I GO
『俺が行く』
ようやく落成した新王城。
その奥部にある円卓の間に、少年の淡々とした言葉が響いた。
魔術師 風の法衣に杖。
陰のある表情。
やや猫背気味であることもあり、一八という年齢の割には老いて見えた。
実際、黒かった髪は半ばまでが灰色になっていて、彼の労苦を偲ばせている。
『何を言っている?』
絶句の沈黙を破ったのは、双子の弟だった。
殺気の籠もった声色と視線に、場が凍り付く。
兄とは対照的に若々しく精気に溢れた容貌だったが、身にまとう気配は剣呑で余裕がなかった。
円卓には少年と弟、両者のパーティが着いていたが、誰も自分たちのリーダーの不可視の闘争に割って入ることは出来なかった。
『おめえは結婚を控えた身体だ』
少年は弟の穂先のような視線を真っ向から受け止めた後、その隣に座る少女に視線を移した。
絹の様な栗色の髪を持つ、美しいという言葉だけではとても形容できない少女だった。
質素だが品のよい冠を頂く少女の、黒い瞳が揺れた。
『今この国は、勇者と王女の結婚に沸き立っている。 “僭称者” が現れて以来、絶望しかなかった国に希望が訪れてんだ。その希望を危険に晒すわけにはいかねえ』
諭す風でもなく、少年の声はどこまでも淡々としていた。
しかしそれがかえって、弟の神経を逆なでした。
『だからおまえの後ろに隠れていろというのか!? 俺は “運命の騎士” だぞ!』
『そうだ。おめえは新しい “運命の騎士” だ。だからこそ今回は俺が行く』
リーンガミル聖王国を襲った、建国史上最大の危機。
最凶最悪の簒奪者 “僭称者” による恐怖の支配は、伝説の “運命の騎士” となった “王子アラニス” とその姉 “マグダラ” によって終止符が打たれた。
だが退魔の聖剣に貫かれた “僭称者” の断末魔の呪詛が、決戦の場となった旧リーンガミル城をアラニス共々崩壊させ、跡には凶悪な魔物の巣くう巨大な地下迷宮 “呪いの大穴” が出現していた。
“僭称者” はリーンガミルから生まれた悪だった。
“僭称者” を生み出したのは、リーンガミル自身だった。
守護神たる女神ニルダニスは、王国とその民が再び己の寵愛を受けるに価するか、試練を課した。
すなわち迷宮内に遺棄された五つの “運命の騎士の装具” を集め、女神にその勇気と英知を示すこと。
“転移者” である少年の弟は生き残った王女とパーティを組み、数年にわたる苦難と灰に塗れた探索の末、ついに迷宮を踏破。
アラニスの遺品である “K.O.D.s” を集め、女神ニルダニスの象徴たる “ニルダニスの杖” を授かり、新たな “運命の騎士” となった。
救国の英雄となった弟は王女と婚約し、新たな女王の配偶者を国民は歓呼をもって迎えたのだ。
だから、迷宮から魔物が消えていないことに気づいた者は、まだ少ない。
『迷宮は封鎖できても、人の口は封鎖できねえ。いずれ噂になる。“僭称者” が討滅され、女神の加護が戻ったのに魔物が消えないのはなぜか――ってな』
少年ら熟練の冒険者によって極秘裏に迷宮の調査がなされたが、“ニルダニスの杖” が持ち帰られたというのに、第一層から第六層に至るまで依然として魔物が徘徊し続けていた。
魔物は “女神の試練” の一環ではなかったのか?
そうでないのならいったい何者が、魔物を召喚し続けているのか?
答えがあるとするなら、唯一調査がなされていない迷宮の最下層――第六層の最奥にあるはずだった。
だがそこは、伝説の五つの武具を装備した “運命の騎士” でなければ立ち入れぬ場所。
女神に認められた唯ひとりの勇者だけが立ち入れる禁域だった。
『おめえに何かあれば、ここまで積み上げてきたすべてが瓦解する。これまでの犠牲が無駄になる――だから、俺が行く』
犠牲という言葉が出たとき、少年の声がわずかに震えた。
そして弟の奥歯が、ギチリと鳴った。
『でもあなたは魔術師…… “K.O.D.s” は装備できない』
婚約者の緊迫を見て取った王女が、少年に言った。
王女――まもなく戴冠してリーンガミルの正統な統治者、女王マグダラ四世となる少女の声もまた震えていた。
『俺にはこれがある』
少年が王女に手を差し出す。
開かれた掌には、小さな硬貨が載せられていた。
少年をかばって消失した幼馴染みの少女が、彼に遺したものだ。
『こいつを使えば三分の二の確率で、俺も “K.O.D.s” 装備できるようになる』
王女は少年の掌に、振るえる視線を落とした。
“転生の金貨” と呼ばれる魔道具。
秘められた力を解放すれば、力量や属性に関わらず、 侍、君主、忍者のいずれかの上級職に転職できる。
このうち侍と君主なら “K.O.D.s” を装備することができた。
王女は決断するしかなかった。
万が一にも自分の婚約者が失われればようやく平穏を取り戻したリーンガミルに、またしても動揺が走る。
それだけは何があっても避けなければならない。
『あなたにお願いします。ミチユキ』
『マグダラ!』
弟が憤怒に歪んだ顔で、婚約者を睨む。
『ソラタカ、これは王女としての――いえ、この国の女王としての決断です』
それでも王女は――マグダラは願った。
少年が忍者になることを。
彼女のすがるような瞳の前で秘めたる力が解放され、少年は君主になった。
少女の願いは届かず、兄は弟の影武者となった。
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……ピチョン。
落ちてきた水滴が鼻の頭を直撃し、それが覚醒の引き金となった。
男は目を開け、焦点の合わない意識で闇を見つめた。
何か妙な夢を見ていた気がするが、ご多分に漏れず思い出せない。
やさぐれてはいても、熟達の迷宮無頼漢だ。
意識が鮮明になってきても、いきなり身体を起こすような真似はしない。
そろりそろりと各部を動かし、負傷の有無を確認する。
同時に目覚めたばかりの感覚を総動員して、周囲の気配を探る。
どちらも確認されなかった。
アッシュロードは、ゆっくりと身体を起こした。
途端に酷い目眩と頭痛が襲ってきた。
酒飲みである男にとっては二日酔いさえも楽しみの一部だったが、これは違った。
対転移呪文による不意打ちは “強制転移” の罠と同等以上の負荷を、男の身体に与えていた。
「……あの野郎」
頭に手を当てて、呻く。
……半デッドの分際で、舐めたマネをしてくれる。
アッシュロードは頭から手を離し、周囲に視線を渡らせた。
湿った黴と何十年も密閉されたような澱んだ空気の中に、薄らぼんやりとした白線が浮かび上がっている。
光蘚の発光だ。
“永光” が切れていた。
“認知” もだ。
(……だが “恒楯” の効果は切れてない)
こういう状況に陥る場所を、アッシュロードは知識の中に検索した。
そしてヒット。
その結果は熟練者のアッシュロードをして、慄然とさせた。
検索ミスで……ただの悪い予感であってほしかった。
しかし良い予感は当たらず悪い予感ばかりが当たるのが、やさぐれた迷宮無頼漢の唯一の特技だ。
アッシュロードの目が間際にありながら気づかなかったそれを、ようやく捉えた。
闇の中に鎮座する、巨大な玉座。
検索ミスではなかった。
悪い予感ではなかった。
ここは地下迷宮 “呪いの大穴” の最奥。
真の迷宮支配者、魔太公の座所だった。







