カーテン★
「こ、これ飲める……のですか?」
わたしの顔が引きつったのは、泉が湛えていたのが血のように真っ赤な水だったからです。
「オウンッ!」
オウンさんはニッコリと大きなひとつ目をつぶってみせると、両手で泉の水をすくってゴクゴクと美味しそうに飲み干しました。
「オウ~~~~~ン!」
そして『パワー!』とばかりに、両手を突き上げます。
「だ、大丈夫そうですね」
それでもおっかなびっくり、いざというときは ”解毒” の加護を願えるよう心構えをしながら、人差し指の先に泉水をちょんと付けました。
ヒリヒリするとかヌメるとか、そういう感触はありません。
「ん~~~~~、――ていっ!」
しばし濡れた指先を見つめたあと、わたしは意を決して口に含みました。
味はしません。
ですがジワジワと微かに甘い味が……。
この味は確かにどこかで……。
次の瞬間、わたしの味覚と記憶がつながりました。
「こ、これは ”雨の妹” さんのお店で売られていた ”レッドポーション” ではありませんか!」
あの無口な女性が売っていた――。
あの心象の街 ”迷宮街” で売られていた――。
あの人と、あの人と一緒に買った――。
「オウン?」
「……………………すみません……大丈夫です、このお水ならわたしも飲めます」
胸に痛いほどに広がった情景に、それだけを言うのがやっとでした。
まったくの不意打ちでした。
赤い水を見たときに思い出すべきでした。
わたしはもう一口二口喉を潤すと、泉に水袋を浸し中身を満たしました。
身体がポカポカと温まってきて、活力が湧いてきます。
”雨の妹” さんが売っていた水薬ほどではありませんが、確かに体力回復の効果があるようです。
もしかしたらあの水薬は、この泉と同種の水を精製したものなのかもしれません。
(それにしても、このカーテンはいったい……)
泉水の効力で落ち着きを取り戻したわたしは、顔を上げて周囲を見渡しました。
鮮血よりもあざやかな真紅の緞帳が、四方すべての壁を覆っています。
赤い泉が湧いている玄室だから赤いカーテン……なのでしょうが、ここにも呪術的・魔術的な不気味さが感じられます。
(マッピングは出来ていませんが、座標だけでも記録しておきましょう)
飲料水を確保できる場所は貴重ですし、それ以外にも秘密があるかもしれません。
また訪れる可能性も十分にあります。
わたしは ”示位の指輪” の力を解放し、現在位置を確認しました。
(…… ”S14、W2 ”)
さすがに不定形の迷宮だけあって、これまでの迷宮では見たこともない座標です。
メモ用の羊皮紙に泉の位置を書き込み、雑嚢に戻します。
「ありがとうございます。お陰でお水どころか水薬が手に入りました。さあ、基点に向かいましょう」
「オウン!」
快活さを取り戻したわたしに、オウンさんがうなずきます。
そうして、わたしたちが泉に背を向けたときでした。
……ベチャ……、
背後で水っぽい音が響きました。
直後に、まるで腐った魚をぶちまけたような異臭が漂います。
『うっ、』と呻いて振り返ったわたしの瞳に飛び込んできたのは、泉の縁に手を掛け這い上がってきた異形の存在でした。
ヌメヌメと黒光りする鱗に全身を覆われた、醜悪な姿。
”認知” の加護が即座にその姿と、記憶の中の知識を結びつけます。
「”深きもの”!」
口から嫌悪感の籠もった名が叫ばれました。
半魚人に似ていますが、非なる者です。
太古の邪悪な海洋神の眷属で、おぞましいことに人間の女性と交わって子を成すことがあります。
その ”深きもの” が一匹、真っ赤な水を滴らせて、水中から這い上がってきたのです。
それだけではありません。
続いてうねうねと蠢く細長い生き物が、水面から次々に姿を現したのでした。
ガラス玉のように色のない魚眼が無機質に、わたしに近づいてきます。
◆◇◆
パーティの視線の先には、鍵のかかった扉があった。
はぐれてしまった枝葉瑞穂と合流するために、階層の始点である縄梯子を目指していたのだが、”巨竜の腸” のようにうねる回廊には穽陥が点在していた。
瑞穂を運び去った巨人ように、落し穴を飛び越えることは不可能だった。
迂回路を探すうちに現れたのが、眼前にある扉である。
「……で、どうするんだ?」
忍が隼人に訊ねた。
通常の探索なら、区域の外縁を固めているなどの理由がない限り、未解放の扉を見過ごすことはない。
だが今の目的は、始点に戻ることだ。
引き返して別の帰路を探すか、それともこの扉の先に賭けてみるか。
判断を下さなければならない。
「開ける」
隼人は即断した。
「……根拠は?」
「引き返したところで迂回路が見つかるとは限らない。その場合はまたここまで戻ってくることになる。時間の無駄だ」
忍は何も言わず、解錠作業に取りかかった。
隼人の結論は合理的で、一時の動揺からは立ち直っているようだった。
ほどなくして鍵は解除された。
全員が武器を構え、突入に備える。
一番大柄な月照が扉を蹴破り、間髪入れずに前衛の三人が雪崩れ込んだ。
「なんだ、これは……?」
盾役 として魔剣と盾を手に真っ先に飛び込んだ隼人が当惑した。
扉の奥は、壁一面が黄色いカーテンで覆われた玄室だった。







