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迷宮保険  作者: 井上啓二
第五章 一〇〇〇年王国の怪人
429/660

後・林檎の迷宮★

 “林檎(アップル版)の迷宮” を、わたしたちは進んでいました。

 迷宮の始点(入り口)(そび)える林檎の大樹を左手に見ながら、まっすぐに伸びる回廊を東に向かっています。

 五代くんが斥候(スカウト) として先頭に立つ、一列縦隊。


 五代くん(盗賊(シーフ)

 隼人くん(君主(ロード)

 田宮さん((サムライ)

 早乙女くん(僧侶(プリースト)

 安西さん(魔術師(メイジ)

 ライスライト(僧侶(プリーステス)


 わたしは最後尾で全員の状況を確認しながら、後方警戒に努めます。

 熟した果実の香りは依然として濃厚で、他の迷宮に漂うカビや湿った(ほこり)、腐敗臭や汚物の臭いを覆い尽くしています。

 この甘い香りが、この迷宮の “死の臭い” なのです。


 処女迷宮(ヴァージンダンジョン)に挑むアッシュロードさんは慎重でした。

 まずスカーレットさん、ヴァルレハさん、レットさん、わたし、ドーラさん、自身で臨時のパーティを組み、威力偵察を試みたのです。

 “緋色の矢”、“フレッドシップ7”、 そして司令部から二名ずつが、迷宮の難易度を測ったわけです。

 威力偵察は二回にわたって行われ、その結果第一階層は、


《魔法の武具を持たないレベル10の探索者が苦戦する度合い》


 ――との分析がなされました。

 その後、迷宮の手強さを肌で感じた二名を含む “緋色の矢” と “フレッドシップ7” が順次階層(フロア)外縁(アウトライン)を固め、始点近くの玄室を調べていきました。


 前を進む五人の背中が緊張に強ばっています。

 無理もありません。

 始点周辺の地図は完成し生息する魔物もほぼ判明していますが、隼人くんたちが潜るのはこれが二回目、前回全滅寸前まで追い込まれて以来です。

 すでに何度か探索しているわたしでさえ、盾を持つ手が汗ばむほどです。

 隼人くんたちが受けている重圧はいかばかりか。


(……わたしも含めて、まるで駆け出し(ビギナー)に戻ったようですね)


 胸の内で呟いてから、すぐにわたしは思い直しました。

 この認識は間違っていますね。

 ()()()ではなく、()()()()戻れたのです。

 最初の威力偵察と続く古強者(ベテラン)パーティの探索によって曲がりなりにも情報がもたらされ、ようやく他の探索者はこれまでの駆け出しと同じ立場になれたのです。


 アッシュロードさんの石橋を叩いて渡る方針は “大アカシニア” 組にはすんなり受け入れられましたが、隼人くんたちにはもどかしく映ったようです。

 他のパーティが迷宮に潜る姿を宿で見送っては、フラストレーションを溜めていました。

 アッシュロードさんの許可が出たのは、わたしが都合四回目の探索を終え、彼らの苛立ちが頂点に達する直前でした。

 もちろん意地悪をしていたわけではありません。

 本当にギリギリまで迷宮の情報を集めて、隼人くんたちの生還の可能性を一パーセントでも上げていたのです。

 “入れ込む” 彼らを抑えるのはわたしの役目であり、そのわたしに経験を積ませる目的もありました。


(……大丈夫。緊張はしていますが、まだ全員自制できています)


 濃密な林檎の香りの中を進んでいた五代くんが立ち止まり、右手を挙げました。

 “永光コンティニュアル・ライト”の明かりが届かない数区画(ブロック)先の暗闇に、異変を察知したようです。

 すぐに地響きをともなう乱雑な跫音(きょうおん)が近づいてきました。

 魔法光の中に現れた、醜悪極まる巨体、巨体、巨体、巨体。


挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)


 “食人鬼頭(オーガロード)” ×5

 “亜巨人(トロル)” ×5

 

 期せずして前回このパーティを全滅寸前にまで追い込んだ群れと同じ編成です。

 モンスターレベルは、それぞれ8と6。

 “食人鬼頭” はネームドで、とても迷宮の始点からほど近い駆け出し区域(ビギナーズエリア)に出現する集団とは思えません。


 いえ――違います。

 

 そうではないのです。

 今や “林檎の迷宮” へと変容した “呪いの大穴” には、もう駆け出し区域など存在しないのです。

 わたしは戦棍(メイス)と盾を構え、凛と叫びました。


「隼人くん! 田宮さん! 早乙女くん! 五代くん! 安西さん! 打ち合わせのままに――戦闘開始(オープンコンバット)!」


 突進してくる巨人の群れを迎え撃つべく、一列縦隊が二列横隊へと変化します。


「これが終わったら」


「……え?」


「絶品のスィートロールを食べに行きましょう」


 左隣で身体を縮こまらせている安西さんに微笑んですぐ、隼人くん、田宮さん、早乙女くんが呪文と加護の詠唱を開始しました。

 隼人くんと早乙女くんが “静寂(サイレンス)

