狂気の暴走者
ドスンッ! ドスンッ! ドスンッ!
“巨竜の腸” を地響きを立てて暴走する、紫の肌をしたひとつ目巨人。
「きゃーーーーーっっっ!!!」
大きく振られる巨人の左手の親指に、僧衣の背中が引っかかってしまったわたしは、猛烈な振り子運動に曝されて失神寸前です。
(死ぬっ! 死ぬっ! こ、このままでは絶対に死んでしまいます!)
脳味噌が頭蓋骨の内側に叩きつけられての脳挫傷か、はたまた心臓が口から飛び出してのグロテスクな変死か。
どちらにせよ、このままでは長くは持ちそうにありません。
どうにかしてこの状況から脱したいのですが、手を伸ばしても足を跳ね上げても、掴むのは空ばかり、蹴るのは宙ばかりという有様で、要するにジタバタしているだけです。
(ソ、“棘縛” の加護……!)
しかしこの状態では、正確に祝詞を唱えられるかどうか。
ですが、やるしかありません。
そうこうしているうちに、本当に失神してしまうかも。
この状況で意識を失うことは、死と同義語です。
「じ、慈母なる女神――」
ズボッ!!!
その時、振り上げられた親指の先から、ズボッ!!! と引っかかっていた僧衣が外れました。
(ええーーーーーーっっっっ!!!?)
今のわたしの身体には、巨人の暴走による強い慣性がついています。
このまま床に落下したら、落下死ならぬ激突死です。
(そ、そんな壁に叩きつけられたカエルの様な死に方はごめんです!)
「ふんぬーーーーーっっっっ!!!!」
わたしは空中で必死に手足をバタつかせ、幸運にも――本当に幸運にも巨人の頭にしがみつくことが出来ました。
(と言うより、巨人の頭の上に運良く落下したのです~~)
ひとつ目の巨人の頭髪は灰褐色で、魔物がお風呂に入るわけもなく、不潔極まる――と思いきや、意外や意外、汚れや異臭はほとんどなく、むしろ “誰かさん” より清潔なくらいです。
(と、とにかくこれで、少しはまともに祝詞が唱えられます)
一息の半分の半分の半分くらい入れて、加護の嘆願に口を開きかけたとき、
「オウン~……ッ! オウン~……ッ!」
ひとつ目の巨人が爆走しながら、悲しげな声を上げたのでした。
(……え?)
「オウン~……ッ! オウン~……ッ!」
その声はまるで誰かに――わたしに助けを求めているような、憐憫を催す声だったのです。
「あ、あなた、苦しいの? どこか具合が悪いの?」
「オウン~……ッ! オウン~……ッ! オウン~……ッ!」
「わたしは僧侶なの! わかる? 回復役なのよ! 具合が悪いなら癒やしてあげられるかもしれない!」
◆◇◆
突然のアクシデントに、隼人が硬直したのは一瞬だった。
「――瑞穂ーーーっ!!!」
知覚が紫の巨体が幼馴染みを運び去ったのを認識するや、自分の危険も、自分が他の四人のリーダーであることも思考から吹き飛んで、後を追う。
「志摩っ!!」
「志摩くんっ!!」
月照や佐那子の制止も届かない。
「――馬鹿が、穽があるんだぞ!」
忍は吐き捨てると、
「田宮! 安西をカバーしろ! ――志摩を追うぞ!」
体力の劣る恋の補助を佐那子に命じ、自らも駆け出した。
“巨竜の腸” にはところどころ腸穿孔がある。
冷静さを失った隼人がはまり込む前に、襟首をふん捕まえなければならない。
一瞬のうちに最も的確な判断を下した忍は、内心では煮えくり返ってる。
(馬鹿が! 女のことぐらいでキレやがって!)
忍の隼人に対する意識は複雑だ。
強烈な対抗意識がある反面、忍自身のプライドの高さもあって、隼人にはより完璧な存在であることを求めている。
隼人の潜在能力 が最大の60で、自分が37。
あの時、訓練場での能力鑑定の結果を受け、忍の隼人への感情は明確になった。
忍は許せなかった。
自分より高い能力値を示した隼人も、その隼人に負けた自分も。
だから職業 を選ぶときに、迷わず盗賊 を希望した。
他人の目を強く気にする忍が盗賊という、実体はどうあれイメージ的にはふるわない職業を選んだことを仲間たちは意外に思ったが、忍としては当然の選択だった。
隼人が選んだのは成長の遅い君主。
ならば自分が選ぶべきは、もっとも成長の早い盗賊しか考えられなかった。
忍にとって隼人は、密かに超えようと決意した壁だ。
その隼人が幼馴染みの――それも振られた女が目の前から消えた程度で色を失う姿は、許せなかった。
俺ならそんな真似は絶対にしない! とさえ思った。
この上、隼人に穽に嵌まるような醜態を曝させるわけにはいかなかった。
巨人が指先にライスライトを引っかけたまま、大きく跳躍し落し穴を飛び越える。
ほぼ同時に忍は、隼人の背中に怒声を叩きつけた。
「――止まれ、志摩っっっ!!!」
(おまえはその程度の男かっっっ!!!)
我に返ったかのように隼人が急停止し、穽の縁で立ち止まる。
「瑞穂っっっ!!!」
隼人がもう一度、幼馴染みの名を叫んだときには、巨人の姿は回廊の遙か先に消えていた。
地響きが遠ざかっていく。







