苔の迷宮
縄梯子の踏み子をひと縄ひと縄、慎重に下りていきます。
臭いが……違います。
三層の人工的で無機質な臭いとは真逆の臭気の中を、わたしは降下していました。
最後の踏み子から足を離して着床すると、高級な絨毯を踏んだような柔らかい感触がありました。
鼻腔に充満する、濃すぎる自然の臭い。
「……すげえ」
“永光”に照らし出された第四層の姿に、早乙女くんが賛嘆を漏らします。
壁を、床を、天井を、びっしりと覆う緑色の苔。
階層に充ちる濃密な自然臭の元でした。
迂闊に壁に手を突くとズルッと、逆にバランスを崩してしまいそうです。
「三階とは正反対ね」
田宮さんがわたしと同様の感想を口にしました。
呪術的な幾何学模様が意匠されていた第三層とは、対照的な階層です。
「……この臭い、苦手……ウォッシュチーズみたい」
清潔な布で口元を抑えながら、顔を歪める安西さん。
安西さんはあまり、チーズが得意ではないのです。
「瑞穂、現在地を確認してくれ」
隼人くんの指示にわたしは、左手に嵌めた魔法の指輪の力を解放しました。
象嵌された大粒の宝石が輝きだし、脳裏に現在の座標が浮かび上がります。
「“W6、S20” です」
すぐに安西さんが顔から布を離して、新しい羊皮紙を開きました。
「ショートの言ったとおり、確かに住人がいる気配はないな」
南を見つめて、隼人くんが油断なく呟きます。
視線の先には回廊というには幅広の、大路のような空間が伸びています。
「……まるで苔のトンネルね」
「なに、心配しすぎることはねえって。なんてったって、俺と枝葉を合わせて八回も “神癒” が願えるんだからよ」
緊張した表情の田宮さんを、陽気に励ます早乙女くん。
「そうね、熟練者の枝葉さんがいるんですものね」
本人が期待していたのとは微妙に違う答えを返す田宮さん。
第三層を踏破したわたしたちは全員が成長して、わたしがレベル13に。
他のみんなはレベル11になっていました。
早乙女くんは回復役として最も重要な “神癒” を授かり、自信に溢れています。
田宮さんにもそこに、触れてほしかったのでしょう。
「確かに早乙女くんが “神癒” を願えるようになったのは大きいですね。わたしも負担が減って助かります」
微笑んだしたわたしに、嬉しそうにうなずく早乙女くん。
ちょっと意地悪をした田宮さんも苦笑しています。
「見ろ、落盤だ」
やりとりに加わらず周囲を観察していた五代くんが、東に向かって顎をしゃくりました。
三区画先(現在座標を含めて四区画先)が瓦礫で埋まっています。
先に進めるかどうかは、ここからでは分かりません。
「どうする?」
「調べてはみたいが……」
五代くんの問いに逡巡をみせる隼人くん。
近づいた途端にまた崩落が起きないとは言い切れません。
「調べてみましょう。いざというときはわたしがこれで、“神璧” を張って護ります」
わたしは腰に下げていた新しい戦棍を右手に持つと、隼人くんに提案しました。
何度でも加護を使える永久品なうえ、祝詞を唱えることなく嘆願できるので、咄嗟の崩落にも対応できます。
「それでいこう――いいな?」
全員がうなずき、パーティは東に進発しました。
盗賊 の五代くんが斥候 となって、先頭に立ちます。
五代 忍 (盗賊) 斥候
志摩隼人 (君主) 盾役
田宮佐那子 (侍) 削り役
早乙女月照 (僧侶) 回復役
安西 恋 (魔術師) 殲滅役
枝葉瑞穂 (僧侶) 回復役
いつも一列縦隊です。
四区画を進み、崩落で埋まった場所まできました。
埋まっているのは東から先で、南北には強化レンガの内壁が崩れることなく残っています。
わたしは常に頭上に気を配り、周辺の調査は他の人に任せることにしました。
「そっと、そっとだぞ……――おい、五代!」
大きな身体を縮こまらせて、おっかなびっくり注意を喚起していた早乙女くんが、大胆にも瓦礫に足を踏み入れた五代くんに怒鳴ります。
「おまえの大声の方が、よほど響く」
冷たく切り替えされ、早乙女くんが両手で口を塞いで天井を見上げました。
「全員で調べると危険だ。俺がやるから下がってろ」
そういうと五代くんは大胆かつ細心な手つきで、瓦礫をどけ始めました。
「き、気をつけて」
不安いっぱいの表情を浮かべて、五代くんを見つめる安西さん。
瓦礫と土砂の量から考えて、通路を拓くのは不可能でしょう。
ですが、何かしらの手がかりが見つからないとも限りません。
五代くんの脳裏には、一階の瓦礫の下から発見された宝箱のことがあるのだと思われます。
全員が固唾を呑んで見守る中、崩落の恐怖にさらされながら黙々と作業を続けた五代くんの忍耐は、やがて報われました。
「何か出たぞ」
それは四人掛けのテーブル大ほどの、ひしゃげたプレートでした。
五代くんは最後まで慎重な手つきでそのプレートを掘り出すと、土埃で汚れた顔に浮かんだ汗を拭いました。
「よし、後は俺たちがやろう」
「おっし!」
代わって隼人くんと早乙女くんが、プレートにこびりついた汚れを払いに掛かります。
革袋の水で顔を洗う五代くんに、安西さんが慌てて雑嚢から新しい布を取り出し差し出しました。
田宮さんがそんな安西さんを見て、『やれやれ』といった微笑を浮かべています。
「おい、見ろ!」
発掘されたプレートを磨いていた早乙女くんが叫びました。
全員が周囲に集まって、ひしゃげた金属板を見下ろします。
まだ所々汚れてはいますが、充分に判別できました。
それは看板で、このように書かれていました。
“この先、錬金術師ルーソの店舗 兼 研究室”







