大団円
迷宮を揺るがす大咆哮は、自由を取り戻した世界蛇の歓喜を現すように長く長く続きました。
わたしたちは両耳を押さえてうずくまり、“真龍” の感情表現が治まるのを待ちます。
なんといっても、正真正銘紛れもない世界最大の竜属です。
伝説に謳われる巨竜 “大赤竜” でさえ、あらゆる面で及ばないスケールです。
(嬉しいのですね! 嬉しいのですよね! わかっています! わかっていますとも! わかっていますから――もう少しお淑やかにお願いします!)
そんなあなたに、何事も “過ぎたるは及ばざるがごとし” という、孔子様のありがたいお言葉を贈らせて頂きましょう!
そんなわたし(たち)の切実な願いが通じたのか、単に世界最大の肺活量にも限界があったのか、鼓膜が破壊される前にどうにか “真龍” の吼声は治まりました。
「ひぃ、ふぅ……お、お気遣いありがとうございます」
わたしは両耳から手を放すと、息も絶え絶え呟きました。
そして顔を上げると、わたしたちを見つめる “真龍” の静逸な瞳と目が合います。
水鏡のように澄んで一切の動揺のない瞳。
ただ見つめているだけで心の汚れが洗い流されるような深い瞳に、つかの間その場にいた全員が時を奪われました。
やがて……。
“真龍” の姿が霧が晴れるように、次第に薄れていきました。
自我を取り戻し、またこの星と――世界と一体になるのです。
完全に消え去る直前、“真龍” がウィンクをしたように見えたのは、きっと気のせいでしょう。
わたしたちは龍の使命を達成したのです。
「終わった……の?」
「ええ、終わりました」
呟いたフェルさんに、わたしはうなずきました。
途端に全員がヘナヘナと腰砕け、座り込みます。
「し、死ぬかと思った!!!」
パーシャがこれ以上ない適切な表現で、全員の気持ちを代弁しました。
顔は真っ黒。
トレードマークの茶色の巻き毛も汚れに汚れ、見るも無惨な有様です。
わたしを含めた他の誰もが似たり寄ったりで、本当によく生き残れたものです。
「とにかく少し休もう。気力が欠片も残ってない」
レットさんが珍しく弛緩した言葉を漏らし、それでも経験を積んだわたしたちは油断することなく、残りわずかな魔除けの聖水を使ってキャンプを張りました。
パーティの六人の他に、アッシュロードさんとドーラさん。
そして窮地を救ってくれた見ず知らずのご浪人さん?も一緒です。
「あ、あの、危ないところをありがとうございました」
わたしは右手にアッシュロードさん、左手にドーラさんを看ながら、お礼を言いました。
油っ気の抜けたボサボサの総髪に乗った曲がった髷。
まとった襤褸の下から覗く、擦り切れた袴。
大小の小のない、大刀だけの差料。
顔の下半面を覆う無精髭。
「あなたはいったい……?」
「俺か? 俺は」
そういってご浪人さんは辺りを見渡しました。
「宝畑三十郎。まあ、もうすぐ四十郞だが」
「はぁ……」
「そんなことより、その毛深いくノ一の手当をしてやりな。深手だぜ」
宝畑さんの言葉にわたしは表情を引き締め、ドーラさんを見ました。
「折れた肋骨が肺に刺さっているようです。完全に治すには “神癒” が必要ですが、もう……」
「……痛みが退いて……動けるようになればいいさね……」
ヒューヒューと喘鳴の混じった声で、ドーラさんが答えます。
わたしはすぐにフェルさんと一緒に、残った “小癒” をすべて嘆願しました。
“神癒” どころか “大癒” や “中癒” すら底を突いていたのです。
「これでも全然足りませんが、ジッとしていれば “癒しの指輪” の効果で楽になるでしょう」
目だけでうなずき、ドーラさんは目蓋を閉じました。
「……グレイの容態も悪いわ」
フェルさんが沈鬱な表情で、アッシュロードさんの額にかかった前髪を整えます。
どうにか意識を保っていたアッシュロードさんも今は高熱に浮かされ、ときおり譫言を漏らしています。
暖を取ってあげたいのですが、“真龍” の突然の出現で背嚢ごと残っていた燃料を紛失してしまい、火を熾すことができないのです。
「……問題がある」
レットさんが重苦しい口を開きました。
「……俺たちは “真龍” から “妖獣” を駆除したが、迷宮から駆逐したわけじゃない。拠点に還る途中で奴らと遭遇する可能性がある」
「…… “妖獣” 以外の魔物でも、今の状態じゃ厳しいな」
「……普通こういうのってさ、使命を達成したら、拠点とか城とか宿屋とかに魔法で送り届けてくれるもんじゃないの、パッと? わかってないよ、あの蛇は」
パーシャが疲れ切った顔でボヤいたとき、
「そんなことはないわ。世界蛇はすべてわかってる。なんの問題もない」
突然宙空に澄んだ声が響いたかと思えば、ポンッ! とポップコーンが弾けるように、いきなり光り輝く女性が現れアッシュロードさんに抱きつきました。
「ああ、アッシュロード。無事だったのね。でも今のあなたはとてもとても楽しくなさそうだわ。まってて、すぐにわたしが癒してあげる。天使の “神癒” は聖女の “神癒” より、もっとずっと気持ちがいいのよ」
いろいろと――カチンッ! & ムカッ!
