ボルザッグ商店、リーンガミル支店①
リーンガミル聖王国の王都 “リーンガミル” は、人口一〇〇万を超える大都邑です。
直径一〇キロメートルの正円をしており、規模的には上帝アカシニアス・トレバーン陛下の治める “大アカシニア” さえも上回る、世界最大の城塞都市です。
建設技術にかけては他の種族の追随を許さないドワーフの中でも、特に築城に秀でた氏族を何世代にもわたって雇い築かせた城壁は高く厚く、建国以来一〇〇〇年難攻不落の歴史と威容を誇っています。
大都市の特徴として生産よりも消費が大きいため、食料を始めとする物資の備蓄が国防上の最優先事項とされているのは当然のことでしょう。
市街の各所に食料庫があり、すべての王都民が最大一年間食べつなぐことができる量が蓄えられているそうです。
歴史上、それだけの期間三〇キロを超える城壁を包囲可能な大軍を持った周辺勢力は存在しませんでしたが、トレバーン陛下の出現が終止符を打ちました。
実際にトレバーン陛下は、二〇年前に起きた “僭称者” の擾乱に乗じて、リーンガミル攻略を企図したそうです。
ですが時を同じくして、片腕であり愛妾でもあった “紫衣の魔女” が謀反を起こし、 こともあろうに策源地である “大アカシニア” の目と鼻の先に巨大な地下迷宮を作り上げて立て籠もったため、計画のみに終わったそうです。
トリニティさん曰く、
『もし陛下がリーンガミルに侵攻していたら、“僭称者” が召喚した魔物の大軍勢と泥沼の戦いに陥っていただろうな。アンドリーナは結果として、招かずともよい帝国の衰亡を防いだわけだ』
“紫衣の魔女” の意図がどこにあったのかは、今もって定かではありません。
確かなことは、リーンガミル聖王国が建国以来最大の危機を脱して、他国が付け入る隙の無い盤石の大国として復活したことです。
◆◇◆
「――まったく凄い都だよ、ここは」
都大路を歩きながら、パーシャが興奮に目を輝かせました。
「これだけ大きいと攻める側は都全体を包囲できないし、できたとしても包囲は薄くなる。兵力を集中して城壁の一点を攻めようと思えば、手薄な城門から悠々と遊撃隊が出てきて腹背を突かれる。あるいは補給線を断たれる。攻城側の方が立ち枯れちゃうんだ」
「包囲は出来てるんだろ? 四方八方から一斉に攻めるんじゃ駄目なのか?」
「守備側の思う壺だよ。城壁は防御効果が高いから、少ない兵力でも充分に支えられるんだ。その隙に余った戦力を繰り出して包囲を突破すれば、城壁との間に挟み撃ちにできる。突破からの背面展開・逆包囲―― “湖岸拠点” の防衛戦で、エバが成功させた戦術を覚えてるでしょ。そういう籠城側の蠢動を封じるには、結局戦力を集中して出入り口の城門をすべて塞いだ上で奪う正攻法しかないんだよ。だけど――」
「軍隊が出入りできるのは城門だけとは限らない……か」
「わかってるじゃん。当然秘密の抜け穴があるだろうし、そこから籠城側の遊撃隊が出てくるのは間違いない。あたいならその遊撃隊で攻城側の補給線を叩くだろうね」
「~なるほど」
名軍師の説明に、ジグさんが嘆息します。
「どう、エバ? あんただったら、この難攻不落の大城塞をどう攻める?」
「え?」
パーシャがいささか挑発的なニヤニヤ顔で訊ねました。
どうやら “グレイ・アッシュロードの一番弟子” を自任しているわたしを、からかっているようです。
むむっ、猪口才な。
よいでしょう。
受けて立ちましょうぞ。
「そうですね、わたしだったらこの城塞都市の周りにもう一回り大きな城壁を築きます」
「へ?」
「そしてリーンガミルをすっぽりと取り囲んで、食料が尽きて降参してくるのを待ちます」
「そ、そんなの無茶だよ! できるわけがない! 理屈倒れだ!」
「理が正しいのなら、あとはやり遂げる算段を考えればよいだけです――なんとパーシャ、そうではありませんか」
ふふん、と澄まし顔で答えちゃいます。
あがとうございます、太閤さま。
「いや、だって、城壁を築いてる間、守備側が黙って見てるわけが……」
