“竜と大瓶亭”
「心当たりがあるのですか?」
「ああ、“竜の大瓶亭” だ」
念視で見た映像を伝えると、アヒルのショートさんがうなずきました。
「ま、ついてきな。アヒルも人間も朝湯のあとは朝酒と相場は決まってるもんだ」
そういって湯船の端まで泳いでお湯から上がると、バタバタバタッ! と勢いよく羽ばたき、水切りをします。
「きゃっ!」
「おっと失敬。撥水できるからって、そのままじゃ湯冷めしちまうからよ」
「お、お気になさらずに」
湿度一〇〇パーセントの温泉にいるのです。
あと少し濡れたところで、今さらどうということはありません。
「こっちだ。“西” から出るのが一番近けえんだ」
“ブラザーの健康温泉” は一×一四方の玄室で、それぞれの壁に扉ありました。
ショートさんがわざわざ教えてくれたのは、わたしの方向感覚を気遣ってくれたのでしょう。
進行する方向が分かっていれば、脳内マッピングができるからです。
「道々説明してやってもいいんだが、それじゃ二度手間になっちまう。ま、酒場で一杯やりながらがいいだろうよ」
尾羽を振り振り、大きなお尻を揺らしてヒョコヒョコと進むショートさん。
「ありがとうございます」
(西→北→西、ここで分岐路を北に……突き当たりで東に折れて真っ直ぐ)
お礼を述べつつ、頭の中で必死に地図を描きます。
もし戻ってくるようなことがあれば、役に立つはずです。
道順は単純でしたので記憶するのにそれほど苦労はありません。
東に長く続く回廊は、八区画先で南に折れていました。
さらに進むこと四区画。
目の前に “ワインの大瓶を持つ竜属の看板” が掛けられた、頑丈そうな木の扉が現れました。
「ここよ。ここがオイラの行きつけ “竜の大瓶亭” だ」
「迷宮に……酒場が」
ここも……迷宮街なのでしょうか。
懐かしさと痛みのない交ぜになった思いが胸に突き刺さり、つかの間わたしから身動きを奪いました。
「どうした?」
「……いえ、なんでもありません」
「なに、そんなに怖がるこたぁねえさ。場所が場所だけに客は荒くれ者が多いが、根っこは至って――」
その時、バンッ! と勢いよく扉が開いて、誰かが吹き飛ばされてきました。
避ける間もなく、可哀想に下敷きにされてしまうショートさん。
「ガアッ!?」
「ショートさんっ!」
それに――。
「早乙女くんっ!?」
哀れにも目を回してしまったアヒルさんを押し潰しているのは、やはり目を回している早乙女くんでした。
開け放たれた扉の奥に視線を向ければ、そこは喧噪に満ち満ちた中世風の酒場で、隼人くんたちが屈強なドワーフ戦士の一団と対峙しています。
「いったい何事ですか!」
「瑞穂!?」
「「枝葉さんっ!」」
わたしの悲鳴のような一喝に、五代くんを除く三人が振り向きました。
最初は武器屋。次は寺院。そして今度は酒場。
なぜこうも “一触即発” の事態に陥ってしまうのか。
事情が分からないので強くは言えませんが――なんといったら良いのか、もう少し穏やかに受け流す術を身に付けてほしいです。
ドワーフの一団も突然現れたわたしに、警戒した様子を見せています。
その隙に雑嚢に入れていた嗅ぎ塩を取り出し、手早くふたりの鼻先にかざしました。
こういった気付け薬、ちょっとした傷を治療する軟膏や清潔な包帯などは、癒やしの加護を節約するために回復役の常備品なのです。
「ガアーーーッッッ!!!」
「ぎゃーーーっっっ!!!」
効果てきめん。
発条仕掛の人形のように飛び起きる、アヒルが一羽に男の子がひとり。
「そこの尊き戦士の皆さん。娼婦と喧嘩は酒保の華とはいえ、わたしたちもネームドを間近に控えた探索者です。抜き差しならない状況になってお互いに寺院に布施をするのもつまりません。どうでしょう、和解の証にそのお金で一杯奢らせていただけませんか?」
わたしはドワーフ語でもっとも敬意を表す言い回しで、にこやかに提案しました。
ドワーフは勇猛で闘争を好みますが、礼儀には礼儀で返してくれる種族でもあり、なによりお酒好きです。
ドワーフの集団はヒソヒソと囁き合うと、
「二杯だ! 二杯でこの和解を受け入れよう!」
頭目とおぼしき戦士が、傲然と胸を反らしました。
「わかりました」
わたしは肌も露わな人族の女給さんに目配せをしました。
たちまち蓋付きの陶杯に満たされたエール酒が運ばれてきて、ドワーフたちに行き渡ります。
女給さんはわかったもので、わたしにも陶杯を運んできました。
「尊き戦士の髭が、より艶やかになりますように」
「「「「「「人間の娘の腰回りが、工匠神の眼鏡にかなうように!」」」」」」
わたしが陶杯を掲げて言祝ぐとドワーフたちも祝い返し、ぐいぐいとエールを仰ぎ飲み干しました。あとは形だけ陶杯に口を付けるわたしにはもう興味をなくし、我先にお代わりを注文します。
「ガッ! ガッ! ガッ!」
「大丈夫ですか?」
わたしは激しくむせる? ショートさんの元に走りました。
「まったく嗅覚細胞が万単位で死んじまったぜ! 人間の気付けはアヒルにはキツすぎるんだよ!」
「す、すみません」
「ま、悪気がねえのは分かってるけどな――おめさんも回復役なら、これからはその辺のこともわきまえてくれよ」
「瑞穂!」
ショートさんに返事をするよりも早く、隼人くんたちが駆けつけます。
「「枝葉さん!」」
「大丈夫、大丈夫です。わたしは無事ですから」
抱きつかんばかりの田宮さんと安西さんにホールドアップ気味に微笑むと、隼人くんを見ました。
「そちらは?」
「ああ、多分……」
隼人くんがうなずきながら、顎をさする早乙女くんに顔を向けます。
「クソッ、油断した! いいのをもらっちまったぜ!」
「あんなチビにのされるなんて情けない奴だ」
「なんだと!?」
「ドワーフ戦士の勇猛さはつとに知られています。のされただけで済んだのは幸運でした」
わたしは早乙女くんに歩み寄ると、その頑丈そうな顎に軽く手を触れました。
「痛てっ!」
「ヒビは入っていないと思いますが、念のため――」
“小癒” の温かな光が、早乙女くんの顎から痛みと腫れを遠ざけます。
「す、すまねえ。今度はちゃんと避けるから」
「その前にドワーフとは喧嘩をしないことです」
「そ、そうだな」
早乙女くんが顔を赤らめてうなずいたとき、
「ところでおまえの後ろにいる、その…………は、なんなんだ?」
隼人くんがつぶらな瞳のショートさんを見て、困惑顔で訊ねました。
「……とにかく卓に着きましょう。話をするのはそれからです」
正直に吐露させていただくと……わたしはここまで一連の出来事で、精魂が尽き果てた思いでした……。







