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迷宮保険  作者: 井上啓二
第五章 一〇〇〇年王国の怪人
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廃工房の激闘②

 触覚を含む運動感覚が麻痺(パラライズ)し、瞬きどころか眼球すら動かせないまま、わたしは土埃が厚く堆積する石畳の床に倒れ伏しました。

 痛覚も麻痺しているため、痛みはまったくありません。

 それがまるで自分の身体ではないようで、逆に恐怖がいや増します。


(大丈夫……大丈夫……。

 視覚は正常……。

 臭いも感じます……だから多分、味覚も正常……。

 でも何も聞こえない……聴覚が麻痺している……)


 わたしは恐怖(フィア)恐慌(アフレイド)に移行しないように、必死に自分の状態(ステータス)を分析しました。

 思考を集中させることで、冷静さを取り戻すのです。


 運が良かったと言うべきでしょう。

 “氷霊(アイス・ファントム)” の麻痺は、それほど深く浸透しませんでした。

 もし麻痺が心臓まで達していたら、ショック死していたところです。

 幽霊たちはそうやって、生命力の弱い人を自分たちの仲間に引きこむのですから。


(でも……このまま追撃を受ければ、今度こそ心臓が止まってしまうかもしれませんね……)


 再び恐怖が身心を支配しようと膨らみ始めます。

 ですが今のわたしに出来ることはありません。

 あとはもう仲間たちを信じるだけです。


 その時、身体の深奥に温かな波動が沸き起こり、全身に拡がり始めました。

 

「……葉……葉――枝葉っ!」


 波動が伝播するにつれて聴覚が戻ってきます。


「早乙女く――ケホッ! ケホッ!」


 わたしはガバッと身を起こし、その拍子に土埃を吸い込んで激しく噎せました。


「……よかった…… “痺治(キュア・パラライズ)” ……間に合ったのですね……」


「ああ、ギリギリな! まったくおまえは凄い回復役(ヒーラー)だよ!」


 涙目なわたしを早乙女くんが激賞してくれました。

 背中をさすってくれている手が痛いぐらいです。


「――気をつけてください! “氷霊” の攻撃は後衛に届きます!」


 まだ呼吸は苦しかったですが、構ってはいられません。

 見るとわたしに忠告されるまでもなく、田宮さんが安西さんを背中にかばって、天井付近を飛び回っている “氷霊” を睨んでいました。

 こうなってはラーラさんに譲られた自慢の愛刀も届きません。

 隼人くんや五代くんの(ロングソード)短剣(ショートソード) 同様です。


「かえって好都合です――早乙女くん、お返しをしてやりましょう!」


「おうともさ!」


 打てば響くように答えると、早乙女くんはわたしに重ねて朗々と祝詞(しゅくし)を唱えました。


「慈母なる女神 “ニルダニス” よ――!」「厳父たる男神 “カドルトス” よ――!」


 祈りの言葉こそ違いますが、帰依する神に哀れな魂魄への安らぎを求める祝祷(しゅくとう)が捧げられると、ふたりの聖職者の中から清浄無垢な風が沸き起こります。

 解呪(ディスペル) の風に包まれた “氷霊” は宙空で硬直すると、一瞬だけ実体(エクトプラズム)と化し、さらさらと崩れ去りました。


「「灰は灰に……塵は塵に……」」


 わたしと早乙女くんが、同時に聖印を切ります。


(どうか安らかに眠ってください)


「まさか直接後衛に攻撃(バックアタック)してくるなんてな――枝葉、平気か?」


 隼人くんが魔剣を鞘に納めながら、訊ねました。


「ダメージそのものは微々たるものでしたし、それもすぐに回復するでしょう」


 左手の指に嵌められた魔法の指輪が、すでにわたしを完治させつつあります。


「そうだったな」


 隼人くんが複雑な表情でうなずいたとき、


 ズチャンンッッ!


 玄室の扉に、重く水っぽい衝撃が叩きつけられました。


「“泥人形(ゴーレム)” だ! 今の騒ぎでまた起動しやがった!」


 五代くんが鞘に収めた短剣を再び抜き放った瞬間、頑丈な扉がメリメリと音を立てて破られ、土塊(つちくれ)でできた巨体が押し入ってきました。

 しかも一体ではなく三体も。


「これは忙しくなりそうですね」


 わたしは土の味のする唇をペロリと舐めました。


「やるぞ! こうなれば土に還して、復活するまでに部屋を調べるだけだ!」


 隼人くんが決然と叫べば、全員が即座に態勢を整えました。

 “泥人形” は無限に湧き起こりますが、一度壊してしまえば復活までに相応の時間が掛かります。

 おそらくあの大きさの人型を成すには、かなりの量の地霊を吸い上げなければならないのでしょう。

 そのタイムラグこそが、わたしたちの狙い目であり勝機なのです。


(……問題は相手が、とどのつまりは泥の塊だということです)


 泥の――土の塊だけあって、呪文にも加護にも炎にも氷にも、もちろん致死(酸欠)にも、高い靱性(じんせい)を持っています。

 動きは鈍いですが質量があるだけあって一撃が重く、“いいのを” もらってしまうと大きなダメージを受けてしまいます。

 守りを固めて一体一体物理攻撃で倒していくのが定石(セオリー)ですが、闘争の騒ぎに反応して他の “泥人形” が起動するかもしれません。

 長引くとじり貧です。


「下がって!」


 勝敗の天秤を大きく傾けたのは安西さんでした。

 韻を踏み印を結ぶと、鈍重な動作で迫り来る “泥人形” たちに向かって呪文を投げつけました。

 前を固めるわたしたちを追い越していく、強い冷気。


(“凍破(ブリザード)”!)


 ですが “泥人形” には強い耐性が――。


「――通った!」


 目を見張るわたしの前で、三体の “泥人形” が見る見るうちに氷に覆われます。

 “泥人形” たちはそれでもなお前進しようとしますが、床に凍り付いた足を無理に動かそうとしたため、次々に膝から下を砕け散らせてしまいました。

 水分を含んだ泥濘(でいねい)の身体とはいえ、実に八〇パーセントもの抵抗力を持つ相手すべてに、安西さんは魔法を通したのです。


「い、今!」


 殊勲の安西さんが叫んだ直後、新鮮な空気を求めて喘ぎました。


「ぶち壊せ!」


 隼人くんの檄が飛び、安西さんを除く全員が武器を手に吶喊します。

 鈍い動きはますます緩慢になっていますが、それでも不意の一撃をもらわぬように十分に注意しつつ、わたしは “泥人形” に戦棍(メイス)を叩きつけました。

 まるでツンドラの凍土のような硬さでしたが、下手に柔らかいよりも衝撃が伝わるはずです。

 だからこういう相手には、剣よりも刀よりも戦棍です。

 だから――。


「このっ! このっ!! このぉっ!!!」


 掌が痺れ痛むのも構わずに、めったやたらと打ち続けます。

 やがて右腕に乳酸菌がたまり、筋疲労でこれ以上は動かせなくなったとき、三体の “泥人形” は完全に土に還っていました。

 わたしたちは疲れた身体に鞭打ち、守護者が復活する前に朽ちた工房を調べます。

 しかし無常にも、役に立ちそうな物は見つかりません。


 八つの廃工房のうち、最初のひとつは外れだったのです。



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― 新着の感想 ―
[一言] アンデットを灰にしたあと、泥人形を泥にもどしたんですねw
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