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迷宮保険  作者: 井上啓二
第二章 保険屋 v.s. 探索者
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続・激闘

 手に、足に、体重を掛ける度にゆらゆらと揺れる縄梯子をようやく登り切り、地上へ顔を出します。

 ひんやりとした清澄(ルーシディティ)な夜の空気。

 いつの間にか日は暮れていて、今はもう夜間のようです。


「はぁ、はぁ、はぁ――た、ただいま戻りました」


 夜勤の衛兵さんの後ろに見慣れた女性の姿を認めて、わたしは笑顔を浮かべました。

 汗まみれ、埃まみれ、血まみれ……疲れ切った酷い笑顔でしたが、心からの笑顔です。


「おかえりなさい」


 その女性――探索者ギルドの受付嬢 ハンナ・バレンタインさんは、大きな瞳に見る見る涙を湛えて微笑んでくれました。

 そして衛兵さんと一緒にわたしに駆け寄ると、身体を引き上げてくれます。


「あ、ありがとうございます」


「大丈夫!? これ飲める?」


 衛兵さんが後から上ってくるレットさんたちを助け上げている間に、ハンナさんがたっぷりと中身が入った水袋を差し出してくれました。

 わたしは引ったくるようにそれを受け取ると、ひと口ふた口乾いて粘つく口内を湿らせるように飲みます。

 本当は口の端から零しながら、ゴクゴクと飲み干したいのですが……。


「ほ、他の人にも……レットさんたちにも」


 わたしは地面にへたり込んで、肩で息をしながらようやくそれだけを言葉にしました。

 ハンナさんがうなずく気配がして、すぐにわたしから離れていきます。


 なんとか……なんとか戻ってこられました……なんとか。

 水で薄められた葡萄酒が気付けの役割を果たしてくれたのでしょう。

 精神と身体の緊張が徐々に解れていく気がしました。

 目を開けて横目で見ると、レットさん、ジグさん、カドモフさんが、やはり疲労困憊といった様子でへたり込み、皮袋を回し飲みしています。


「ギルドの方でも “探霊(ディティクト・ソウル)” の魔法を使って、あなた方のパーティが三階と八階に分断されてしまったことまでは分かっています。いったいどうしたのですか?」


 再び表情を曇らせたハンナさんの質問に、レットさんが水袋をカドモフさんに手渡しながら事の経緯を説明します。


「アレクさんが強制転移の罠(テレポーター) を? それでパーティがバラバラに……」


「ああ。あの時、玄室にはアレクとグレイ・アッシュロードもいた。そのせいだろう……」


 レットさんが疲れ切った表情で話を締めくくりました。

 それからのことは、わたしたち四人が無事に戻ってこれた以上、話すまでもない……そんな表情です。

 実際 “首狩り兎(ボーパル・ラビット)” を撃退して落とし穴から抜け出したあとは、ただひたすらに地上を目指して走り、時に身を隠し、そして幾度となく戦っただけですから……。


「ハンナさん、すぐにドーラさんと連絡を取ってください! あの人しか地下八階からアッシュロードさんたちを助け出せる人はいません!」


 地上に戻る途中、休息をとるたびに “死人占い師の杖ロッド・オブ・ネクロマンシー” を使って、アッシュロードさんたちの状況は把握していました。

 全員がまだ八階から抜け出せないようです。

 ドーラさんの実力なら八階まで潜ることができるでしょうし、きっと地図だって持っています。


 ドーラさんが来てくれさえすれば――。


「それが……連絡がつかないんです」


「……え?」


「ギルドの方でも……わたしの方でも捜しているんですが……」


 ハンナさんの表情が、これまでにも増して沈鬱に翳ります。


「そんな……!」


 絶句する、わたし。

 それだけを希望に……それだけにすがって、ここまで戻ってきたのに……。


 ――キッ、


 即座に立ち上がります。


「エバさん!?」


「エバ。何をする気だ」


 わたしの様子を見たハンナさんが驚き、レットさんが立ち上がります。

 そんなの決まっています――決まっているじゃありませんか!


