ビッグマン★
足の痒みの癒えた “オウンさん” は、なかなかに紳士的な巨人さんでした。
わたしに余計な振動が伝わらないように、ゆっくり静かに歩いてくれています。
腰を下ろしているオウンさんの肩の高さは三メートルもありますが、これならそれほど怖くはありません。
むしろ巡回興行の観覧車に乗っているようで、楽しくさえあります。
「それにしても……なんて不思議な階層でしょうか」
視界を流れていく幾何学模様の壁面に、楽しさが薄まりました。
浅紫と翡翠色の◆を組み合わせた模様は、見続けていると催眠術にかかってしまうような不安感があります。
強化煉瓦を積んだだけの内壁なら、これまでにも幾度となく目にしてきましたが、ここまで人為的な壁は初めてです。
床にも同じ色の組み合わせのまた別の紋様が描かれていて、まるで呪術的・魔術的な檻に入れられているような気持ちにさえなります。
(この階層自体が、何かしらの儀式的な意味合いがあるのでしょうか?)
“巨竜の腸” のように複雑に絡み合う第三層には、地下迷宮の単なる一階層以上の秘密が隠されているのかもしれません。
(――どちらにせよ、早く隼人くんたちと合流しなければ。今はそれだけに集中するのです)
ここはすべてが幻のように不確かな、一〇〇年後の世界。
先を見すぎても、不安に陥るだけです……。
その時、オウンさんが立ち止まりました。
触れている筋肉が強ばり、緊張しているのがわかります。
どうやら隼人くんたちと合流するまえに、徘徊する魔物と遭遇してしまったようです。
曲がりくねった回廊の角から現れたのは、オウンさんに勝るとも劣らない巨体――。
「“牛人” !」
ギリシャ神話にも登場するこの半人半牛の魔物は、こちらの世界でも “神話系” というカテゴリーに属していて、知能は低いですがそれを補ってあまりある怪力と高い生命力 を誇ります。
その “牛人”が二頭、手に無骨な斬首人の剣を携えて現れたのでした。
「大丈夫です、オウンさん! わたしは強力な魔法の指輪を持っています!」
牛人のモンスターレベルは7。
どんなに強靱な体躯を誇ろうともネームド未満であれば、“滅消” の呪文の好餌でしかありません。
わたしが指輪の嵌まった左手を獰猛に唸る二頭に向けたとき、オウンさんの大きな手がわたしを包み込んで、優しく回廊の床に下ろしました。
そうしてからつぶらなひとつ目を、意味ありげにウィンクします。
「戦ってくれるのですか?」
「オウン!」
どうやら『ここは任せておけ』と言いたいようです。
「そ、そうですか。でも相手は二頭いるうえに武器を持っています。十分に気をつけてくださいね」
騎士道精神?を見せてくれている男性?を強いて止めるわけにもいかず、わたしは大人しく後方に下がりました。
もちろん戦いを注視して、いつでも援護できる態勢をとります。
オウンさんはズシン、ズシンと進み出でると、二頭の “牛人” の前に悠然と立ちました。
身構えもしないその態度が癇にさわったのか。
“牛人” の一頭が獰猛に咆哮すると、大きく裂けた口から涎を吹き零しながらオウンさんに襲いかかりました。
それは一瞬の出来事でした。
オウンさんは振り下ろされた斬首人の剣の真下に踏み込むと、それを握る “牛人” の手首をつかんで無造作に捻じったのです。
ゴギンッ!
胸の悪くなる音が響いて、“牛人” の右手首が異様な角度を向きました。
さらには “牛人” の手から落ちた切っ先の扁平な剣を巧みにキャッチすると、激痛に暴れ狂う牛頭へと振り下ろしたのです。
血しぶきが上がり、憤怒に歪んだ “牛人” の頭部がゴロゴロと床を転がって行きました。
水際だった手際です!
明らかに正式な訓練を積んだ身ごなしで、知能の低い巨人になしえる芸当ではありません。
ビュッ! と血振りをくれると、オウンさんは切っ先の無い剣をもう一頭の “牛人” に向けました。
そこからはもう、一方的すぎて戦いになりませんでした。
同等の体躯に同等の武器。
ですが知性を持ち正式な訓練を積んでいるであろうオウンさんと、本能のままに荒ぶるだけの “牛人” とでは勝負になりません。
オウンさんは残った “牛人” の力任せの一撃を見事に擦り上げると、返す刀でその顔面を叩き割ってしまいました。
「すごい……!」
賛嘆の呟きが漏れます。
「すごい! すごい! すごい! ――すごいですよ、オウンさん!」
わたしは擦れた鋼の焦臭さの漂う中、オウンさんの足下に駆け寄ると、大木のような足をバシバシと叩いて激賞しました。
「オウ~ン!」
オウンさんはまるで『それほどでも』といった感じで、謙遜&照れたように大きなひとつ目を瞑りました。
「どうやらあなたと出会えたわたしは、とても幸運だったようですね。改めてこれからよろしくお願いします」
「オウン!」
オウンさんはうなずき、指先を差し出します。
わたしは自分の太ももほどもある小指の先を、握り返しました。
友情の握手です。
◆◇◆
聖女と巨人の間に信頼が芽生える一方で、彼女を欠くパーティでは剣呑な空気が立ち込めていた。







