空間制御
それは恐ろしいほど神経を消耗する探索でした。
ロープで互いの身体を結びつけたわたしたちは、目の前で鼻を摘ままれてもわからない迷宮の真の闇、暗黒回廊を進んでいます。
じんわりと浮かび、時おり肌を伝わる汗の粒。
亀のような歩みなのに、次第次第に苦しくなっていく呼吸。
闇は通常の何倍もの速さで、わたしたちから体力を奪っていきます。
暗闇では地図が描けないので、特別な方法でマッピングする必要があります。
まず壁に沿って歩き、進行方向に新たな壁が現れればその度に歩数と方向をメモして、暗黒回廊の外縁を確かめていきます。
闇が途切れる場所に出れば、メモと “座標” の呪文を元に地図を描き、現在位置を確認。
外縁が確定できたら、あとは端から “雑巾掛け” の要領で内側を塗りつぶしていくのです。
神経をヤスリで削るような作業。
それが終わったのは唐突でした。
暗黒回廊の中央付近に達したとき不意に視界が開け、天井から垂れ下がる縄梯子が現れたのです。
全員が安堵の吐息を漏らし、その場にへたり込んでしまいました。
ひとり隼人くんだけが、聖水を使って魔除けの魔方陣を描き始めています。
わたしも立ち上がり、ふたりでキャンプを完成させました。
「さすが熟練者目前だよな……体力あるよ」
早乙女くんがそんなわたしを見て、嫌味なく漏らしました。
レベルが高いからだけでなく、左手に嵌めた “癒しの指輪” の効果で体力の回復が迅速なのですが、微笑みながら聞き流します。
「すまん」
「いえ」
ささやかに笑った隼人くんに柔らかくうなずくと、わたしは地図を広げている安西さんの元に行って、マッピングを手伝いました。
羊皮紙の端に壁沿いで方向を転じた際に記された歩数と方向が、崩れた文字で書き込まれています。
そのメモを元に地図を描き足していき、“示位の指輪” を使って現在位置を確認すると……。
「「合ってる! 凄い、凄い!」」
ウ~ッ、チャチャチャッ!
思わず安西さんと手を取り合って、ピョンピョン跳びはねました。
安西さんの測量に間違いはなく、羊皮紙の上には暗黒回廊の正確な形が浮かび上がっていました。
外縁はうねうねとした不定形なうえ意味のない扉まであり、マッピングの難易度は相当に高かったはずです。
「「「おーっ!」」」
地図をのぞき込み、感嘆する隼人くん、田宮さん、早乙女くん。
五代くんだけが少し離れた場所に立ったまま、チラリと横目の視線を送っています。
胸を過る、懐かしい思い。
そう、あの時までは……初めて迷宮に潜ったあの時までは、身近にあった思いです。
ですが地図を眺めるにつれて懐かしさは去っていき、あとには重たい空気が残りました。
「……とんでもない迷宮だ」
「……うん」
「……ああ」
“竜の大瓶亭”からここまで、西に直線距離で二二区画。
“呪いの大穴” の東西がすっぽり収まる幅です。
不定形の迷宮は東西南北まだまだ広がる気配を見せていて、全容はようとしてしれません。
「……羊皮紙、足りなくなっちゃうかも」
「空間制御理論で行きましょう」
そういって、不安げに呟いた安西さんを励まします。
「空間制御?」
「必要な時間に、必要な空間を利用できれば、それで良いという理論です」
わたしはお父さんが話してくれたスペースオペラの主人公の思考を披露しました。
あれは、なんという作品だったでしょうか。
「わたしたちの目的は、この迷宮の攻略ではありません。地下一階の礼拝堂に行くことです。それならもうこの階層は踏破したと思ってよいのではありませんか?」
皆一様にきょとんとした表情を浮かべましたが、すぐに納得した様子で快活さを取り戻しました。
「確かに。俺たちが挑むべきはこの迷宮じゃない」
「そうね、早く元の時間に戻って “林檎の迷宮” を踏破しましょう」
「おっしゃ!」
「うん」
「……登るぞ」
ひとり冷静な声で宣言すると、五代くんが慎重かつ素早く縄梯子を登り始めました。
田宮さん、早乙女くん、安西さんと続き、盾役 の隼人くんが最後を守ります。
「…………もう一度、この階に下りずに済むことを祈りましょう」