「潜ります。八階に行きます」


「馬鹿な真似はよせ。地図もない上に君にはもう加護が残ってないじゃないか」


「馬鹿な真似じゃありません!」


 わたしはレットさんを睨み付けました。

 馬鹿な真似じゃない! 馬鹿な真似なんかじゃない!

 友達が、パーシャとフェルさんが助けを待っているんです!

 あの人が、アッシュロードさんがふたりを守って戦ってるんです!


「いま潜らないで、いつ潜るっていうんですか!」


「――おい」


 パキッ!


 不意に背後から肩を叩かれ、振り向いたわたしの顎先を何かがかすめました。


(……あ)


 身体に力が入らなくなり、わたしの意識はそこで途切れました……。


◆◇◆


「パーシャ!」


 ホビットの少女が壁から現れた “それ”に打ち倒された直後、エルフのやはり少女であるフェリリル――フェルが悲痛な声を上げた。

 上げたはずだった。

 アッシュロードの耳には、その声がずっと小さく聞こえた。

 右耳の聴力がかなり、いやほとんどすべて失われていたからだ。

 右半身だけが水に潜っているような奇妙な感覚に陥っていることに気づき、アッシュロードは困惑した。

 しかし、今はそんなことに気を煩わせている時ではない。


 アッシュロードは右手の(ロングソード)を、壁から現れた “正体不明(Unseen)の存在(Entity)” に向かって叩きつけた。

 切っ先は “正体不明の存在”から僅かに逸れ、空を切った。

 今度こそアッシュロードは狼狽した。

 自分の目測では首を切り飛ばしているはずの間合いであり、一撃だった。

 片耳が聞こえないのが、これほどまでに身体の感覚を狂わせるとは!

 “正体不明の存在”は、アッシュロードたちの周辺を霊体のようにつかみ所なく飛び回った。


 ――いや、違う。こいつは “霊体” ではなく “精霊” だ。


 透きとおった亡者の如き容貌。

 痩せ衰えた白髪の老婆を思わせるそれは、多次元からこの世界にやってきた “精霊(スピリット)” と呼ばれる()()()の魔物だ。

 アッシュロードは剣を構え直し、その動きをこれまで以上に正確に目で追うことに努めた。

 フェルがパーシャをかばって立ち、女神に “解呪(ディスペル)” を願う。

 加護を封じられても、“解呪” は嘆願することができる。


「――よせ! 無駄だ!」


 アッシュロードが制止するよりも速く、フェルが祈祷を終えた。


「え!? どうして!?」


  “解呪” を施したフェルが驚き戸惑う。

 呪いを解くことに失敗したからではない。

 通常なら在り得るはずの成功なら成功、失敗なら失敗――その手応えさえないのだ。


「こいつは不死属(アンデッド)” に見えるだけで、実際は生きてやがる! “解呪” は無意味だ!」


「そんな!?」


 驚愕するフェルに、アッシュロードは心の片隅で同情した。

 ――ああ、あんたのその驚きは正しい。初見でこいつと出会ったら、誰だって不死属だと思っちまうだろうさ。


「コナクソッ!」


 アッシュロードの口から悪態が漏れる。

 いつもなら確実に命中(ヒット)するはずの攻撃がスカるばかりだ。

 やがて、嘲笑うかのように周囲を飛び回っていた “精霊” が、不意に距離を取った。

 玄室の天井近く舞い上がり、聴力を半分失ったアッシュロードには聞き取りがたい声で何事かを呟き始める。


「――しま」


 った。


 その言葉は、 善悪 三人の探索者のほぼ中心で発生・炸裂した、人の頭部大の “火球” によって掻き消された。

 アッシュロードが怖れていた、パーティ全体への攻撃魔法。

 魔術師系第三位階に属する、“焔爆(フレイム・ボム)” の呪文だ。

 もっとも低位の集団(グループ)攻撃呪文とは言え、その威力はアッシュロードの十八番(おはこ)とする、聖職者系第五位階の加護、“焔柱(ファイヤー・カラム)” に匹敵する。

