない言葉が浮かび、アッシュロードは目を開けた。
熱傷を受けた目蓋がひりつき、これがまた辛い。
「アッシュロード卿!」
涙に泣き濡れたエルミナーゼが、アッシュロードを覗き込んでいた。
既視感が再び訪れる。
いや、そうではなかった。
実際にこれと似た状況が、以前にもあった。
あの時に覗き込んでいたのは実った麦穂色の髪をした、エルフの少女だった。
「……あの野郎……心を読みやがったな……」
アッシュロードは力なく毒突いた。
確証はないが、おそらくはそうだろう。
“僭称者” は読心術の魔法を使い、この演出を思いついたのだろう。
“狂君主” として傀儡にしていたエルミナーゼと、“アレクサンデル・タグマン” が重なったに違いない。
だから自分とエルミナーゼを、こんな場所に飛ばした。
あの時を模したのだ。
「……クソがっ」
「まだ動いては駄目!」
怒りにまかせて身体を起こしたアッシュロードを、エルミナーゼが静止する。
「状況は……どうなってる?」
寝ていたところで傷が回復するわけではない。
「……残っていた癒やしの加護をすべて嘆願しました。ですが生命力は二割も戻っていません」
申し訳なさげに、エルミナーゼが伝える。
「そうか……世話を掛けたな」
「あなたこそ……」
エルミナーゼも全身、酷い有様だった。
互いに残るすべての癒やしの加護を嘆願し、回復したのは二割に満たない生命力。
「“骸骨百足” はあなたが……?」
「多分な」
正直なところ、よく覚えていない。
火事場の馬鹿力か、窮鼠が猫を噛んだか。
確かなのは周囲から魔物の気配が消えていることだけだった。
そして……。
「その剣…… “貪るもの” ですね」
傍らに置かれている見慣れぬ長剣を見て、エルミナーゼが訊ねた。
清冽な銀光を放つ刀身。
剣に命を捧げた者なら誰もが一目見た瞬間、生涯最高の剣に出くわしたと直感する魔剣の中の魔剣。
「でも、どうして?」
「……わからん」
どうしてこの剣がここにあるのか……どのようにその剣を握ったのか。
なにひとつ覚えていなかった。
覚えているのは……声。
“あの声” は確かに言った。
『生きて』
……と。
「生きるぞ」
決然と言い放つとアッシュロードは、全身の痛みを無視して立ち上がった。
まずは状況の確認。
状態、所持品、安全。
状態は最悪。
癒やしの加護も払底。
所持品は新しい魔剣以外、すべて燃え尽きた。
「ですが見てください」
やはり苦しげに立ち上がったエルミナーゼが開いた鉄扉の先、二匹の “骸骨百足” がいた玄室の片隅を指差した。
「 宝箱か」
内壁ともども “対滅” の爆炎に炙られ黒ずんではいたが、確かに宝箱がある。
「開いてないところを見ると、罠は発動しちゃいねえようだな―― “看破” は残ってるな?」
「はい」
“看破 “ が属する第二位階には、癒やしの加護はない。
まだ魔力は残っている。
ふたりは慎重に近づき、一度ずつ罠を識別した。
「……躊躇する理由はねえ」
アッシュロードが手を差し出す。
「……このままここにいても死ぬだけです」
エルミナーゼがうなずき、その手を取る。
ふたりは堅く手を握り合い、宝箱の前に立った。
「行くぞ」
「はい」
男が宝箱を蹴り開け、“強制転移” の七色の光がふたりを包み込んだ。