そこまで言って、ぐむ~っ! と腕組みをして考え込んでしまう小さな名軍師。
頭の中で “秀吉の一夜城” を見当しているようです。
「ぷっ! 冗談ですよ、パーシャ」
思わず吹き出して、彼女が正しいことを認めます。
この巨大な城塞都市を包囲して、新たな城壁を築くまでの間手出しができないように逼塞させるには、一〇万を遙かに超える兵力が必要なはずです。
兵站は膨れあがり容易に一国の財政を破綻させ、戦争の遂行どころか国そのものを立ちゆかなくさせるでしょう。
パーシャの言うとおり、すべて机上の空論なのです。
「ほどほどにしておけよ。誰に聞かれてるかわからないぞ」
レットさんが苦笑し混じりにたしなめました。
「はい、すみません」
ペロッと舌を出してごめんなさい。
当然ですよね。
わたしたちは “大アカシニア神聖統一帝国” から遣わされた親善訪問団なのですから。
それが往来の真ん中で王都の攻略法を論じていたとあっては、不穏当のそしりを免れません。
「なにいってんのよ、外交使節団なんて要するに両国公認の間諜じゃないの。あのトレバーンが本気でボッシュのじっちゃんに休暇を出したと思ってるわけ?」
パーシャが大仰な動作で、Oh、No! をします。
わたしもアッシュロードさんに教えてもらうまで気がつきませんでしたが……トリニティさんが政治・経済・軍事のソフトウェア的な間諜なら、ボッシュさんは城壁を含むこの都の防衛機構――ハードウェア的な間諜なのです。
パーシャの言うとおり、あの合理主義の権化であるトレバーン陛下が、ボッシュさんのような有益な人材を一年近くも遊ばせておくわけがないですよね。
「それでもさ」
レットさんはもう一度苦笑し、それ以上はなにも言いませんでした。
愛用の魔法の段平を帯剣し、板金鎧の背に盾を吊した完全装備で、右手には長く使い込んでいるバケツ型の大兜 を持っています。
他にも、いくつかの武具が詰め込まれた大きなずだ袋を肩に担いでいました。
わたしを含めた他のみんなも同様です。
もちろん、これから迷宮に潜るわけではありません。
外交官ではないわたしたちは、夜に開かれる歓迎の晩餐会まで自由時間をもらえたので、王都見物に出ていたのです。
レットさんたちは今回、名目上わたしの護衛として(わたし自身忘れていました)訪問団に加わっているので、万が一に備えて武装しているというわけです。
本心を言えば、装備を身に着けないで見知らぬ場所を歩くのは、例え街中といえど落ち着かないのです。
そんな骨の髄まで探索者気質が染みついてしまったわたしたちが向かっているのは、無論オシャレなカフェでも高級な服飾品店でもなく――。
「…… “ボルザッグ” のリーンガミル支店か。どんな物が並んでるか楽しみだ」
うむ、と重々しくカドモフさんが呟きました。
一見すると全然楽しくはなさそうなのですが、この人はウキウキするほど重々しくなってしまうのです。
「懐が熱々で火傷しそうだしな。稼いだ金は使ってこそ価値があるってもんだ」
ジグさんも上機嫌でうなずきます。
“龍の文鎮” で手に入れた財宝は、一部がボッシュさんによって加工品の材料になったものの(黄金の便器とか)、そのほとんどが手つかずで残っています。
他にもトリニティさんが鑑定してくれた魔法の武具が数点あり、売却すれば合わせて一人頭迷宮金貨二万枚にはなるはずで、ジグさんの言うとおり懐は熱々でした。
「+2の魔剣、あるかな?」
「こんだけデカい都だ。きっとあるさ」
「……+2があった場合、斧にするか、剣にするか」
レットさんも加わり、前衛三人で盛り上がっています。
「男の子なんだから」
「本当に」
フェルさんが苦笑し、わたしも同意しました。
お小遣いと自由時間が与えられるや否や装備屋さんに直行してしまうのは、男の子あるあるです。
そしてそれに付き合わされてしまうのもまた、女の子あるあるです。
「でも+2の短刀でも、あたいの “ぶっ刺すもの” より弱いんだよね」
ピョンピョンと跳びはねて、男の子たちの会話に混じるもうひとりの女の子。