 巻き起こった熱風と衝撃に吹き飛ばされ、壁や床に激突し動けなくなる、アッシュロード、フェル、パーシャ。


 “……ケケケケケッ”


 薄気味の悪い笑い声を上げて、“精霊” が舞い降りてくる。

 全員、死んではいないが相当な(ダメージ)を負ったようだ。

 あとはトドメを刺して、その死体を喰らうだけである。


 どいつから喰ってやろうか。

 男は堅くて不味そうだ。

 ホビットの女は柔らかいが喰いでがない。

 やはりエルフの女か。


 ()()でそう判断すると、苦悶の表情を浮かべ倒れ込んでいるフェルに “精霊” がスススッ……と近づいていく。


 ブスッ!


“ギィギャャーーーーッッ!!!?”


「…… とんまめ」


 不意に立ち上がったアッシュロードは剣を “精霊” の半透明の身体に突き入れると、 そのまま股下まで切り下げた。

 生命体とはいっても、所詮は知的ではない。

 食事をするなら()()()トドメを刺してからにしろ。

 この次元でのすべての生命力(ヒットポイント)を消失し、霧散する “精霊”

 散々引っかき回してくれた挙げ句に、実に呆気ない最期だった。


 アッシュロードは火傷にひりつく肌に顔しかめながら、倒れたままのフェルに近づいた。

 熟練者(マスタークラス)の前衛職である彼なら、“焔爆” 一発程度なら十分に耐えられる。

 しかしまだレベル5の、それも後衛職のフェルとパーシャでは、運が悪ければ生命力の半分を持って行かれる深手を負う。


「おい、平気か?」


「……え、ええ」


 咄嗟に盾でかばったため、美しい顔に火傷こそ負っていないものの、フェルは壁に激突した衝撃でかなりのダメージを受けていた。

 よろよろと立ち上がるフェルは取りあえずそのままにして、もうひとりのパーシャの様子を見る。


「おい、がきんちょ。平気か?」


 気安い声の掛け方だったが、アッシュロードはある程度 覚悟していた。

 こいつは先に一撃もらってる。

 下手をしたら、もう……。


「……う、ううっ」


 その時、ホビットの少女の小さな身体から苦しげな呻き声が漏れた。

 ホッ……とする、アッシュロード。

 どうやら呪文の直撃死だけは免れたようである。


「……手当らしい手当はできないぞ」


 彼はひとまず腰に下げた水袋に手を伸ばした。

 水を飲ませて、湿らせた布で火傷を冷やしてやるぐらいのことしか、今は出来ない。

 しかし、腰に伸ばした彼の手は空を切った。

 そこに吊していたはずの水袋は、先ほどの炎の呪文によって奇麗サッパリ燃え尽きていた。

 さらに彼を愕然とさせたのは、その横――ベルトに装着していたはずの雑嚢までもが消えていたことだ。

 慌てて辺りを見渡しても、それらしい物はどこにも転がっていない。


「……どうしたの?」


「……雑嚢を燃やされた」


「……え?」


「……地図(マップ)を失った」


「――!!」


「……けて……しい……よ」


 その時、パーシャの弱々しい声がフェルだけに聞こえた。


「パーシャ!」


 フェルが地図を失った衝撃も忘れて、仲間の魔術師の元に駆け寄る。


「――ああ、パーシャ! なぜ、なぜなの!?」


「どうした?」


 ホビットの横で取り乱すエルフに声を掛ける。


「毒……毒です……パーシャが毒に……」


 呆然と座り込むエルフの僧侶。

 見るとホビットの少女魔術師の顔は、火傷によって赤らんではいなかった。

 だがその代わりに、ドス黒いまでの紫に変色していた。


「……」


 最悪の状況に限って、最悪の事態は訪れる。

 探索者たちの間で半ば冗句として笑い飛ばされ、半ば真顔で忌避されている、“迷宮の法則” である。


 ……こいつはどうにも面白くないことになってきた。


 アッシュロードはいよいよ、自分たちの生還が覚束なくなったことを悟らずにはいられなかった。



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