聖女
「わたしを売ります! わたしの本当の名前は『枝葉 瑞穂』! “聖女” の恩寵を持つ、あなたたちの言うところの “転移者” です!」
わたしは胸に掌を叩きつけて、保険屋さんを睨みました。
「聖女……転移者だと?」
「はい!」
わたしはいわゆる “クラス転移” に巻き込まれてこの異世界にきた女子高生。
そしてその際に、女神ニルダニスから “聖女” という特殊な恩寵を授かった者。
五人の駆け出し探索者の遺体を回収して蘇生させる費用――わたしには、それぐらいの価値はあるはずです!
「もう一度言います! わたしは “聖女” で “転移者” です! 娼館に売るなり一生奴隷にするなり、わたしを好きにしてください! その代わり、他のみんなを、友だちを助けてください!」
「おい、場所を考えろ! “カドルトス” 信仰の総本山で “ニルダニス” の聖女だなんて!」
保険屋さんが慌ててわたしの口を塞ぎ、キョロキョロと周りを見渡します。
「フガフガッ(いけませんでしたか?)」
「いいわけないだろ!」
“女神ニルダニス” と “男神カドルトス”
わたしたちの世界で言うところの、プロテスタントとカトリックみたいなものだと思っていたのですが……違うのでしょうか?
「念の為に聞くが……まさかあんたの仲間も」
「フガフガフガッ(はい、全員わたしと同じ転移者です)」
「……」
わたしの口から手を離し、なにやら考え込む保険屋さん。
ボリ……。
ボリボリボリボリ……。
ボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリボリ……ッ!
ちょっ、だからフケが飛んでますって!
ピタッ、
「……」
「あ、あの……?」
「……」
「ほ、保険屋さん……?」
「+1,000 D.G.P.」
「……え?」
「だから、回収・蘇生費用+あんたらの新しい装備代1,000 D.G.P.だ」
保険屋さんは苦虫を噛み潰したような顔でわたしを睨みました。
「どうせ身ぐるみ剥がされてるんだ。生き返らせたところで “金なし・ツテなし・装備なし” じゃ迷宮にも潜れず、馬小屋の隅で飢え死にを待つだけだろう。それじゃこっちも経費を回収できん」
――だから、+1,000 D.G.P. だ。
「それじゃ!」
「こっちも商売だからな」
「あり……ありがとう……ござ……ござ……」
お礼の言葉が、言葉にならなくて……。
「なにのん気な顔してやがる。他の連中はみんなおっ死んぢまって俺と契約するのはあんただけなんだぞ。もしそのお友だちとやらがバックレれば費用はまるまるあんたが背負い込むことになるんだ。一度目の蘇生に失敗して“灰化”すれば布施も跳ね上がる。あんたの分も含めて最低でも 4,000 D.G.P. の借金になるんだ」
4,000 D.G.P. ……迷宮金貨四千枚。
迷宮金貨一枚がだいたい日本円にして一〇〇〇円ぐらいです。
だから……四〇〇万円。
万が一の場合、わたし一人で四〇〇万円を稼げるの? それも一ヶ月で?