訂正です。
オモチャ屋さんが好きなのは、男の子も女の子もです。
「グレイも来ればよかったのに」
歩きながら形の良い唇を尖らせるフェルさん。
今朝方、淑女協定によってお当番な彼女が(こんな協定いつか叩き潰してやります)起こしにいったところ、シーツを頭から被った二日酔いなアッシュロードさんに、すげなく追い返されてしまったそうです。
昨夜のマグダラ陛下との突発的なお茶会で、すっかり寝酒が覚めてしまったアッシュロードさんは当然のように飲み直し、深酒が祟ってしまったのです。
安酒に慣れた身体が、あまりにも高級で上品なお酒にビックリしてしまったのでしょう。
「可哀想だから “解毒” の加護でお酒を抜いてあげようとしたら、『二日酔いも酒を飲む楽しみの一部だ』なんて言うのよ。わけがわからないわ」
「まったくです、あんなわけのわからない人の面倒を見られるのは――」
「「わたしだけ」です」
おっかぶせてくるフェルさん。
そうまでして張り合いますか。
張り合っちゃいますか。
にこやかに微笑み合う、僧侶がふたり。
ですが目蓋の奥の瞳は笑っていません。
「~おふたりさん。右手がススッと戦棍に伸びてるんだけど、市街戦でも始める気?」
おっと、いけません、いけません。
まだいけません。
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「――なんだ、おまえたちも来たのか」
お店に入ると、よく知る声が迎えてくれました。
“ボルザッグ商店” はルシタニア大陸全土に広くチェーン展開する、武具と魔道具の|専門店《TRADING POST》です。
そのカウンターの前に立つ、一八〇センチメートルを超える堂々たる偉丈婦。
名前を表すような色鮮やかな緋色の髪がサラリと揺れ、形のよい口元が綻び白い歯が覗きます。
「君も来ていたのか、スカーレット」
「ああ、迷宮で手に入れた不要品を引き取ってもらいにな」
レットさんが答え、スカーレットさんが微笑みます。
どちらの声も弾んで聞こえるのは、ふたりの関係を思えば当然でしょう。
「ヴァルレハたちは?」
「この先のカフェにいる。なんでもその店のスィートロールは聖王都一と噂されるほどの絶品らしくてな。籤で負けたわたしが面倒事を押しつけられたというわけだ」
「「「聖王都一の絶品スィートロール!?」」」
ドンピシャリのタイミングで反応する、後衛三人娘!
やはり女の子には武器よりも防具よりも、スィーツです!
「「「レット(さん)!」」」
「ああ、わかってる。買い物が済んだら行こう」
「ツキのない日だと思ったが帳尻があったらしい。出先でおまえと行き逢えたのだからな」
「女神の微笑みに感謝しよう」
「おいおい、俺たちはお邪魔らしいぞ」
おどけるジグさんに他のみんなも便乗して、
ご馳走様ー!(笑)
と我らがリーダーに向かって、ビッビッビッビッ! とサムズアップ。
謹厳なカドモフさんまでもが、謹厳な顔でサムズアップ。
「コホン――で、どうだ? “大アカシニア”の取引所と比べて?」
「品揃えはなかなかだ。+2の魔剣もある。だが “トレバーンの城塞都市”よりも値が張るな」
「そうなのか?」
「ああ、近郊の迷宮から持ち帰られた品ではなく、“紫衣の魔女の迷宮” 産の輸入品らしい。“龍の文鎮” にしろ半年前に解放された “呪いの大穴” にしろ、+2相当の品が手に入るのは深奥だ。リーンガミルにはそこまで潜れる探索者がいないようだな」
「なるほど」
探索者――リーンガミルでは冒険者と呼ばれている――が成長するには、時間が掛かります。
地下迷宮の最下層、あるいは最上層近くに潜り登れるレベルに達するには、本来なら何十年と修業をしなければなりません。
ですが迷宮の過酷な探索を潜り抜けることで、わずか数年。
場合によってはわたしたちのように、ほんの数ヶ月で到達することすら出来るのです。
強大な魔物との死闘。
灰と隣り合わせの日々がもたらす莫大な経験値が、探索者を叩き上げるのです。
