廃工房の激闘②
触覚を含む運動感覚が麻痺し、瞬きどころか眼球すら動かせないまま、わたしは土埃が厚く堆積する石畳の床に倒れ伏しました。
痛覚も麻痺しているため、痛みはまったくありません。
それがまるで自分の身体ではないようで、逆に恐怖がいや増します。
(大丈夫……大丈夫……。
視覚は正常……。
臭いも感じます……だから多分、味覚も正常……。
でも何も聞こえない……聴覚が麻痺している……)
わたしは恐怖が恐慌に移行しないように、必死に自分の状態を分析しました。
思考を集中させることで、冷静さを取り戻すのです。
運が良かったと言うべきでしょう。
“氷霊” の麻痺は、それほど深く浸透しませんでした。
もし麻痺が心臓まで達していたら、ショック死していたところです。
幽霊たちはそうやって、生命力の弱い人を自分たちの仲間に引きこむのですから。
(でも……このまま追撃を受ければ、今度こそ心臓が止まってしまうかもしれませんね……)
再び恐怖が身心を支配しようと膨らみ始めます。
ですが今のわたしに出来ることはありません。
あとはもう仲間たちを信じるだけです。
その時、身体の深奥に温かな波動が沸き起こり、全身に拡がり始めました。
「……葉……葉――枝葉っ!」
波動が伝播するにつれて聴覚が戻ってきます。
「早乙女く――ケホッ! ケホッ!」
わたしはガバッと身を起こし、その拍子に土埃を吸い込んで激しく噎せました。
「……よかった…… “痺治” ……間に合ったのですね……」
「ああ、ギリギリな! まったくおまえは凄い回復役だよ!」
涙目なわたしを早乙女くんが激賞してくれました。
背中をさすってくれている手が痛いぐらいです。
「――気をつけてください! “氷霊” の攻撃は後衛に届きます!」
まだ呼吸は苦しかったですが、構ってはいられません。
見るとわたしに忠告されるまでもなく、田宮さんが安西さんを背中にかばって、天井付近を飛び回っている “氷霊” を睨んでいました。
こうなってはラーラさんに譲られた自慢の愛刀も届きません。
隼人くんや五代くんの剣や短剣 同様です。
「かえって好都合です――早乙女くん、お返しをしてやりましょう!」
「おうともさ!」
打てば響くように答えると、早乙女くんはわたしに重ねて朗々と祝詞を唱えました。
「慈母なる女神 “ニルダニス” よ――!」「厳父たる男神 “カドルトス” よ――!」
祈りの言葉こそ違いますが、帰依する神に哀れな魂魄への安らぎを求める祝祷が捧げられると、ふたりの聖職者の中から清浄無垢な風が沸き起こります。
解呪 の風に包まれた “氷霊” は宙空で硬直すると、一瞬だけ実体と化し、さらさらと崩れ去りました。
「「灰は灰に……塵は塵に……」」
わたしと早乙女くんが、同時に聖印を切ります。
(どうか安らかに眠ってください)
「まさか直接後衛に攻撃してくるなんてな――枝葉、平気か?」
隼人くんが魔剣を鞘に納めながら、訊ねました。
「ダメージそのものは微々たるものでしたし、それもすぐに回復するでしょう」
左手の指に嵌められた魔法の指輪が、すでにわたしを完治させつつあります。
「そうだったな」
隼人くんが複雑な表情でうなずいたとき、
ズチャンンッッ!
玄室の扉に、重く水っぽい衝撃が叩きつけられました。
「“泥人形” だ! 今の騒ぎでまた起動しやがった!」
五代くんが鞘に収めた短剣を再び抜き放った瞬間、頑丈な扉がメリメリと音を立てて破られ、土塊でできた巨体が押し入ってきました。
しかも一体ではなく三体も。
「これは忙しくなりそうですね」
わたしは土の味のする唇をペロリと舐めました。
「やるぞ! こうなれば土に還して、復活するまでに部屋を調べるだけだ!」
隼人くんが決然と叫べば、全員が即座に態勢を整えました。
“泥人形” は無限に湧き起こりますが、一度壊してしまえば復活までに相応の時間が掛かります。
おそらくあの大きさの人型を成すには、かなりの量の地霊を吸い上げなければならないのでしょう。
そのタイムラグこそが、わたしたちの狙い目であり勝機なのです。
(……問題は相手が、とどのつまりは泥の塊だということです)
泥の――土の塊だけあって、呪文にも加護にも炎にも氷にも、もちろん致死にも、高い靱性を持っています。
動きは鈍いですが質量があるだけあって一撃が重く、“いいのを” もらってしまうと大きなダメージを受けてしまいます。
守りを固めて一体一体物理攻撃で倒していくのが定石ですが、闘争の騒ぎに反応して他の “泥人形” が起動するかもしれません。
長引くとじり貧です。
「下がって!」
勝敗の天秤を大きく傾けたのは安西さんでした。
韻を踏み印を結ぶと、鈍重な動作で迫り来る “泥人形” たちに向かって呪文を投げつけました。
前を固めるわたしたちを追い越していく、強い冷気。
(“凍破”!)
ですが “泥人形” には強い耐性が――。
「――通った!」
目を見張るわたしの前で、三体の “泥人形” が見る見るうちに氷に覆われます。
“泥人形” たちはそれでもなお前進しようとしますが、床に凍り付いた足を無理に動かそうとしたため、次々に膝から下を砕け散らせてしまいました。
水分を含んだ泥濘の身体とはいえ、実に八〇パーセントもの抵抗力を持つ相手すべてに、安西さんは魔法を通したのです。
「い、今!」
殊勲の安西さんが叫んだ直後、新鮮な空気を求めて喘ぎました。
「ぶち壊せ!」
隼人くんの檄が飛び、安西さんを除く全員が武器を手に吶喊します。
鈍い動きはますます緩慢になっていますが、それでも不意の一撃をもらわぬように十分に注意しつつ、わたしは “泥人形” に戦棍を叩きつけました。
まるでツンドラの凍土のような硬さでしたが、下手に柔らかいよりも衝撃が伝わるはずです。
だからこういう相手には、剣よりも刀よりも戦棍です。
だから――。
「このっ! このっ!! このぉっ!!!」
掌が痺れ痛むのも構わずに、めったやたらと打ち続けます。
やがて右腕に乳酸菌がたまり、筋疲労でこれ以上は動かせなくなったとき、三体の “泥人形” は完全に土に還っていました。
わたしたちは疲れた身体に鞭打ち、守護者が復活する前に朽ちた工房を調べます。
しかし無常にも、役に立ちそうな物は見つかりません。
八つの廃工房のうち、最初のひとつは外れだったのです。







