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迷宮保険  作者: 井上啓二
第五章 一〇〇〇年王国の怪人
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黄昏の邂逅

「…………空高(ソラタカ)……」


 アッシュロードの口から我知らず、その名が零れた。


 玉砂利と踏み石の敷かれた幅狭な通路の先。

 その日の命を惜しむように暮れなずむ夕日に照らされて、その男は立っていた。

 大時代風の壮麗な宮廷衣装を着た、壮年の男。

 衣装同様、白を基調とした外套(マント)が、赤く燃えている。


 男は波打つ豊かな黒髪の下から、厳しい眼差しを向けていた。

 年の頃はアッシュロードと同年代だろうか。

 若かりし頃はさぞかし美男で、女性に持てはやされただろう。

 だが、かつては中性的だったと思われる容貌(マスク)には年齢以上の歳月が刻まれていて、ともすればアッシュロードよりも老熟して見えた。


 それは対照的なふたりの男の邂逅(かいこう)だった。


 ひとりは純白の豪奢な衣装に身を包んだ、偉丈夫。

 ひとりは擦り切れた黒衣をまとった、みすぼらしい男。


 偉丈夫は周囲を睥睨(へいげい)するように胸を張り、みすぼらしい男は人生に疲れたように猫背気味だった。


 もし対峙する男たちを見た人間がいたならば、ふたりのあまりの違いに憐憫(れんびん)の情を催しただろう。

 片や大貴族。

 片やうらぶれた冒険者風の男。

 同じ世界に生きながら、こうまで境遇に差があるのだから。

 そして次の瞬間、ふたりの姿が()()()に映り、我が目を疑って瞬きをするのだ。

 それは黄昏時(トワイライト)が現出させた錯覚(悪戯)で、ふたりはやはり対照的な男たちだった。


(……ソラタカ? ……俺は今、ソラタカと言ったのか?)


 アッシュロードは油断なく男を見つめながら、自分が漏らした名を反芻した。

 しかし記憶の沼をさらってみても、その名が指先に触れることはない。

 そもそもこんな()()()、一度でも会ったら忘れるはずがない。


 そうなのだ。

 男は手練れ。

 それも一切の隙の無い立ち姿から見て、明らかに熟練者(マスタークラス)に達した前衛職だった。

 こんな古強者を忘れるほど、アッシュロードはそこまで耄碌(もうろく)してはいない。


下賎(げせん)の者にその名を口にされるのは不快なれども――ここは死者たちが眠る場所。不敬は問わぬが故、早々に立ち去るがよい」


 男の声は尊大ですらなかった。

 まるで巨大な氷塊を(ノミ)で荒削りに削り出したように冷たく硬く、ザラついていた。

 向けられた声の底に自分への敵愾(てきがい)を感じて、アッシュロードは戸惑い警戒した。

 敵愾に敵愾で答えれば、それは殺気に変わり、やがて殺意となる。

 互いに護身用の短剣(ショートソード) を帯びていた。

 魂が憩い安らぐ墓所で、訳もわからないまま抜き合いになるのは避けるべきだ。


 なによりはこの墓地は、アッシュロードにとっても厳粛な場所だった。

 意識の奥底で、自分でも理解できない悲痛が告げているのだ。

 ここは “あいつ” が眠る場所だ……と。


 白と黒の両極端の男たちは、互いに無言ですれ違った。

 アッシュロードには予感があった。

 この男とは、いずれ決着をつける時がくると。

 良い予感は当たらず悪い予感ばかりが当たるのが、アッシュロードの数少ない特技である。

 そうであるなら、この予感は現実のものになるだろう。


 墓地を離れるアッシュロードの視界の端に、男が(くだん)の墓標の前にぬかずき持参した花を供えている姿が映った。


◆◇◆


 猫の瞳は迷宮の闇を見通し、猫の鼻は死の臭いを嗅ぎつける。

 三角形の小さな耳はどんな些細な異音も聞き逃さず、六本の髭は微細な空気の揺れを察知する。

 斥候(スカウト)と してなら、猫人(フェルミス)忍者(くノ一)の右に出る者はいないだろう。


 一列縦隊の先頭を行くドーラ・ドラを見て、殿(しんがり)のジグリッド・スタンフィードは思った。

 レベル的にはまもなく肩を並べて、忍者以上に斥候に向いた盗賊(シーフ) でありながら、自分がまだまだドーラには及ばないことを、ジグは自然に理解していた。

 だからアッシュロードに代わってドーラがパーティに加わったとき、わだかまりを覚えることなく彼女に先頭を任せることができた。


 未踏破だった暗黒回廊(ダークゾーン)を調べ、今日で “林檎の迷宮” の第一層は完全に踏破する。

 その心積もりで、“フレンドシップ7” は迷宮を進んでいた。

 迷宮の真の闇では猫人の瞳も役に立たないが、まだ鼻と耳と髭がある。

 今日の目的を達するには、ドーラの能力を最大限に活用する必要があったのだ。


 やがてパーティの行く手に暗黒回廊の入り口、俗称 “漆黒の正方形” が現れた。

 全員が立ち止まった。

 突入に備えるためではない。

 正方形の奥から無数の唸り声が、漏れ響いたからだ。


「――散開(ブレイク)!」


 ドーラが叫んだ直後、暗黒回廊から八本もの炎が伸びた。

 暗闇からの竜息(ブレス)による攻撃は、これまでにも経験があった。

 炎の舌(フレイム・タン)に舐められるよりも速く、六人の練達の探索者は飛び退っていた。

 そして誰もが驚愕していた。


“一階に竜息持ちが生息している!?”


 ――と。



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― 新着の感想 ―
[良い点] なんとなくだけど、この二人が合うことはないと思ってた……というか同じ時間軸に存在してないと思ってました。特にそういう描写があったわけじゃないですが。 この二人、どうなるのか。戦うことに?
[一言] 流石にここではやらないですか。 貴理子が悲しみますからね。 ブレス8本、まともに食らったら熟練者PTでも全滅する可能性ありますね。 コインじゃない限りw
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