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迷宮保険  作者: 井上啓二
第五章 一〇〇〇年王国の怪人
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気づかない悲しみは、悲しみなのか

()()()は、また心配事が増えてしまったニャね」


 心配そうに自分を見上げるつぶらな瞳に、マグダラは微笑んだ。


「いいえ、ノーラ。こうしてあなたが側にいてくれるお陰で、わたしの心は穏やかでいられます。あなたの方こそドーラと一緒にいられなくて寂しいのではありませんか? あなたが望むなら “神竜亭” にすぐに送らせてもいいのですよ?」


「マンマはエルミナーゼ様のきゅーしゅつに忙しいニャ。でもそれがマンマの任務ニャ。そしてここでへーかをお慰め? お慰み? するのがニャーの任務ニャ。だからその心配が一番無用ニャ」


 うんうん、とうなずいて見せるノーラ。

 その後ろに並び立つ、蛙と熊の生きた彫像(リビング・スタチュー)も同様に首肯している。

 お慰めとお慰みでは意味が真逆なのだが、とにかく子猫人の言うとおり、このひとりと一匹と一頭の役目は女王の心痛を紛らわせることであり、だからこそこうして私室への立ち入りを許されているのである。

 身辺に慰め役の道化師を置いていないマグダラのために、母親のドーラが特に勧めたのだ。


 一人娘のエルミナーゼが連れ去られただけでもマグダラの胸は張り裂けんばかりなのに、目を掛けていた志摩隼人たちのパーティ、さらにはリーンガミルの人々には現人神にすらなりえる聖女エバ・ライスライトまでもが行方不明になってしまったのである。

 マグダラの心中はいかばかりか。

 本人が思っているよりもはるかに、子猫人ノーラの役割は重大だった。


「あなたは強い子ですね。さすが “鷹風” の称号を持つドーラ・ドラの娘だけあります」


「? “たかかぜ” ってなんニャ?」


「あらあら、ドーラから教えてもらってはいなかったのですか? 忍者にはその実力によって様々な称号があります。(マスター・ドラゴン)西風マスター・ウエスト・ウィンド(マスター・サマー)――。

 鷹風マスター・ホーク・ウィンド は、その中でも達人(ハイ・マスター)に次ぐ実力の者に与えられる、名誉ある称号ですよ」


「にゃんと!? それは初耳ニャ!? やっぱりニャーのマンマは凄いニャッ! さすがマンマ! マスターくノ一ニャッ!」


 大好きな母親を褒められ、ノーラの心配こそ晴れた……かに見えた。

 しかし、それも一瞬のことだった。


「……」


「どうしたのです?」


「エバにも教えてあげたかったニャ……」


 シュン……と沈んでしまったノーラ。

 行方不明の友だちを思い出して、ひとり盛り上がってしまった自分を恥じているようである。


「エバはアッシュドーロが大好きにゃんニャ……アッシュに会えないエバが可哀想ニャ……淫魔(インキュバス)夢魔(サッキュバス)の罠に掛かったときも、エバはアッシュのお陰で助かっニャのに……」


「それはどういう……?」


「アッシュは今よりもずっと若くて、“ミチユキ” って呼ばれてたニャ……淫魔たちはアッシュのことをエバの守護者(ガーディアン)って言ってたニャ」


 マグダラの瞳が見開かれた。

 今の子猫人の言葉で、すべての点がつながった。

 二〇年抱き続けてきた疑問のすべてが氷解した。

 かつての事象のすべてが腑に落ち、すべてが納得できた。

 マグダラ・リーンガミルはあの時、灰原道行に何が起こったのか、ようやく理解した。


「…………そう、そういうことだったのですか。あの時の “召喚” は彼女が……」


 二〇年前、“呪いの大穴” の四層で “魔界犬(いぬ)” の奇襲を受け全滅寸前に追い込まれた彼女たち。

 その彼女たちを救ったのが、全員が最低の潜在能力(ボーナスポイント)5の “持たざるもの” で構成されていたことから、嘲りを込めて “五つ星(ファイブスターズ)” と呼ばれていたパーティ。

 主力であるマグダラのパーティや、その支援に当たる有力パーティに何かあったときに出動する回収部隊。

 一軍でも二軍でもない、三軍。

 その予備の予備を率いていたのが、当時はまだ魔術師(メイジ) だったグレイ・アッシュロード―― “ミチユキ(灰原道行)” だった。


 その時までマグダラは、彼らを侮っていた。

 より正確に言うなら、哀れみ気遣っていた。

 潜在能力で一〇倍以上、“勇者” や “剣聖”さらには “賢者” の聖寵・恩寵を持つ彼女たちでも苦戦する魔の迷宮である。

 才能に恵まれない彼らが、早晩 “苔むした墓” を建てるのは目に見えていた。

 しかし広く国内外に王子(アラニス)の捜索の冒険者を募ってしまった以上、彼らだけを拒絶するわけにもいかず、マグダラは心に壁を造り冷然とした態度を採ることで、喪失の痛みに備えるしかなかった。


 二〇年前、“僭称者(役立たず)” によってすべてを奪われたマグダラの前に現れた、六人の転移者(異邦人)

