迂回路
“この先、錬金術師ルーソの店舗 兼 研究室”
「店にしろ、研究室にしろ……この様子じゃ入れそうにねえな」
早乙女くんが、がっしりとした怒り肩を落としました。
「お店全部が埋まってしまってるの? それとも入り口だけ?」
田宮さんが歪んだ看板から顔を上げて、落盤で埋まった回廊を見ます。
「確かめようがない」
顔を横に振る隼人くん。
この瓦礫と土砂をすべて撤去するなど、わたしたちだけでは到底不可能です。
「迂回路を探しましょう。お店にはたいてい裏口があるものです。埋まっているのが入り口だけなら、そこから中に入れるはずです」
「さ、賛成。早くここから離れよう。危ないよ」
わたしの提案に、安西さんが怖々と同意します。
どうにも今にも崩れてきそうな天井が気になって、仕方がないようです。
もちろん反対の声は上がらず、わたしたちは南に延びる幅広の回廊を進みました。
苔の大路。
わたしはこの四区画の幅が続く空間を、そう名付けました。
場所によっては二区画幅に狭まったり、太い柱が行く手を遮っていたりもしますが、住人がいたらきっと商店街や市場になっていたと思えたからです。
先頭を行く五代くんが、右手を挙げて止まりました。
全員が武器を手に身構えます。
「……どうした?」
敵の気配がないので、隼人くんが小声で訊ねます。
「どうやら住人はいるみたいだぜ」
五代くんが見つけたのは、苔に残された複数の足跡でした。
「これは……まだ新しいですね」
わたしは身をかがめて、足跡をのぞき込みました。
苔は環境によっては何百年も昔の足跡がそのまま残っている場合があり、地球ではローマ時代の兵士のサンダル跡が、今も残っている場所があるくらいです。
アカシニアの地下迷宮は魔素が濃く、動植物は驚くほどの速さで成長します。
足跡が残っているのはわずかの間で、すぐに新しい苔に覆われてしまうでしょう。
「“人間型の生き物” にしては大きいし、ブーツも履いている……人間だな」
斥候 としての技能と経験で、五代くんが分析します。
どうやら “犬面の獣人” や “小鬼” ではないようです。
「きょ、協力してもらえるかな?」
「“みすぼらしい男” の可能性もある。警戒するに越したことはない」
安西さんの希望的観測を、隼人くんが否定しました。
現実的にそう考える方が自然ですし、迷宮探索の鉄則でもあります。
「ショーちゃんも、この階には住人はいないって言ってたしね」
田宮さんの言葉を最後に、パーティは再び進み始めました。
(……本当に息苦しいほどに濃密な緑の臭いですね)
緑の香りは嫌いではなく、むしろ大好きですが……ここまで密度が濃いと、溺れてしまいそうです。
司馬遼太郎先生が濃い緑の臭いを、『森の臓物の臭い』と描写したのを思い出します。
五代くんは大路の外縁を固めるために、東の壁に沿って南下しています。
左手を壁に添えるように、進んでいるイメージです。
一六区画ほど進んだところで大路は突き当たり、南に内壁が現れました。
その壁に沿ってわたしたちは、進路を西に変えます。
西に延びる壁は、すぐに一区画幅の回廊になりました。
途中、北への分かれ道が現れましたが、外縁を固めることを優先して無視します。
さらに進むと、また北への分かれ道が……。
「こっちは行き止まりね」
ふたつめの別れ道に立ち、田宮さんが北を見ました。
北への通廊は二区画進んだところで、袋小路になっています。
「あっちの北側には扉があるな」
早乙女くんが身体を向けているのは西で、やはり二区画先で行き止まりになっていましたが、北側に扉がありました。
「あの扉を調べる」
隼人くんがそういったとき突然、苔むした床が輝き出しました。
「な、なに!?」
田宮さんが腰の刀に手を掛け、飛び退きます。
他のみんなも各々武器を抜き、身構えました。
「落ち着いてください。立て札です」
床から浮かび上がったのは、これまでにも何度となく遭遇してきた魔法による三次元映像――立て札でした。
「ですが油断しないでください。場合によっては 宝箱の “警報” のように魔物を呼び寄せることもありますから」
“龍の文鎮” の第四層で遭遇した、“兄弟よ、気をつけたまえよ” の立て札は、トラウマです。
一〇秒……二〇秒……三〇秒……。
「あ、現れないみたいだな」
“警報” の罠ならとっくに遭遇 している時間が経過してから、早乙女くんが引きつった顔で言いました。
「なんて……書いてあるの?」
刀の柄に手を掛け、周囲の警戒を続けながら、田宮さんが訊ねます。
「…… “ようこそジググルーの信託銀行へ。あなたの大切な財産をぜひお任せください。増やしてみせます” ……」
「な、なによ、それ?」
五代くんが読み上げた文面に、安西さんが戸惑います。
「……かつて迷宮に、新しい世界を築こうとした人たちがいたのでしょう」
地上を追われ、迷宮の地下深くに身を隠し、魔物と魔素に怯えながら、それでも新しい世界を夢見た人々。
「……二階にあった “ドワーフの廃工房” と同じか」
しょんぼりと、早乙女くんが呟きます。
「ええ……今は昔の物語です」
「感傷に浸るのはあとにしよう――扉を調べるぞ」
隼人くんの号令にわたしたちは気持ちを切り替え、西に進みました。
扉の前に辿り着くと、すぐに五代くんが罠の確認にかかります。
他のメンバーは離れて、周囲の警戒です。
「罠も魔物の気配もない」
一連の作業が終わり、五代くんが扉を離れました。
「行くぞ」
全員が武器を構え、五代くんと田宮さんが観音開きの扉を一気に押し開けます。
指示を出した隼人くんが盾役 として真っ先に突入し、続いて全員が雪崩れ込みました。
万が一魔物が息を潜めていた場合に備えての強行突入です。
「異常なし」
「異常なし」
扉の奥は二×二区画の正方形の玄室でした。
やはり魔物の姿はなく、密閉されたさらに濃密な苔の臭いが充ちているだけです。
「手分けして調べよう。慎重に」
隼人くんの指示に、わたしたちはそれぞれ玄室内を調べ始めました。
全員がレベル11に達している、古強者の探索者です。
バージン・フロアに緊張は覚えても、呑まれることなく対処していきます。
そして、それはすぐに見つかりました。
“恒楯” の加護が施されているため、苔に覆われることのなかった――。
「スイッチだな」
「見れば分かる」
早乙女くんが『うむ』と大仰にうなずき、五代くんがすかさずツッコミを入れます。
「罠か?」
「押してみればわかる」
ムッとした早乙女くんが言い返すよりも速く隼人くんが訊ね、五代くんが素っ気なく答えました。
迷宮のこの手の仕掛けは、罠の専門家の盗賊 でさえ『押してみなければわからない』ものなのです。
「全員、入り口まで後退しろ――五代、押してみてくれ」
五代くんは肩を竦めると入り口まで下がり、肩に提げていた短弓を外しました。
戦利品のひとつで、小型なので筋力の低い盗賊にも扱えます。
普段は前衛なので使いませんが、後衛に回ったときなどはこれで援護しますし、今回のように “一〇フィート棒” の代わりにも使えます。
「やるぞ――」
全員が不測の事態に備えて身構える中、五代くんは何気ない動作で矢をつがえ、放ちました。
鏃は弓勢鋭くヒュン!という風切り音を引いて、掌大のスイッチに命中。
その瞬間、長く忘れ去られていた世界が、再び動き出したのです。