「だからって……だからって他に方法がないんです。ためらってる余裕はないんです」
わたしは保険屋さんに、そして自分自身に言い聞かせました。
ここで怯んではダメ。
ここで怖じ気づいてはダメ。
踏み出すしか、踏み出すしかないの――。
「……新しい契約を結ぶ。事務所に行くぞ」
根負けしたように保険屋さんがため息を吐くと、やや猫背な背中を再びわたしに向けました。
「あ、あの!」
「まだなんかあんのか!?」
ああっ!? と、保険屋さんがさすがにマジギレする五秒前――ぐらいの勢いで振り返ります。
「名前……」
「……あ?」
「あなたの名前を……教えてください」
保険屋さんは、なぜか戸惑ったような顔をしました。
それでも無視することはなく……、
「“アッシュロード” …… “グレイ・アッシュロード”」
「グレイ……アッシュロード……」
……灰色の……灰の道……。
「なんか、そのまんまですね」
思わず、クスッとした笑みが漏れました。
人間って、こんな状況でも笑うことができるのかと少し驚きです。
でもそれはきっと、ほんの少しだけでも希望が見えたからで……。
「ほっとけ」
「わたしは “枝葉 瑞穂”。”枝葉” がファミリーネームで “瑞穂” が名前です」
「関係ない。俺にとってあんたは迷宮探索者の “エバ・ライスライト” だ。その名前で契約したんだからな」
「そ、そうですか」
「そうだ」
ムスッとなぜか不機嫌そうな保険屋……アッシュロードさん。
それから、どうしてかわたしの顔から視線を下げて……。
「そんなことより、さっきからオッパイが見えてるんだが。露出癖がないんだったら、いい加減に隠せ」
……カアアアァァァァッ!
◆◇◆
「モタモタ歩くな。はぐれちまうぞ」
「ごめんなさい。まだ上手く歩けなくて……」
寺院を出たわたしたちは、その足でアッシュロードさんの事務所に向かいました。
人通りの多い大路をさけてゴミゴミした吐瀉物の臭い漂う路地裏を進んでいたのですが……一度死んで生き返ったわたしの身体は、どうにもギクシャクしていて。
わずかの間に筋肉や骨が萎え衰えてしまった感じで、アッシュロードさんに貸してもらった外套すら重く感じるほどです(は、裸じゃ街はあるけませんから)。
「世話の焼ける奴だ」
アッシュロードさんは立ち止まり、わたしに向かって手を伸ばしました。
額に触れられる、アッシュロードさんの指先。
口の中で何かを唱えて。
(……え? これってまさか)
身体の中に注ぎ込まれる温かな波動――。
途端に、まるで油を差したように身体がスムーズに動くようになりました。
「こ、これってもしかして」
「“痺治” の加護だ。聖職者系第三位階の」
――それで “死後硬直の名残” を消した。
そしてアッシュロードさんはさらに“小癒” の加護も二度願い、蘇生直後で減っていたわたしの “生命力” も回復してくれました。
「街中での加護はモグリ行為として禁じられている。“治療” は強欲寺院の専売特許だからな。あんたはするなよ」
「は、はい……それはもちろん」
それはもちろんなのですが……。
聖職者の加護。そして魔術師の呪文には、修得難易度によって七段階の位階が定められています。
駆け出しのレベル1の僧侶が願えるのは第一位階の加護だけで、それからレベルが二つあがるごとに、願える加護の位階が一つずつあがっていきます。
ですから第三位階の加護を願えるアッシュロードさんは最低でもレベル5の僧侶ということになるのですが、聖職者では装備できない短剣を帯びていますし……。
「あなたは僧侶から転職した戦士なのですか?」
訓練場で受けた説明によると、僧侶や魔術師のようないわゆる魔法使いから転職した戦士は(呪文の使用回数こそ減ってしまいますが)、それまでに覚えた加護や呪文を引き続き使うことが出来るそうです。
でも、直後にアッシュロードさんから語られた答えは違っていて、
「俺は君主 だ」
「え? でも、あなたの属性は――」
「だから俺は、“闇落ちした君主” なんだよ」
君主は “善の戒律” の者だけが就くことのできる選ばれた職業――上級職らしいです。
その職能は戦士の戦闘力に僧侶の加護を加えたハイブリッドな前衛職。
君主は神の祝福を受けた聖騎士であり、それ故にすべての職業の中でもっとも戒律に厳しくあらねばならないそうです。
それが “転向” してしまったということは、そこには何かしらの事情があったわけで……。
「ご、ごめんなさい」
「別に隠してるわけでも恥じてるわけでもない――いいから行くぞ」
「はい……」
わたしは言われるままにアッシュロードさんに付いていきます……。
身体の硬直は解けたはずなのに足取りは重いまま……。