激闘★
―― “鳥” だと? 今我のことを “鳥” と言ったのか?
“翼竜” は我が耳を疑った。
亜流とはいえこの誇り高き竜の眷属に向かって、ひとたび迷宮から解き放たれれば “伝説の怪鳥” に比肩される大空の王者である我に向かって、よりにもよって “鳥” だと!?
“翼竜” は激高した。
もはやエルフの僧侶もホビットの魔術師も、“翼竜” の猛禽よりも優秀な眼中にはなかった。
あの不埒で不遜で不快な人間の戦士をこの爪で引き裂き、この牙で食い千切り、この顎で噛み砕かぬ限り、煮えくり返った臓物は治まらかった。
“翼竜” の蛇のように細い瞳孔から余裕の光が消えた。
◆◇◆
“良い予感は当たらずに、悪い予感ばかりが当たる”
アッシュロードの唯一の特技である。
彼はこの特技の逆張りで、二〇年近く悪意と死と灰の堆積する迷宮で生き残ってきた。
そしてアッシュロードには、彼自身も自覚していない特技が実はもうひとつあった。
それは無自覚に人を怒らせること。
酷い特技である。
そもそもこれが特技と言えるのか。
人格的欠点――あるいは障害の間違いではないのか。
しかし今のこの危機的状況において、それはまさに “鶏鳴狗盗” に類する特技と呼んで差し支えないものだった。
アッシュロードは自身でも良く分からないまま、“翼竜” が標的を自分に固定したことに内心でほくそ笑んだ。
もちろん、外面的にはそんな余裕はない。
余裕がないどころか、頭上からの急降下&引き起こしを繰り返す “翼竜” をかわすだけで這々の体な有様だった。
しかし、こけつまろびつ逃げ惑っているように見えるアッシュロードだったが、そこは性格の悪さでは人後に落ちない “闇堕ち君主” である。
ただでは転ばない。
五度目の急降下をかわしたとき、手番は彼にきた。
アッシュロードは回転受け身の要領で立ち上がり、頭上で旋回して再び降下態勢に入った “翼竜” に向かって呟いた。
「Good Luck」
◆◇◆
“翼竜” は完全に頭に血が上っていた。
こうまで自分の攻撃をかわされ続けたことなど、人間を遙かに凌駕する “翼竜” の長い生命において初めての屈辱だった。
だがその屈辱もこれで終わりだ。
人間の戦士は諦めたのか、あるいは次の一撃に全てを賭けたのか、立ち上がって自分に向けて剣を構え直した。
――バカメ。
人間の背後にはまだ一区画分の空間があった。
それだけあれば、“翼竜” の能力を持ってすれば十分に引き起こすことが可能だ。
“翼竜” は嘲笑った。
せめて壁を背後に立てば、自分とて地上に降りざるを得ないものを。
哀れなことに、その程度の知恵も持ち合わせていないようだった。
――所詮は人間。我ら竜属の餌となるしか存在価値のない奴らよ。
“翼竜” は頭を巡らし、六度降下態勢に入った。
十分に高度を取ってからの急降下 。
高度は速度に変換され、瞬く間にその巨体を加速させていく。
轟ッ!!!
すんでのところで、人間が身をかわした。
玄室の床に転げ回り、叩きつけられた風圧にすぐには立ち上がれず、無様に這い蹲っている。
――まったく、鼠のようにチョコマカと!
“翼竜” は嘲りと苛立ちのない交ぜになった思いを抱きながら、引き起こしに掛かった。
鱗に覆われていない腹が玄室の床を擦り、火花を散らす。
そして再びの上昇。
その瞬間 “翼竜” は軽い目眩を覚えた。
――?
――!!!!!?????
