自警団
「馬鹿っ! おまえは女だろうが!」
銀色の扉の透して迫りくる跫音に、五代くんが安西さんを叱り飛ばしました。
叱責の意味を悟り、蒼ざめ言葉を失う安西さん。
沸き起こった女性としての恐怖が、混乱を上回ったのです。
「逃げよう! 下だ!」
「駄目です! 途中で梯子を落とされたら、わたしたちは全滅です!」
階下に逃亡しかけた早乙女くんを、口調鋭く引き留めます。
脅威が接近している最中に縄梯子を下りるのは最悪の手段です。
「じゃあ、どうするんだ!? 戦うのか!?」
わたしはそれにも頭を振りました。
「数が多すぎます。足音からして一〇人以上はいるでしょう。ショートさんの話では、ここを拠点にしている自警団はネームド以上の力量があるようです。逃亡できないこの玄室では皆殺しにされます」
第二層へ垂れている縄梯子を除けば、出入り口は銀の扉のみ。
いったん剣を交えれば、どちらかが全滅するまで戦うしかなくなります。
そして一度血を流してからでは、降伏してもその未来は明るくはないでしょう。
「おまえたちだけでも」
隼人くんが、パーティの三人の女性を揺れる瞳で見ました。
「わたしたちが女であることを印象づけるだけでしょう。今となっては彼らの理性を信じるしかありません」
再び顔を左右にしたわたしに、隼人くんは押し黙りました。
「冷静に……とは言いません。ただ歯を食いしばっていてください」
わたしは後悔と罪悪感と恐怖にカタカタと震える安西さんに、厳しい眼差しを向けました。
優しい言葉や表情を向ける余裕は、わたしにもありません。
「――皆さん、決して早まらないでください」
わたしはあの人の渉外担当。
この程度の状況を乗り切れなくてどうするというのですか。
ガチャン!
そして武具のがちゃつく乱雑な音が最高潮に達したとき、解錠音と共に銀色の扉が開かれました。
現れたのは武装し抜剣した、屈強な一団。
戦士風、聖職者風、魔術師風、盗賊風――様々な職業が一二人。
いずれも男性。
薄汚れてはいましたが、眼光鋭く、容貌は精悍でした。
「……何者だ」
戦士風の装備を身に付けたリーダーとおぼしき男性が、低い声で訊ねました。
浅黒い肌の髭面の壮年の男性で、鼻梁の中心から左右の頬にかけて白い傷跡が真一文字に走っています。
「わた―「俺たちは女神の神託に導かれてやってきた冒険者だ」
返答しかけたわたしの前に、隼人くんが進み出ました。
猛々しくはありませんが気迫のこもった表情と声で、疵面の戦士と向かい合います。
「女神の神託だと……?」
「そうだ。俺は男神から “勇者” の聖寵を授かった志摩隼人――そして彼女は女神の “聖女” 枝葉瑞穂だ」
わたしを指差す、隼人くん。
ざわめきが一団の間に拡がります。
“悪魔王” よって滅亡に瀕する世界。
そこに生きる人々――わけてもニルダニスの礼拝堂跡を拠点とする自警団に、聖典にも記された “勇者” と “聖女” の名は確かに効果があるかもしれませんが……。
隼人くんの名前と一緒に本名を出されたわたしは、動揺を覚えずにはいられません。
「ここはかつて “ニルダニスの礼拝堂” だったと聞く――違いないか?」
「違いない」
「ではあなた方が “兄弟愛の自警団” か?」
「ララに賞賛あれ」
「ララに賞賛あれ」
その名が出た途端、疵面の戦士を始めとする一団が口々に称えました。
「その通りだ。俺たちは外界の悪魔どもからこの迷宮を守る “兄弟愛の自警団”。おまえたちが魔族に連なる者なら、生きてここから帰ることはできない」
「今言ったとおり俺たちは魔族の仲間ではない。身の証を立てよう。おまえたちの指導者に会わせてくれ」
隼人くんの堂々たる申し出に、疵面の戦士はつかの間沈思しました。
やがて――。
「よかろう。俺たちの指導者に会わせよう」
