ここからが本当の地下八階だ★
瞬く間の逆撃で郎党ふたりの頭骨を割られ、残る “侍大将” たちの間に動揺が走った。
“大大名” や “小大名” の母衣武者を務める “侍大将” だが、アッシュロードの目にはその動きが、まだ迷宮での戦闘に不慣れなように映った。
――召喚されたばかりか。
迷宮の支配者である “紫衣の魔女” の手によって、遙か東方の “蓬莱” と呼ばれる地より、サムライやニンジャといった東夷の戦士たちは召喚される。
訳も分からず突然 異邦の地下迷宮に連れてこられた挙げ句、迷宮を護る守護者として戦うことを強制されるのだ。
アンドリーナによって強力な魅了の魔法を掛けられるものの、幼き頃より高い精神修養を課せられてきた彼らは、その効果が比較的薄い。
やがては迷宮の闇に呑まれて正気を失い、狂気に取り憑かれてゆくのだが、アッシュロードたちの前に現れた集団は、その一歩手前のようだった。
残った三人のうち、アッシュロードの右に位置する武者が飛び退って、呪文の詠唱を開始した。
サムライは前衛職でありながら、魔術師系の呪文も使える “風変わりな闘士” である。
ファンブルであった。
サムライの身分は生まれついての世襲制である。
“侍大将” とはいえ、まだ若輩者だったのだろう。
“火弓” の呪文であったが当然、魔法封じの間では発現しない。
中央の奇妙な面当てを付けた武者が、叱りつけるように振り向く。
ファンブルの連鎖。
あるいは一族郎党だったのかもしれない。
アッシュロードがその隙を見逃すはずもなく、左手の短剣で、その年配者とおぼしき喉首を喉輪ごと刺し貫いた。
さらに横に薙いで半ばを切り飛ばす。
噴き出す鮮血を追い抜いてアッシュロードは踏み込み、狼狽する若い “侍大将” のやはり喉輪を剣で一薙ぎする。
鉄板を見事な漆塗りで仕上げた工芸品のような防具が、中古の数打ち品の刃に断ち割られ、持ち主と同時に生涯を終える。
残りのひとりが背を見せて逃げ出した。
武士に逃走なし――しかし、それも朋輩が見ていればの話だ。
誰も見ていないところで自分より強大な相手と戦って死ぬのは怯懦ではなく、ただの愚者だ。
生き延びて同胞の仇を討ってこその “弓取り” である。
仇を討たれてはたまらないので、アッシュロードはその背中に剣を投げつけてこれを片付けた。
倒れた “侍大将” に近づくと死の痙攣に震える身体を踏みつけて、胸まで貫いた得物を無造作に引き抜く。
「後ろは片づいた。進むぞ」
剣に血振りをくれると、何事もなかったようにアッシュロードは歩き出した。
フェルとパーシャは、その姿を息を飲んで見送った。
性格はともかく、腕の立つ冒険者だとは思っていた。
仮にも熟練者なのだから。
しかし、地下八階の敵――それも “侍大将” はネームドである――を五対一でほぼ一蹴してしまったのだ。
相手に未熟者が含まれていたとはいえ、これはあまりにも一方的だ……。
この男を、アッシュロードを信用することが出来たらどんなに……と “善” の少女たちは思わずにはいられなかった。
アッシュロードはアッシュロードで、まったく別のことを考えていた。
スピードがもっとも重要な要素となる少人数での戦闘では、少しでもミスをした方が一瞬で追い込まれる。
今の戦闘は敵に “とんま” がいたから、一気にケリを付けられた。
望外の幸運だったと言える。
これから先は、このような幸運は望めまい。
アッシュロードたちは今、一区画幅の回廊を東に進んでいる。
この先には扉があり、その向こうは一区画四方の玄室で、他の座標への転移地点がある。
そこに踏み込めば、魔法封じの間は終わりだ。
すなわち、自分たちだけが加護も呪文も使えない戦闘を強いられる。
アッシュロードはいよいよ覚悟を決めざるを得ない。
ここからが本当の地下八階だ。
「この扉の先が最初の転移地点だ。そこで魔法封じの間は終わる。次の戦闘からは敵だけが魔法を使える。覚悟を決めろ」
フェルとパーシャが緊張に蒼ざめた顔で首肯する。
首肯するしかない。
拘束されたアレクはまるで他人事のように、虚ろな表情で壁を見つめていた。
「――よし、行くぞ」
転移直後に魔物と鉢合わせをする危険を考えて、全員がその心構えで扉を潜った。
軽い目眩と共に、一区画四方の玄室にいたはずのアッシュロードたちは、周囲を闇に包まれた広間に立っていた。
「……どうやら、敵はいないみたいですね」
フェルがホッと息を吐き、手の甲で額の冷たく不快な汗を拭った。
「ああ」
頷きながらも、アッシュロードは自分の中に急速に拡がる違和感に戸惑っていた。
何かがおかしい。
だが何がおかしいのかわからない。
そもそも違和感とはそういうものだろう。
違和感とは要するに違いである。
以前にこの場所に来たときと、何かが違うのだ。
何かが違う?
観察して、記憶と重ね合わせて、差異を見つけ出せ。
何が違う?
そしてアッシュロードは、ようやく自分の中の違和感の正体に気がついた。
明かりがないため遠望が効かずに気づきにくかったが、広いのだ、広間が。
高いのだ、天井が。
『迷宮の中は空間が歪んでると言われてる。マップ上では一区画しかない玄室に巨大な “火竜” が何匹も巣くっていて平然とのし歩いてるなんてのはザラだ』
あの日、自分がエバ・ライスライトにいった言葉が脳裏によぎる。
その直後、アッシュロードは叫んだ。
「伏せろっ!」
同時に、轟っ! と玄室の空気が震え、上空から甲高い金属音のような鳴き声が響いた。
肌がビリビリと波立つほどの大気の振動。
咄嗟に伏せた一行のほんの数十センチ頭上を、それは高速で通過していった。
竜の眷属にして、その出来損ない。
竜息も吐けず、身体も小さい。
だが、開けた場所ではその飛翔能力から本家の竜族と同等の脅威と見なされる魔物――。
“翼竜” がアッシュロードたちの上空を旋回していた。
◆◇◆
バタンッ!
十字路に足を踏み入れた瞬間、突然わたしの身体から重力が消失しました。
「――えっ?」
刹那の浮遊感のあとに続く、重力の復活。
まんまと陥穽 ――落とし穴の罠にはまったわたしは、槍の穂先のような鋭い鉄針が待ち構える深い穴の中へと落ちて――。
ガシッ!
「おおっと!!!」
落とし穴の淵から身を乗り出したジグさんが、わたしの右手を両手でつかみました。
しかし、そのジグさんも落下するわたしの重さと衝撃に耐えきれず、わたしの道連れとなって穴の中にへと――。
ガシッ!!
「おおおっと!!!」
そして、そのジグさんの両脚を抱え込むレットさん。
ま、まるで、ずっと昔の漫画のワンシーンのような光景です。
「おい、レット離すなよ……!」
「ああ……! おまえこそな……!」
「あ、ああ……す、すみません……」
深い落とし穴の中でブラブラと揺れながら、謝ります……。
「なあに……ドワーフをつかんでるより、よっぽど軽いぜ……レット、引っ張り上げられるか?」
「なんとか……な……カドモフ、背中を頼むぞ!」
「よかろう」
ジグさんの、レットさんの、そしてカドモフさんの不屈の声が、頭上から聞こえました。
「長耳の畜生ども、“工匠神の髭”にかけて、俺の友たちには指一本触れさせんぞ!」