 田宮さんが“昏睡(ディープ・スリープ)” です。

 意を決したようにコクッとうなずくと、安西さんも “昏睡” の呪文を唱え始めました。

 わたしは左手にはめている三つの指輪をチラリと意識し、すぐに忘れました。

 魔法の指輪に頼ることは簡単ですが、それでは意味がありません。


(――むしろ、これは好都合です)


 前回と同じ魔物の群れは、むしろ望むところ。

 ここで植え付けられた苦手意識(トラウマ)を払拭します。

 警戒すべきは、やはり “食人鬼頭” の “焔爆(フレイム・ボム)

 なんとしても、これを封じなければなりません。


 まず専門家である月照くんの “静寂” が完成し、一匹の呪文を封じました。

 直後には隼人くんが、さらに一匹の詠唱をかき消します。

 残りは三匹。

 ここで田宮さんが、“食人鬼頭” の壁となって突き進んでくる “亜巨人”に呪文を投げつけました。

 痛みすら感じない深昏睡に陥った三匹がつんのめるように転倒し、残るは “食人鬼頭” が三匹、“亜巨人” が二匹。


「―― “昏睡”!」


 そして安西さんが、今まさに呪文の詠唱を終えようとしている “食人鬼頭” に向かって最後の印を結びました。


「よし!」


 バタバタと倒れる “食人鬼頭”を見て、戦棍を握る手に力が籠もります。

 安西さんは呪文の封じられていない三匹すべてを眠らせたのです。

 “食人鬼頭” も “亜巨人” も催眠耐性が低く眠りの魔法が弱点なのですが、“食人鬼頭” はネームド(レベル8以上)で安西さんより高レベルです。

 魔法の通り難い格上の相手、それも魔法の封じられていない三匹を眠らせたのはお見事でした。


「“亜巨人” がくるぞ!」


(――大丈夫!)


 叫ぶ隼人くんに胸中で答えると、わたしは流れるように祝詞を紡ぎます。

 接敵(エンゲージ)する直前、不可視の(いばら)が二匹の “亜巨人” を絡め取り、巨大な棍棒を振り上げたままの姿勢で硬直しました。


「は、速ええ!」


 早乙女くんの嘆声を、わたしの声が追い越します。


「今です!」


 がら空きになった心臓に隼人くんの “切り裂くもの(魔剣)” が突き立てられ、これでもかと(えぐ)ります。

 いかに強靱な生命力を誇る “亜巨人” とはいえ、加護の効果が切れるまでに絶命するのは必至です。

 通常の曲剣(サーベル)を使っている田宮さんはそれよりも与ダメージが低く、一刀で屠ることは叶いませんでした。

 しかしどこからともなく現れた五代くんが背後から飛びつくと、(ましら)のように背中を這い上り、無防備な延髄に短剣(ショートソード) を突き立てまたした。

 隼人くん同様これでもかと抉り続ければ、さしもの “亜巨人” もたまりません。


「――起きている残り二匹。お願いします」


「はい!」


 力強い返事と共に、安西さんが二度目の “昏睡” を唱えます。

 魔法の棘が瞬き、絶息した “亜巨人” の身体に浮き上がりました。



「……完勝じゃねえか」


 戦いが終わったあと、一〇体の巨人の屍に囲まれながら、早乙女くんが呆然と呟きました。

 こちらの損耗は、第一位階の呪文が三つに第二位階の加護がやはり三つ。

 負傷者はいません。

 数とレベルに勝る魔物を正面から相手取ったことを考えれば、早乙女くんの言うとおり完勝でしょう。


「上手にできました」


 わたしは安西さんに歩み寄り、微笑みました。

 そして手を伸ばし、すべての巨人が倒れたあとも杖を堅く握りしめたままの指を解いてあげます。


「……わた……わたし……前に……失敗しちゃったから……怖くて……わたしのせいで……みんな……大怪我しちゃって……」


「そうでしたね」


 わたしはうなずきます。


「でも今日は誰も怪我をしていませんよ」


 そこでようやく、安西さんがハッとわたしを見ました。

 そしてみるみるうちに潤んだ瞳から零れる大粒の涙。


「ううっ……うわあぁーーーーんっ!!!」


 これが隼人くんたちの “林檎の迷宮” での初勝利。

 そして、わたしと隼人くんたちとの初勝利でした。



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― 新着の感想 ―
[一言] 祝!トラウマ払拭!! まあ下手すると冒険できなくなりますからね。 本当喜ばしいです。
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