「ちょおっっと、ガブさん!」
わたしは熾天使さまの緑衣の襟首をむんずとつかむと、強引にアッシュロードさんから引き剥がしました。
「きゃっ! ――まあ、どうしたの、ライスライト? あなたもとてもとても楽しくなさそうだわ」
「ええ、誰かさんのお陰でとてもとても楽しくありませんですことですわ」
引き攣った笑顔から、ドスの効いた変な言葉が漏れます。
「あなたはドーラさんの守護天使でもあるのでしょう! そこの馬鹿犬の面倒はわたしが見ますから、あなたはドーラさんを癒してあげてください!」
「まあ、とっても怖い顔! とてもとても楽しくないのね? でもどうして――はっ! これは嫉妬! 嫉妬ね! あなたはわたしにジェラシーを感じているのね、ライスライト!」
パムッ! と可愛らしく手を合わせると、ガブリエルさんは無垢で無邪気な顔を輝かせました。
「これはラブコメ! ラブコメよ! すごい、すごいわ、ガブリエル! あなたは今、ラブコメのヒロインになったのよ!」
「嗚呼、女神さま!」
わたしは天を仰ぎました!
女神さま、ニルダニス様! どうかこの天使な脳天気を、岩の中に飛ばしてください!
「? その表現は間違っているわ、ライスラスト。正しくは『ああ、天使さま』よ?」
「間違ってません! 自分の物は自分で面倒を見ます! いいからあなたはドーラさんをお願いします!」
「ちょっとまって! どさくさに紛れて何よ、自分の物って!? いつからグレイはあなたの物になったのよ!?」
「そうよ、ライスライト。楽しいことを独り占めするのはよくないわ。幸せはみんなで分かち合わないと」
「分かち合ったら、幸せにはなれないんです!」
喧々囂々! 押しくら饅頭、押されて泣くな!
(((終わったと思ったら、もう始まったか)))←男子ズ。
「ガブ……リエル、君の助力を当てにしていいのだろうか? 俺たちは拠点に戻らなければならないが、体力も魔力も物資も底を突いている。君の助けが必要だ」
「ああ、それに拠点は拠点で心配だ。あっちもあっちで “妖獣” と戦争中だからな」
「もちろんよ、あなたたちが “真龍” を解放したことで、理が更新された。今のわたしは大手を振って友好的な存在よ」
朗らかに答えると、ガブリエルさんは両掌を合わせ目を閉じました。
その瞬間柔らかな金色の光が彼女から溢れ、“火の七日間” の最後、“紫衣の魔女” が掲げた護符と同じ力が、わたしたち全員の傷と疲労がすべて癒し去ったのです。
「やれやれ、ありがとうよ、ガブ」
傷の癒えたドーラさんが顔を振りながら立ち上がり、
「あんたもね、用心棒」
「高いもんにつくぜ」
「お宝ならそこらにいくらでもあるさね。好きなだけ持ってきな」
宝畑さんと軽妙な会話を交わします。
アッシュロードの呼吸も穏やかになり、表情から苦悶の色が消えました。
「ありがとう、ガブリエル――よし、戻ろう! 拠点が心配だ!」
体力と共に気力を充溢させたレットさんが、力強く言いました。
「あら、そんなに急ぐ必要はなくってよ」
「え?」
「あなたたちの拠点は無事よ。“妖獣” はミカエルたちがみんなやっつけてしまったわ。それに四層にいた六人の女探索者も大丈夫」
「スカーレットがか!?」
「ええ、あの六人も襲われて危ないところだったけど、でももう平気よ。彼女たちも “ベルゼブブ” が救ったわ」
ベルゼブブ? ベルゼバブ?
なんでそんな大悪魔が……とも思いましたが、大天使さえこの迷宮では “真龍” の意思に従っているのです。
この場合、深く考えるのはやめておいた方がよさそうです。
「……どうやら、片がついたみたいだな」
「アッシュロードさん!」「グレイ!」「アッシュロード!」
「ぐえっ! ――重てえっ! 三人で乗っかるな!」
「そうです! 三人は重すぎます! フェルさん、ガブさん、遠慮してください!」
「だからなんであなたが仕切ってるのよ! 一番はわたしよ!」
「パムッ! これは椅子取りゲーム! 椅子取りゲームね!」
「~よかったわね、エバ。精神年齢三才の妹ができたわよ。これで三姉妹は四姉妹。あんたも末女なくなってわけだ」
パーシャがボリボリと頭を掻き、他の人たちは詰められる限りの財宝を残った背嚢や雑嚢に詰め、そして――。
「さあ、還りましょう! わたしたちの “湖岸拠点” へ!」
わたしたちは家路に着いたのです。







