不定形
『この迷宮は、おめえさんたちが “呪いの大穴” って呼んでた頃とはまるで様変わりしちまってるはずだ。なんせ一〇〇年の間に住み着いた連中が好き勝手に掘り拡げちまったからな。つまりは “不定形の迷宮” ってわけよ』
『一階の “礼拝堂” に行くには、まず西に向かわなくちゃなんねえ。いいか、まず西だ。それから南に下る。回廊はうねうねしてるし、魔物もいる。地図を作りながら行った方がいいな』
『南下したあと、一×一区画の小せえ玄室がふたつ並んでいる広間に出たら、正しい道順を進んでるってこった。さらに南に下って道順に進めば、とんでもねえ広さの空間に出る。ああ、とんでもねえ広さだ。だが迷う心配はねえ。いいか、その広い空間に出たら右手を壁に当てて進むんだ。右手だぜ。そうすればやがて扉に出る。その扉を開けたら――』
頭の中でショートさんの話を反芻しながら進みます。
キャンプを張った三股路を “竜と大瓶亭”がある北でも “ブラザーの健康温泉” がある東でもなく西へ――地下一階の “礼拝堂” を目指して、暗く複雑な迷宮を行くのです。
漂うは、“紫衣の魔女の迷宮” とも “龍の文鎮” とも “呪いの大穴” とも違う独自の臭い。
同じ黴と苔と湿った埃の臭いのはずなのに、腐った屍と汚物の臭いのはずなのに、明らかに違う臭い。
(……これが一〇〇年後の “呪いの大穴” の臭い)
嫌な臭いです。
とても嫌な臭い。
臭いだけでなく、多湿のためにじっとりと肌に浮かぶ汗が低い気温で冷えて、さらに不快さを増すのです。
普通に歩いているだけで息苦しさを感じるのは、未経験の迷宮が理由のすべてではないでしょう……。
世界に寄る辺なき身である心細さ……孤独さが、不安となってのしかかっているのです。
長く続く回廊は一度クランクしたあと、また西へと延びていました。
前を行く安西さんが、歩きながら必死に羊皮紙に地図を記しています。
微かに歩数を数える呟きが途絶えました。
回廊が南に折れていたのです。
「ここがあのアヒルが言っていた “南に下る” 地点か」
「あの、枝葉さん、一度 “示位の指輪” を使ってもらってもいいですか?」
安西さんが振り返り頼みました。
わたしは『はい』とうなずき、左手に嵌めた三つの指輪のひとつから封じられた魔力を解放します。
「“Eに31、Nに12” です」
「よかった……合ってる」
ホッと胸に手を当てる安西さん。
これまでの二〇×二〇区画の定形の迷宮と違い、この迷宮は外縁の不明な不定形。
マッピングの難易度は段違いなのです。
「座標31だなんてなぁ……羊皮紙に入りきるのか?」
「うん、なんとか継ぎ足して描いてる」
気の毒そうに訊ねた早乙女くんに、安西さんが控えめに微笑しました。
「まるでモグラの隧道だよな」
「でも枝葉さんの指輪のお陰で “座標” の呪文が使い放題だから、そんなに怖くないよ」
「さすがレベル12だよなぁ。物持ちがいいよ」
「い、いえいえ、わたしのこれはすべて借り物ですから」
嘆息する早乙女くんに、慌てて両手を振って否定します。
「借り物って、あの人から?」
「え、ええ、そのあの人というのが誰かは定かではありませんが……多分その人です」
ポリポリとほっぺを掻いて、田宮さんから視線をそらします。
「ふ~ん」
と、どこか悪戯っぽい表情を浮かべる田宮さん。
お願いですから、今はそれ以上追求しないでください。
なにぶん説明に時間が掛かることなのです……。
「地図が問題ないなら南に向かうぞ」
救いの手は隼人くんから差し伸べられました。
ほどよく解れた気持ちを再び引き締め、歩き出します。
南への回廊は蛇行と分岐を繰り返していましたが、躊躇うことなくひたすら南下します。
(……ショートさんの話では、この先に一×一の玄室がふたつ並んだ広間があるはず)
果たしてそのとおりでした。
西に東に方向を転じていた回廊の視界が開け、二本の方柱が立つ広間に行き着いたのです。
方柱の高さも幅もほぼ一区画。
四方に扉が見えることからも、これがショートさんの言っていた “ふたつ並んだ一×一の玄室” で間違いないでしょう。
「どうやらあのアヒルは信用してもいいみたいだな」
特徴的な構造の広間を見て、早乙女くんが満足げにうなずきました。
「……相変わらずお人好しだぜ」
「なに!?」
「……詐欺師ってのは、嘘に真実を混ぜて話すもんだろうが」
冷静とも不機嫌とも聞こえる声で、五代くんが指摘します。
「ふんっ、おまえみたいに疑ってばかりじゃ虎の児は得られねえんだよ」
「慎重さも楽観主義もどちらも必要だ。今は現時点での情報に誤りがなかったことを良しとしよう」
「いかにも何かありそうだけど……どうするの、志摩くん?」
険悪な空気が流れる前に場を納めた隼人くんに、田宮さんが訊ねました。
油断なく曲剣の柄に手を掛け、ふたつの玄室を見つめています。
「無視だ。あのアヒルはあの玄室について詳しいことは何も言わなかった。一階を目指す俺たちには関係がないと思ったからだろう。玄室はたいがい魔物のねぐらだ。藪をつついて蛇を出すのも馬鹿らしい」
「……だがだからこそ、あの中に一階への縄梯子があるかもしれないぞ」
なおも意見する五代くんに、隼人くんがさらに何かを言いかけたとき、
ギイイィィィ…………。
片方の玄室の扉が、軋んだ音を立ててひとりでに開いたのです。
あまりのタイミングの良さに、全員が凍り付きました。
「……これでもか、志摩?」
さすがの五代くんも声が引きつっています。
「……いや、これでもう踏み込むしかなくなった。玄室にいるのがなんであれ、こっちに気づいた。無視して進めば送り狼をされて、他の魔物と遭遇したときに挟撃されるかもしれない」
隼人くんの言葉に、心の中でうなずきました。
まったく同感です。
他の魔物と戦っている最中に背後から襲われるのは、最悪の事態です。
特に退路のない場所での挟み撃ちは、悪夢以外の何者でもありません。
多少の消耗は覚悟し、今は後顧の憂いを絶つべきなのです。
(問題はその消耗が多少で済むかどうかです)
前衛は武器を構え、後衛はいつでも祝詞や呪文を唱えられるように口ずさみながら、ソロリソロリと玄室に近づきます。
五代くんが雑嚢から盗賊の七つ道具のひとつ、いわゆる点検鏡を取り出して、わずかに開いた扉の隙間に差し入れます。
そして映し出された光景を見て……無表情に固まってしまいました。
隼人くん、田宮さん、早乙女くん、安西さん――隊列順に代わる代わる確認した他のメンバーも困惑しきりです。
最後に確認したわたしの目に入ってきたのは、小さな鏡に映るまるで王侯貴族が暮らすかのような絢爛豪華な部屋でした。
なによりも驚かされたのは――。
「いらっしゃいませ、お客さま。“時の賢者” さまはただいま外出中です」
部屋の中央にいた身長一八〇センチはある大きな人形が、扉の外にいるわたしたちに気づき、丁寧に頭を下げたことでした。