わたしは隼人くんにだけ聞こえる硬い声で言い残すと、縄梯子に手を掛けました。
「…………ああ」
・
・
・
・
・
・
・
・
・
長い縄梯子を登り切った先でわたしが見たものは、二×二区画の玄室と先に到達していた仲間たち。
そしてその仲間たちが見つめる、南西の西側の内壁に輝く “銀色の扉”でした。
「どうした――なんだ、あれは?」
「わかりません」
わたしは隼人くんに手を貸し、フロアに引っ張り上げながら答えます。
「罠か?」
「むしろ、清浄な力を感じます」
「同感だ。俺も感じるぜ、聖なる力ってやつをよ」
「そうだとすると……封印……?」
安西さんが誰に訊ねるでもなく呟きました。
魔術師 である安西さんは僧侶である早乙女くんやわたしのように、神々から貸し与えられる法力を感じることが困難なのです。
「聖なる力である以上、わたしたちに害はないはずですが……」
「……よし」
わたしの言葉に、五代くんが意を決したように扉に歩み寄りました。
腰の雑嚢から盗賊の七つ道具を取り出すと、細心の注意を払って銀光を発する扉を調べ始めます。
件の点検鏡などを使って、触れないように、直接のぞき込まないように、鍵穴の周辺や蝶番などを調査していきます。
もちろん作業中の盗賊 に話しかけるような真似は誰もしません。
ただ固唾を呑んで、作業の進捗を見守るだけです。
「……罠はない。だが鍵が掛かってる」
しばらくしてから五代くんが作業の手を止めて告げました。
「開けられそうか?」
「……」
隼人くんの問いかけに答えることなく、解錠を試みる五代くん。
再び重苦しい時間が流れます。
「……駄目だ」
やがて五代くんが立ち上がり、扉の前を離れました。
「……魔法仕掛けでピッキングは通じない」
「……そんな!」
安西さんが真っ青になって絶句します。
「なにか方法はないのか?」
「……この扉に合う魔法の鍵をどこかから見つけてこない限り、永久に開けられないだろうな」
「でも、あのアヒルはこんなこと一言もいってなかったぞ!」
「……ど忘れしていたか、敢えて黙っていたか……言ったろ、詐欺師は嘘に真実を混ぜて人を騙すって」
肩をすくめて隼人くんと早乙女くんに答える五代くん。
「……鍵、どこにあるのかしら」
田宮さんの沈んだ呟きに、誰も何も答えられません。
また縄梯子を下りて、鍵を求めてあの広大な地下二階を彷徨わなければならないのでしょうか。
いや、それならまだいいのです。
もし求める鍵が、この扉の向こうにあったとしたら……。
全員の胸に暗澹たる気持ちが拡がったとき、
ダンッ! ダンッ!ダンッ!ダンッ!
「開けてっ! 開けてっ! ここにいるの! わたしはここにいるのっ!」
突然安西さんが扉に駆け寄って、止める間もなく力任せに乱打しました。
「馬鹿、よせ!」
それまでパーティで唯一平静を保っていた五代くんの顔色が変わりました。
「敵を呼び寄せる気か!」
「敵だって決まったわけじゃないっ! ――誰か! 開けて! 開けてください!」
「安西さん!」
鋭く呼びかけ、肩に手を触れました。
バシッ!
「わたしに触らないでっ!」
「……安西さん」
「そんなにこの世界が好きなら、ここでひとりで暮らせばいいじゃない! わたしを巻き込まないでよ! わたしは帰りたいのっ! 元の世界に帰りたいのっ! お母さんに会いたいのっ! お父さんに会いたいのっ! 平気で家族を捨てられるあなたと一緒にしないでっ!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で詰る安西さん。
ほんの半時ほど前に感じた懐かしい思いは、霧に浮かんだ幻のようにあっけなく霧散し、残ったのはやるせない胸の痛みだけ。
「……安西さん、わたしもこの世界で暮らすのは嫌です……ひとりでもみんなでも」
見開かれる、涙に濡れた瞳。
「うっ、うううっ……うああああーーーーーーっっっ!!!!」
安西さんの悲しい慟哭に紛れて、銀色の扉の向こうからドタドタとした複数の跫音が近づいてきました。