疵面のリーダーから出た言葉に、わたしたちに安堵の気配が漂いました。
「ただし、武器は渡してもらう。それが条件だ」
「それは出来ません」
隼人くんが返答するよりも早く、わたしは言下に拒絶しました。
「武器を渡して、いったい誰がわたしたちの安全を保証するというのですか」
兄弟愛の自警団を名乗る一団に、ザワッと緊張が走ります。
ですが隼人くんが勝ち取った精神的な均衡です。
武器を渡すことで、また向こうに傾けるわけにはいきません。
「娘、ではそこの戦士が言ったことを証明して見せろ。おまえたちが女神の遣わした勇者と聖女であるという証を。それが出来ぬのなら武器を持ったまま “ララ” には会わせられぬ」
「よいでしょう。女神の息吹をその肌に感じなさい――慈母なる “ニルダニス” よ!」
凜と宣言すると、高らかに祝詞を唱えました。
身体の奥深くから清浄な風が湧き起こり、顔の横にふわりふわりと聖銀に輝く髪が漂います。
「「「「「「「「「「「「おおっ!」」」」」」」」」」」」
どよめきが走り、女神の畏怖に打たれた自警団が後ずさります。
「ニルダニス……!」
「ニルダニス……!」
「銀髪の聖女……!」
わたしは……フッと力を抜きました。
身体の中に吹いていた風が止み、ニルダニスが再び本来あるべき世界に戻ります。
「女神はわたしと共にあります。これでもまだ疑いますか?」
「いえ、聖女さま。女神の息吹は不信心な我らにも確かに感じられました。お許しください。絶望のときが長すぎ、希望の到来が信じられなかったのです」
疵面の戦士はそう謝罪すると、左胸に手を当て頭を下げました。
態度は恭しく気品が感じられます。
「その仕草。騎士の血統に連なる方とお見受けします。わたしたちはあなた方の敵ではありません。どうぞ “ララ” 様にお引き合わせください」
「はっ、直ちに」
疵面の戦士はさらに深く頭を垂れると、まず伝令を走らせ、それからわたしたちを玄室の外へとうながしました。
わたしは汗でベッタリと背中に張り付いた肌着を不快に思いながらも、平静さを装い続けます。
畏怖に満ちた表情で立ち尽くす、隼人くんたち。
自警団の人と同様に変わってしまった彼らの視線にも気づかない振りをして、回廊に出ます。
かつての礼拝堂は、もはやその面影すら残していませんでした。
改築に次ぐ改築。
拡張に次ぐ拡張。
そこかしこに “永光”が灯され、冷たい石の床に襤褸にくるまってうずくまる、女性や子供や老人の姿が照らし出されています。
その光景は、まさに難民窟・貧民窟のそれでした。
わたしはその様子を視界に納めながら、先を行く疵面の戦士に無言で続きます。
今はまだ、あの人たちに寄り添ってあげることはできないのです。
そうして痩せ衰えた人々の間を進むことしばらく、三×三区画の広間に行き着きました。
中央に一×一区画の小さな玄室があります。
「あそこです」
わたしたちはうなずき、玄室に入りました。
ここがおそらく “兄弟愛の自警団” の指導者 “ララ” の執務室なのでしょう。
室内には光量を落とした “永光” が同じく灯されていて、大きな執務机の向こう側に回転椅子の背もたれが見えていました。
「――女神の遣わした勇者の一団っていうのは、あんたたちのことかい?」
背もたれの向こうから聞こえた声に、わたしたちはあっと息を呑みました。
その声にはあまりにも聞き覚えがあった――ありすぎたからです。
直後にくるりと椅子が回転し、座っていた小柄な女性がこちらを向きました。
大きな目と大きな瞳。
平べったい鼻。
顔の左右にピンと伸びた、六本の長い髭。
艶やかな体毛に、頭の上にちょこんと載った三角形の小さな耳……。
「ドーラさん!?!?」
「にゃんだって?」
わたしの頓狂な声に、机の向こうの猫人の女性がやはり頓狂な声を上げました。