 そのうち五人は冒険者としての才知に溢れ、“呪いの大穴” に呑まれた弟王子アラニスを探すため、彼女とパーティを組むことになった。

 ミチユキだけが違った。

 彼だけが潜在能力にも聖寵にも恵まれず、友人たちと行動を共には出来なかった。


 それでもミチユキは迷宮に潜らなければならなかった。

 彼にもプライドがあった。

 双子の弟や幼なじみの娘、学友たちが命がけで迷宮に挑む中、彼だけが地上に残ることはできなかった。

 だから自分と同じ才能に恵まれぬ、誰からも相手にされない不遇な者たちを集めて “五つ星” を結成した。

 マグダラは、そんなミチユキを哀れんだ。

 哀れみ、気の毒に思い、心の内で気遣った。


 だがミチユキは “持たざるもの” ではあったが、決して弱き者ではなかった。

 彼は常に考え、策を巡らし、魔物を――迷宮を出し抜き続けた。

 自分たちよりも力量に勝るパーティが次々と迷宮で朽ちていく中、ミチユキのパーティはしぶとく生き残り続けた。

 いつしかリーンガミル最弱のパーティと言われていた彼らは、一端の冒険者と認められるようになり、さらには一角の古強者として知られるようになった。


 マグダラは瞠目せざるを得なかった。

 そしてミチユキを見損い、彼を哀れみの視線で見ていた自分を恥じた。

 表面上の冷淡な態度こそ変わらなかったが、彼女はミチユキに尊敬の念を抱いた。

 それからほどなくして、ついに探索の先頭を走っていたマグダラたちに、ミチユキらが追いつくときがきた。

 “魔界犬(いぬ)” の奇襲を受け、進退窮まった彼女たちを迷宮の暗部から救い出したのは、ミチユキたちだった。


 ――そして。


 異変は、ふたつのパーティが地上に生還を果たした直後に起こった。

 縄梯子を登り切り、マグダラが久方ぶりの陽光に目を細めたとき、突然ミチユキが倒れたのだ。

 目を見開いたまま、一瞬で魂を抜かれたように。

 マグダラのパーティの一員であり、ミチユキの幼なじみでもあるキリコが駆け寄り狂乱して泣き叫んだ。

 やはりパーティの一員で “勇者” の聖寵を持つ双子のソラタカが、そんなキリコをミチユキから引き離す。


 ミチユキはすぐに “ニルダニス大聖堂” に運ばれ高位の聖職者たちの診察を受けたが、どの司祭たちもまるで原因がつかめなかった。

 頭を抱える高僧たちのを尻目に、ミチユキの身体からは明らかに精気(エナジー)が失われていった。

 まるで見えない不死属(アンデッド)によって吸精(エナジードレイン) を受け続けているようだった。


 唯一 “賢者” であるマグダラだけが、聖職者だけでなく魔術師の視点でミチユキの容態を診ていた。

 彼女はミチユキの精神()が何者かに “召喚” されたのではないかと推察し、その魂が召喚先で危機に瀕しているからこそ、残された身体もまた衰弱しているのではないかと考えた。

 そうだとするなら、一刻の猶予もなかった。

 ミチユキは一秒毎に死に近づいている。

 別の次元に召喚された彼の魂が死に到る前に、“召()” の儀式を執り行わなければならない。


 だがもし彼女の診立てが間違っていれば、弱ったミチユキの身体は儀式の負荷に耐えきれず、灰となってしまうだろう。

 他次元に魂が召喚されたまま身体が灰になれば、それは消失(ロスト)に他ならない。

 だが他の次元で魂が死んでも、やはり消失だ。


 マグダラは決断を迫られ、判断を下した。

 “召還” の儀式は執り行われ、ミチユキは意識を取り戻した。

 しかし他次元の記憶――心の旅の記憶は、彼にはなかった。

 誰によってどんな世界に召喚され、どんな体験をしてきたのか。

 ついぞミチユキが思い出すことはなかった。

 ただそれ以降、元々寡黙だったミチユキはますます無口になり、常にぼんやりと考え込むようになった。

 どこかに置き去りにしてきてしまった記憶を……。


(……エバ・ライスライトが、ミチユキを守護者(ガーディアン)として自らの世界に召喚した)


 マグダラは心の内で、もう一度独りごちた。

 謎は解けた。

 理解もし、納得もした。

 だが彼女の気分が晴れたわけではない。


「ニャッ! ニャッ! ニャッ!」


 ノーラが肉玉の柔らかな両手で口を押さえて、大慌てでその場で駆け足をした。


「失敗ニャッ! 失言ニャッ! これは言っちゃ駄目にゃことニャッ! 秘密にするって、トリニテェイと約束したニャッ!」


「わかっています、ノーラ。このことは決して誰にも言いません。言えばミチユキ……アッシュロード卿と聖女さまが、とても苦しむことになるでしょうから」


「そ、そうしてもらえると助かるニャッ……」


 マグダラは優しくノーラの頭を撫で、猫人の幼女を安心させてやった。

 そして思った。

 今の彼は、忘れたことすら忘れてしまっている。

 熾天使(セラフ)ガブリエルが施し直した記憶の封印は、かつて自分が施した封印よりも遙かに強力なはずだ。

 もしかしたら思い出せたかもしれな聖女との記憶も、もはや取り戻すことはできないだろう。

 またしてもミチユキは自分では気づかない……気づけない悲しみを背負ってしまったのだ……。


 コンコン、


『メリッサです。夜分に失礼いたします』


「お入りなさい」


 ガチャッ、


「失礼いたします」


「どうかしましたか?」


「吉報です。“神竜亭” のハンナ・バレンタインから報告がありました。アッシュロード卿のパーティが第一層の試練を突破して、“伝説の鎧” を手に入れたようです」



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― 新着の感想 ―
[一言] マグダラ、ギリギリなんですね。 これでグレイが倒れたりしたらどうなることやら……。 伝説の鎧撃破で少しは解消されてほしいです。
[一言]  本人がどう思っているかなんて関係なしに「伝えないほうがいい」と勝手に忖度しやがって……  周りの事情を知る人たちがエヴァとアッシュを引き離してるようでつらい。
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