ですがそれも、探索者を志す人間がいればこそ。
“龍の文鎮” は、第一階層から “塵人” のような危険な不死属や、“動き回る海藻” のような面倒なだけの魔物が大量に出現します。
入手できる財宝も少なく、経験値は至ってはさらに乏しい。
お金を稼ぐにしろ腕を磨くにしろ効率が悪すぎて、人気がありません。
“呪いの大穴” はそれよりもずっと稼ぎのよい迷宮らしいですが、解放されてからまだ日が浅く、+2相当の武具が手に入る階層まで潜れる探索者は現れていないようです。
これまでのリーンガミルには迷宮探索者が育つ土壌はなく、それ故に世界中から “紫衣の魔女の迷宮” に人が集まり、トレバーン陛下に有為の人材を供給する “試練場” となっていたのです。
「そこの陳列棚を見てみろ。“真っ二つにするもの” が、20,000 D.G.P.だ」
「そいつは……確かに高いな」
「“トレバーンの城塞都市” なら4,000 D.G.P.だからな。だが、ここでは+1の方が高いという例のサービスはないらしいから、値が張るとはいっても適正値になっただけとも言える」
「+2の武具を買うなら、“大アカシニア” に戻ってからか」
「そうガッカリすることもない。高いのは+2の得物だけで、鎧や盾の類いは同じ値だ――取りあえず不要な品を売り払って、新しい防具を買ったらどうだ?」
落胆を隠せないレットさんに、スカーレットさんが女性らしい微笑みを浮かべます。
「そうだな」
恋人の笑顔にレットさんは気を取り直した様子で店員さんを呼ぶと、ずだ袋に詰めてきた装備の下取りを頼みました。
わたしたちも、それぞれ担いできたずだ袋を差し出します。
どの品もすでにトリニティさんによって鑑定済みなので、状態の善し悪しを見るだけです。
その善し悪しも、ボッシュさんによって不良品は鋳つぶされてボイラーその他になってしまっているので、店員さんの手間は大幅に省けているはずでした。
果たしてそれほど時間はかからず作業は終わり、ほぼ当初の見立てどおりの金額で引き取ってもらうことができました。
「あたい、こんな大金持ったの生まれて初めてだよ!」
大粒の宝石が詰まった革袋を手に、パーシャがホクホク顔を浮かべます。
もう、絵に描いたようなホクホク顔です。
「な、なんだか持っているのが怖くなってしまいます」
同様の革袋を手にしたわたしは、逆にビクビク顔です。
ついこの間まではプレーンの麦粥が主食の貧乏探索者で、さらにその前は普通のの高校一年生だったわたしのとって、迷宮金貨二万枚の価値がある宝石袋はヘビィすぎます。
「“予言者の杖” と “破聖の斧” が高く売れたからな」
ジグさんは、パーシャ同様余裕の表情です。
ポンポンと宝石袋を掌で弾ませる姿は、少し可愛くありません。
“予言者の杖” とは別名 “羊飼いの杖” とも呼ばれ、動物系の魔物攻撃を緩和させる効果がある、“善” の属性専用の魔法の杖です。
“破聖の斧” は “悪” の属性の者にしか扱えない、聖職者に特効のある魔法の斧です。
共に迷宮金貨一万枚以上で引き取ってもらえました。
杖は “中立” のジグさんとカドモフさんを除く四人が装備できますが、前衛のレットさんには使い出がなく、わたしにしてもフェルさんにしても戦棍の方が使い慣れています。
パーシャは短刀派魔術師の筆頭な上、そもそも人間用に作られた杖は長すぎて持て余してしまいます。
斧の方は+2相当の戦斧に匹敵する威力があったのですが、属性的に装備できる人がいなかったのです(カドモフさんはとても残念そうでした)。
「――親父、革鎧だ! この店に置いてある一番いい革鎧を出してくれ!」
「あたいの “ぶっ刺すもの” よりもいい短刀はある!?」
「……甲冑と盾を見せてもらおうか。+2の武器は “トレバーンの城塞都市” で買う方が得らしいからな」
「俺も防具を見せてくれ」
「子供なんだから」
「本当に」
お小遣いを手にオモチャに殺到する子供たちに、ほっこりと微笑み合うフェルさんとわたしです。







