赤と黄色★
赤いカーテンに覆われた部屋に、腐った魚をぶちまけたような臭気が充満します。
“深きもの” !
古代の邪悪な海洋神の眷属にして、醜悪な海魚人。
こんな魔物まで生息しているなんて。
もしかしたら泉の中に、転移地点のようなものがあるのでしょうか?
さらにその後ろから続々と現れた、うねうねと蠢く細長い生物。
“海毒蛇” と呼ばれる、海中に生息する毒蛇の一種です。
それが全部で一二匹もいます。
「グルルルッッッ……!」
オウンさんが喉の奥から低い鬨の声を漏らし、“牛人” から奪った処刑人の剣を構えます。
(……相手の敏捷性がわかりません。逃げても追いすがられてしまい、猛毒を受ける危険があります)
“海毒蛇” の牙には、陸の毒蛇よりもさらに強力な毒があるのです。
(結論――先手必勝での殲滅!)
「――やります、オウンさん!」
わたしは叫ぶなりオウンさんの前に出て、左手をにじり寄ってくる魔物の群れにかざしました。
中指に嵌められた魔法の指輪が、ごく短い発動韻によって封じられた魔力を解放すれば、たちどころに一二匹の “海毒蛇” が塵と化しました。
“海毒蛇” のモンスターレベルは4。
不死属でない以上、“滅消” の呪文からは逃れられません。
しかし “深きもの” はまったく意に介することなく、ガラス玉のような無機質な魚眼にわたしたちを映して、近づいてきます。
“深きもの” はネームドです。
「ガウウンッッッ!!!」
『今度は俺の番!』とばかりに、オウンさんが斬りかかりました。
剛剣が風を巻いて振り下ろされます。
「速いっ!?」
それは一瞬の出来事でした。
鉄塊のようなオウンさんの剣が脳天を砕くかと思った刹那、“深きもの” がまるで海中にいるかのような俊敏さで、その一撃を回避したのです。
切っ先のない剣が床を叩き、礫のような破片を飛ばしたときには、異形の海人は逆襲に転じていました。
鋭いかぎ爪が空手の三角蹴りのような機動で、体勢を崩しているオウンさんに襲いかかります。
ですがそこは巨人ながらも、正当な剣術を学び修めているオウンさんです。
咄嗟に身体を捻じって、鎌先のようなかぎ爪から逃れました。
完全には躱しきれず、糸のような細い血の筋が引かれましたが、オウンさんの生命力 なら何ほどのこともないはずです。
ガクンッ!
ですが次の瞬間、力感に溢れていた頼もしい紫の巨体が弛緩し、ズズンッ! と地響きを立てて倒れ伏しました。
「オウンさんっ!」
(麻痺がある!)
わたしは戦棍と盾を構え、まずなにより自分の身を守ることに集中します――せざるを得ません。
オウンさんを治療したくても、その間わたしを守ってくれる人はいないのです。
わたしの麻痺=全滅です!
◆◇◆
「なんだ、これは……?」
盾役 として、真っ先に扉の奥に飛び込んだ隼人が当惑した。
そこは七区画ほどの面積の玄室だったが、異様だったのは壁一面が黄色い緞帳で覆われていたことだ。
「気をつけて。カーテンの奥に隠れてるかもしれないわ」
愛刀の柄に手を掛けながら、佐那子が注意をうながした。
視界内に占有者の姿はなかったが、こんな恰好の隠れ蓑があるのだ。
少し知恵の回る魔物なら、利用しない手はない。
「ず、随分と派手な部屋だな」
大きな身体で恋をかばいながら、月照が引きつった笑いを浮かべた。
瑞穂とはぐれてしまった今、魔術師 である恋を守るのは彼の役目だ。
「な、なんだか気持ちが悪くなりそう……」
その恋が、月照の陰で身体を小さくして呟く。
穏やかなクリーム色やベージュと違い、純粋な黄色は目に突き刺さる。
「……山吹色の部屋とは趣味が悪いぜ」
油断なく短剣 を構えつつ、忍がカーテンに揺らぎがないか視線を走らせている。
パーティが蹴破った入り口の正面に、扉があった。
すぐにでも調べたいところではあるが……。
「まず安全を確認してからだ」
隼人が指示を出しそれからしばらく、一枚一枚カーテンをめくっていく神経のすり減る作業が続いた。
結局、魔物は潜んでいなかった。
「よし、扉を調べるぞ」
安堵と徒労感のない交ぜになった空気が漂う中、隼人がパーティの気を引き締めた。
こんな所でグズグズしているわけにはいかないのだ。
「……」
忍が無言で扉に近づき、調べ始める。
枝葉瑞穂が述懐したように、忍はいろいろと軋轢を生む性格の持ち主だが、盗賊 として自分の仕事を貫徹する姿勢は仲間たちも認めていた。
「……罠はない」
隼人はうなずき、突入を指示した。
パーティは再び武器を構え、視線で合図を送り合い、扉を蹴破り、乱入する。
絶句した。
扉の奥にあったのは、まるで黄金を溶かしたような水を湛えた泉だった。
絶句したのは、その水を見たからではない。
絶句したのは、その水に浮かんでいる、アヒルの土左衛門を見たからだった。