高かった天井は、突如として低くなり、
広かった玄室は、予告なしに狭くなり、
運動エネルギーを位置エネルギーに変換することすら叶わずに、その速度と勢いのまま、“翼竜” は別の玄室の天井に激突して頭蓋を割り、竜としては極小の脳髄を四散させた。
訳も分からないまま、残念なことに “翼竜” の狩りはここで終わってしまった。
◆◇◆
アッシュロードは立ち上がると、鎧の埃を払った。
「前言撤回だ。やっぱ、おまえは馬鹿で間抜けだ」
転移地点の先に消えた “翼竜” に手向けの言葉を贈る。
肩の力を抜いて、フェルとパーシャの元に向かおうとしたアッシュロードの足元がふらついた。
頭を振って三半規管に負ったダメージを振り払う。
フェルとパーシャは玄室の隅で腰を抜かしていた。
情けない格好だが、巨体で空を飛び回る相手には適切な待避場所ともいえた。
「無事か?」
「……ぃ」
フェルの声がやけに声が小さく遠い。
まったく、やれやれだぜ。
これぐらいでビビられたら、これから先――。
その時になってアッシュロードは、ようやくフェルの声が遠い理由に気がついた。
フェルが彼の右耳を指差して何かを言っている。
アッシュロードが手をやると、耳たぶから血が滴っていた。
“翼竜” が巻き起こした風圧によって鼓膜が破れ、彼の聴力は半分が失われていたのだ。
それが理由かは定かではないが、心配げな顔のフェルとパーシャの背後から現れたそれに気づくのが、ほんの一瞬――いや半瞬遅れた。
アッシュロードが突き飛ばすよりも早く、壁より出でた “正体不明の存在” がパーシャを一撃した。
衝撃に倒れ込むパーシャ。
アッシュロードが耳にしたフェルの悲鳴は、やはり遠かった。
◆◇◆
(……そろそろ来る頃か)
迷宮の入り口を見張る夜勤の衛兵は、胸の内で独り言ちた。
すでに日はとっぷりと暮れ、夜空には星が瞬いている。
案の定、ちゃり、ちゃり、と革のブーツが小砂利を踏む音が近づいてきた。
ここ数日、この時間になると必ず聞こえてくる音である。
「また来たのか?」
夜勤の衛兵は、探索者ギルドの制服の上に夜間用の薄手のコートを羽織った若い女に言った。
「……こんばんは」
ハンナ・バレンタインが沈鬱な表情で挨拶する。
この三日。ギルドでの業務が終わるたびに、彼女は “街外れ” まで足を運び、時間の許す限り自身が担当する探索者たちの帰還を待っていた。
「俺もこうして毎日あの連中を見送ってる身だ。だからあんたの気持ちも分からなくはないがな……だがこのままだと、あんたの方が参ってしまうぞ?」
夜勤の衛兵は言っても無駄だとはわかっていたが、それでも伝えずにはいられなかった。
衛兵はこれまでにも何度も見てきているのだ。
こうして迷宮から還らぬ探索者を待って、入り口に立ち尽くす人間の姿を。
それは若い女であることが多かったが、男のときもあった。
家族であったり、想い人であったり、友人であったり……。
ヤクザ家業の代名詞とも言える探索者たちにも、ひとり一人それぞれの人生があるのだ。
それにしても……と衛兵は思う。
ギルドの受付嬢がこうまで沈痛な面持ちで帰還を願うほど、探索者に肩入れするとは。
ギルドの受付嬢は、必要以上に探索者に感情移入はしない。
職業意識としてそう教え込まれることもあるが、自分自身を守る本能としてそうせざるを得ないのだ。
ある日を境に、自分が担当していた探索者がギルドに顔を見せなくなる。
それもひとりではなく、パーティ丸々全員が。
そして、そんなことが運が悪ければ連日だって続くことがある。
受付嬢が自分の担当する探索者と適切な距離を保ち、業務上必要な作り笑顔しか見せないのはそのためだ。
それなのに、この娘は……。
いくら官営ギルドの制服を着ているとはいっても、夜間にこんな “街外れ” まで一人で来るとは。
上帝トレバーンは紛れもなく狂ってはいるが、決して愚かではない。
だが自分に向けられた敵意や害意には、文字どおり狂ったように苛烈な報復を加える。
それは官営ギルドの一職員であっても変わらない。
探索者ギルドの受付嬢であるこの娘に不埒なことを働く者がいれば、官憲が即座に動き草の根を分けてでもその者を捕らえ極刑に処すだろう。
この城塞都市で生活するすべての人間がそのことを理解している。
理解している以上に怖れ、常に自身を戒めている。
それでも何事にも間違いはある。
万が一ということもあるのだ。
せめて信用できる人間と連れだってきてほしいものだ……。
衛兵がそんなことを思ったとき、迷宮の入り口に垂れ下がる縄梯子が揺れた。
「――!?」
「まて!」
駆け寄ろうとしたハンナを、衛兵が鋭く制止する。
そう、何事にも間違いはあり、万が一ということがあるのだ。
あの縄梯子を揺らし、今まさに地上に顔を出そうとしているのが魔物ではないと誰が言い切れるのか。
衛兵はハンナをかばうように立つと、鋭く磨かれた槍の穂先を迷宮の入り口に向けた。
探索者か――それとも魔物か。
衛兵は祈った。
男神 “カドルトス” よ。
女神 “ニルダニス” よ。
願わくば、今この梯子を登ってきている者が人間であらんことを。
そして、この娘の待ち人であらんことを。
そして――。
「はぁ、はぁ、はぁ――た、ただいま戻りました」
荒い息遣いで地上に顔を出した僧侶風の少女が、衛兵の後ろに立つ受付嬢の姿を認めると疲れた笑顔を浮かべた。
背中から喜びの気配が伝わるのを感じて、衛兵は珍しく自分の祈りが神々に届いたことを知った。
そして探索者ギルドの受付嬢――ハンナ・バレンタインは言うのだった。
「おかえりなさい」
――と。







