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迷宮保険  作者: 井上啓二
第五章 一〇〇〇年王国の怪人
544/660

デュプリケーター★

 轟音と爆熱の奔流(ほんりゅう)にアッシュロードがなしえたのは、ほんの僅か。

 エルミナーゼの細腰を抱えて、開きっぱなしの扉の奥に飛び込んだだけだった。


 だが宇宙開闢(ビッグバン)と同質の現象を前に、それがいったい何だというのか。

 飛び込んだ先は一×一の最少の玄室。

 爆熱風に一瞬で席巻される。

 オーブンの中の七面鳥(ターキー)だ。


 だから思考の末の判断ではなかった。

 探索者としての本能。

 ただの条件反射。


 直後、追いかけてきた文字どおり天文学的なエネルギーが、ふたりを呑み込んだ。

 猛熱が皮膚を灼き、衝撃波が五体を引き裂く。

 逃げ場のない爆風に攪拌(かくはん)され、床に、壁に、天井に、叩きつけられる。

 呪文による現象の発現は、一瞬で治まる。

 爆風が消え去ったあと玄室には、薄煙をあげる焼け焦げた人型が倒れていた。


 直撃ではなかった。

 直撃ではなかったが……。


 ふたりは生命力(ヒットポイント)の九割を失い、悶絶していた。

 四肢が爆散していなかっのは、装甲値(アーマークラス)の低い魔法の鎧を着込んでいたからだ。

 眼球が溶け落ちていないのは、唯一無効化されてなかった “恒楯コンティニュアル・シールド” のお陰だろう。

 鼓膜は破れていた。


 運がよかったとしか言いようがない……これでも。


挿絵(By みてみん)


 二匹目の “骸骨百足(サイデル)” が長大な胴を伸ばして、黒ずんだ酷熱の玄室を覗き込んだ。


「カタカタカタカタカタカタッ」


 白骨の顎を鳴らして、自分の呪文の効果に満足する。

 望みうる最良の結果だ。

 一撃で消滅させるよりも、即死させるよりも、これがよい。

 あとは凶悪なほどに鋭利な鎌の手で、いかようにも料理できる。

 不死属(アンデッド)となったあとも、魔族(デーモン)としても残虐性はそのままだ。

 むしろ強まってさえいる。


 ……ピクッ、


 ()()の指先が、わずかに動いた。


「……あ……う……が……」


 意識を取り戻した()()が声にならない呻きをもらしながら、手を腰に伸ばす。

 長く共にあった黒い(こしら)えの曲剣は吹き飛んでいて、手元にはなかった。

 先に失った短剣(ショートソード) に続いて()()――アッシュロードはまたしても、得物を失ってしまった。

 残されているのはベルトに手挟む、短刀(ダガー)のみ。

 +2相当の強化が施されているとはいえ、最凶の白骨戦車には非力すぎた。


 アッシュロードの手がようやく腰に届いた。

 感情がないはずの “骸骨百足” は面白可笑しく、その様を眺めている。

 短刀は……なかった。

 愛剣と同じく爆風で攪拌された際にそれすらも、もぎ取られてしまったのだろう。

 指先触れるのは、破れ焦げた雑嚢(ざつのう)のみ……。


“……アレハ、ナンダ……?”


 瀕死の男が触れた物を見て、“骸骨百足” は疑問に思った。

 仮にも最高位階の呪文を唱えられるのだ。

 並の人間など足下にも及ばない知能がある。


“……アレハ、リボン、ダ。キョウイニハ、ナラナイ……”


 黒焦げに焦げた無残な男が触れたのは、“青の(BLUE )(RIBBON)

 それも(ほど)けて形の崩れた、憐れな代物だった。


 奇跡が起った。


 それは……今は遙か高次元の存在(集合意識)と融け合っている、少女の想い(祈り)

 解けた青い飾り帯が、清冽(せいれつ)な輝きを宿す長剣(ロングソード)に姿を変える。

 その瞬間アッシュロードの身体に、最後の命の炎が燃え上がった。

 “紫衣の魔女(アンドリーナ)の迷宮” から “林檎の迷宮” へ移され(デュプリケート)、少女の祈りに応え変化したキーアイテム(魔剣)を握る。


()()()()()


「貴理子ーーーーーーっっっ!!!」


 アッシュロードは絶叫し、跳躍し、“貪るもの(カニバーン)” を大上段に振りかぶった。

 虚を衝かれた “骸骨百足” はそれでも四本の鎌手を交差し、(おの)が頭を守る。

 しかしリーンガミル史上最強の剣聖(少女)の魂を宿した刃は、まるで羊皮紙を裂くように強靱(きょうじん)鋭利な鎌骨を断ち割り、異形の頭骨から長大な胴部までを一刀両断にした。


