廃工房の激闘③★
「――あったか?」
「いや、駄目だ――そっちはどうだ?」
「こっちもそれらしい物は見当たらない」
隼人くんが埃に塗れた顔を上げ、手分けして玄室を調べる仲間に問えば、口元を布きれで押さえた早乙女くんと田宮さんが、くぐもった声で答えました。
湿度が高く湿っているとはいえ、それでも三〇年にわたって厚く堆積した埃は歩く度に、物を動かす度に飛び散ります。
わたしはガラクタを漁る手を休め、チラリと玄室の隅に視線を走らせました。
安西さんが壁際の朽ちた炉に腰を下ろして、ぐったりとしています。
皆と同じように口元をできるだけ清潔な布で覆い、うつむかせた顔には色濃い疲労が浮かんでいました。
元々体力の伸びにくい魔術師 なうえに、喘息の持病もあります。
いつ発作を起こすかもしれない悪環境での探索は精神的な負担となって、普段に増す消耗を強いているのでしょう。
「安西さん、これを」
わたしは彼女の元に歩み寄ると、左手から指輪をひとつ抜き取り差し出しました。
「え、これって……」
「“癒しの指輪” です。身につけていれば多少は楽になるでしょう」
「でも、これは……」
掌で輝く飾り気のない金の指輪を見て、安西さんが戸惑った表情を浮かべます。
「ええ、借り物です。ですから差し上げるわけにはいきません。元の時間に戻れたら返してください」
「……いいの? これはあの人の物なんでしょう?」
「まだふたつありますから」
そういって『いいでしょ!』と言わんばかりに、指輪が載っている掌とは反対の手を見せます。
人差し指と中指に、大粒の宝石が象嵌された指輪と、怖ろしい集団殲滅の魔力が封じられた銀の指輪が光っています。
「………………」
「? どうしました?」
「……受け取れないよ。わたし、あなたに酷いことを……」
安西さんが再びうつむき、後悔の滲む声で呟きました。
銀色の扉の前でのことを言っているのでしょう。
わたしがそれについて答えかけたとき、
ズヂャンッッ!
もはや何度目かわからない衝撃が、三つ目の玄室の扉を叩きました。
「話はあとで! 早く指輪を!」
一気に緊迫したわたしの表情に、安西さんはすぐさまうなずき指輪を左手の指に嵌めました。
彼女とて古強者に近い探索者なのです。
迷宮で生き残るために必要なことは何か、十分過ぎるほどに理解していました。
「隼人くん、ここが探索限界点です!」
わたしは素早く土埃上の戦棍と盾を拾い上げると、叩きつけるように進言します。
迷宮で生き残るための鉄則。
それは進むにしろ退くにしろ、一切の躊躇をしてはならないということ。
敵を倒すときは徹底して打ち倒す。
逃げるときは脇目も振らずに一目散に逃げる。
生き残ると決めたら、たとえ魔物の死肉を口にしてでも生き残る。
そして今は躊躇なく退くときです。
「わかってる――隊伍を組め! 突破して撤収だ!」
「八分の三か……さすがに全部とはいかなかったな」
短剣 を逆手に構えながら、五代くんが独り言ちました。
八つある廃工房のうち、三つしか調べられなかったという意味でしょう。
「なんだ、見かけによらず随分と楽天家だったんだな! 俺は最低二回は来ることになると思ってたぜ!」
「二回でも三回でも、生きていればまた来れるわよ!」
「――安西?」
「だ、大丈夫、まだ少しなら行けるよ」
「“滅消” が効けばよかったのですが」
この工房跡は “氷霊” と “泥人形” の巣です。
“氷霊” は解呪 でどうにかなりますが、“泥人形” はネームド以未満であっても生物でないため、“滅消” で消し去ることができないのです。
「いい経験値稼ぎだ!」
頼もしげに言い放ち、魔剣を構える隼人くん。
彼もまた古強者と呼んで差し支えのない探索者なのです。
「ここを突破したら――」
「「「「「突破したら?」」」」」
「真っ先に温泉に行きましょう」
わたしの提案に皆がニヤリと笑ったとき、扉が破られ “泥人形” の群れが押し入ってきました。
聖職者が守りの加護を嘆願し、魔術師が暗闇の呪文を唱えれば、前衛が雄叫びを上げて突撃します。
侵入してくる “泥人形” に対し、隼人くんを中心に田宮さん、五代くんが扉の前で迎え撃ちます。
半包囲の陣形です。
巨体と知能のなさが災いして、“泥人形” は一体ずつでしか玄室に入ってはこられません。
残りはその後ろで、押し合いへし合いしているだけです。
隼人くんは各個撃破で素早く数を減らし、新手が起動してくる前に走り抜けるつもりでしょう。
「破っ!」
裂帛の気合いで田宮さんが刀を振り抜けば、“泥人形” の丸太のような腕が断ち切られ、再び泥濘となって床に落ちます。
隼人くんの魔剣も負けてはおらず、もう片方の腕を切り飛ばしました。
五代くんの姿はいつの間にか、視界から消えています。
それでも練達の域に達しつつある隼人くんたちは、瞬く間に最初の一体を土に還し、続く二体目にも大きなダメージを与えていました。
(モンスターレベルは5~6、装甲値1~0、生命力40~50、被ダメージは30~40)
わたしはできるだけ冷静に “泥人形” を観察し、能力を分析します。
そして結論――。
(生命力を最大値近くで保っておけば、今のわたしたちならそれほど怖い相手ではありません!)
「早乙女くん、前衛の生命力を最大値に保ってください! “いいの” をもらわない限り大丈夫です!」
「おう!」
しかし “神璧” の加護に守られた隼人くんと田宮さんは、それからも “いいの” をもらうことなくすべての “泥人形” を打ち倒し、血路を拓くことに成功しました。
「よし、走れ!」
玄室から出てしまえばあとは守護者を振り切って、工房跡から脱出するだけです。
“泥人形” はわたしたちを探知するたびに次々に起動しましたが、逃げに徹した探索者を補足することは出来ません。
(見えた! 出口です!)
巨木のような腕を掻い潜ってひた走るわたしたちの視界に、廃工房の出口が映りました。
魔魅の瞬間です。
張り詰めていた鋭気がほんの一瞬緩み、わたしたちは魔に魅入られました。
その惰気を衝いて、横合いから突然飛び出してきた青黒い影。
「ぐがっ!!?」
早乙女くんが振り抜かれた長剣の一撃を受け、吹き飛ばされました。
(“氷霊”!? いえ――)
「“亡者戦士”!」
浮かび上がる骸骨のような姿。
なんの感情もない真っ黒に落ちくぼんだ眼窩が、凹んだ胸当てを上に倒れ込んだ早乙女くんを見据えています。
「早乙女くん!」
わたしは早乙女くんと “亡者戦士” との間に割って入ろうとしましたが、間に安西さんがいたため叶いませんでした。
前を走っていた隼人くん、田宮さんもすぐには対応できません。
残る安西さんは魔術師です。
呪文を唱える間もなしに、咄嗟に骸骨の剣を防ぐ術などあるはずもなく。
驚愕と恐怖に見開かれる早乙女くんの瞳。
その頭上に錆びてなお鋭さを保つ剣が振り下ろされようとした刹那、“亡者戦士” の眉間から鈍く光る刃が生えました。
「油断してんじゃねえぞ、現実家」
隠れる からの不意打ち 。
忽然と現れ骸骨を屠った五代くんが、早乙女くんを見下ろします。