 バラバラになって崩れる大量の白骨。

 アッシュロードは膝を突き、魔剣を支えに、かろうじて倒れ込むことに耐えた。

 まだだ、まだ駄目だ。

 まだ楽にはなれない。

 まだ白目は()けない。


 失神するエルミナーゼに()いずるように近づき、ありったけの、残されたすべての癒やしの加護を嘆願する。

 最後の “小癒(ライトキュア)” を施した直後グレイ・アッシュロードは(くずお)れ、意識は途絶えた。





「…………卿…………ロード卿…………アッシュロード卿…………」


 声が聞こえた。

 耳鳴りが響いているだけだった両耳に。


「……アッシュロード卿! アッシュロード卿!」


 全身に()()()()走る痛みが、男の意識を覚醒させる。

 “怪我の功名” だとは、微塵も思わなかった。

 ただただ、ただただ、ウンザリするほど痛むだけだった。


「……そんなに……わめくな……痛えんだから……」


“痛みがあるのは生きている証拠”


 なんの慰めにもならない言葉が浮かび、アッシュロードは目を開けた。

 熱傷を受けた目蓋がひりつき、これがまた辛い。


「アッシュロード卿!」


 涙に泣き濡れたエルミナーゼが、アッシュロードを覗き込んでいた。

 既視感(デジャブ)が再び訪れる。

 いや、そうではなかった。

 実際にこれと似た状況が、以前にもあった。

 あの時に覗き込んでいたのは実った麦穂色の髪をした、エルフの少女だった。


「……あの野郎……心を読みやがったな……」


 アッシュロードは力なく毒突いた。

 確証はないが、おそらくはそうだろう。

 “僭称者(役立たず)” は読心術(リードマインド)の魔法を使い、この演出を思いついたのだろう。

 “狂君主(レイバーロード)” として傀儡にしていたエルミナーゼと、“アレクサンデル・タグマン” が重なったに違いない。

 だから自分とエルミナーゼを、こんな場所に飛ばした。

 あの時を模したのだ。


「……クソがっ」


「まだ動いては駄目!」


 怒りにまかせて身体を起こしたアッシュロードを、エルミナーゼが静止する。


「状況は……どうなってる?」


 寝ていたところで傷が回復するわけではない。


「……残っていた癒やしの加護をすべて嘆願しました。ですが生命力は二割も戻っていません」


 申し訳なさげに、エルミナーゼが伝える。


「そうか……世話を掛けたな」


「あなたこそ……」


 エルミナーゼも全身、酷い有様だった。

 互いに残るすべての癒やしの加護を嘆願し、回復したのは二割に満たない生命力。


「“骸骨百足” はあなたが……?」


「多分な」


 正直なところ、よく覚えていない。

 火事場の馬鹿力か、窮鼠(きゅうそ)が猫を噛んだか。

 確かなのは周囲から魔物の気配が消えていることだけだった。

 そして……。


「その剣…… “貪るもの” ですね」


 傍らに置かれている見慣れぬ長剣を見て、エルミナーゼが訊ねた。

 清冽な銀光を放つ刀身。

 剣に命を捧げた者なら誰もが一目見た瞬間、生涯最高の剣に出くわしたと直感する魔剣の中の魔剣。


「でも、どうして?」


「……わからん」


 どうしてこの剣がここにあるのか……どのようにその剣を握ったのか。

 なにひとつ覚えていなかった。

 覚えているのは……声。

 “あの声” は確かに言った。


『生きて』


 ……と。


「生きるぞ」


 決然と言い放つとアッシュロードは、全身の痛みを無視して立ち上がった。

 まずは状況の確認。

 状態(ステータス)、所持品、安全。


 状態は最悪。

 癒やしの加護も払底(ふってい)

 所持品は新しい魔剣以外、すべて燃え尽きた。


「ですが見てください」


 やはり苦しげに立ち上がったエルミナーゼが開いた鉄扉(てっぴ)の先、二匹の “骸骨百足” がいた玄室の片隅を指差した。


挿絵(By みてみん)


宝箱(チェスト)か」


 内壁ともども “対滅” の爆炎に炙られ黒ずんではいたが、確かに宝箱がある。


「開いてないところを見ると、罠は発動しちゃいねえようだな―― “看破ディティクト・トラップ” は残ってるな?」


「はい」


 “看破 “ が属する第二位階には、癒やしの加護はない。

 まだ魔力は残っている。

 ふたりは慎重に近づき、一度ずつ罠を識別した。


「……躊躇(ちゅうちょ)する理由はねえ」


 アッシュロードが手を差し出す。


「……このままここにいても死ぬだけです」


 エルミナーゼがうなずき、その手を取る。

 ふたりは堅く手を握り合い、宝箱の前に立った。


「行くぞ」


「はい」


 男が宝箱を蹴り開け、“強制転移(テレポーター)” の七色の光がふたりを包み込んだ。



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― 新着の感想 ―
[一言] テレポーターで良かったです。 と言うか、テレポーターを望む状況ってすごいと思いますが。 次回の更新も楽しみにしてます。
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