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迷宮保険  作者: 井上啓二
第四章 岩山の龍
399/659

近似値

「……呪文はいくつ残ってる」


「…… “氷嵐(アイス・ストーム)” が二回。奴らに効き目のある炎の呪文はもう …… “酸滅オキシジェン・デストロイ” は残ってるけど、奴らには……」


「……攻撃の加護は “烈風(ウィンド・ブレード)” が一度限りよ」


「……わたしも低位階の癒やしと戒めの加護以外は、“神璧(グレイト・ウォール)” が一度切りです」


 押し殺した声で訊ねたレットさんに、やはり押し殺した声で魔法使い(スペルキャスター)たちが答えました。

 大咆哮は止み、“真龍(ラージブレス)” ……いえ、“暴竜(クオックス)” は低い唸り声を発しながら睨むだけで、小声でも会話が可能だったのです。

 それが逆にとてつもない絶望となって、それだけで圧殺されそうです。

 暴走しているのではなく、わたしたちに狙いを定めている……その意思がハッキリと感じられます。


「……どうしても、あたしたちを滅ぼしたいようだね」


「……ケジメをつけたいのでしょう」


「……ケジメ?」


 呟きに答えたわたしに、ドーラさんが聞き返しました。


「…… “妖獣(THE THING)” は、寄生した宿主の知能や本能に準じた行動を採ります。“真龍” は人間を遙かに超えた知的生命体です。()()()()()()()()()、自分を虚仮にした小癪な存在を始末したいと考えても不思議ではありません」


「……なるほどね、あたしたちは引っ越す前に燃やされるゴミってわけかい」


「……退路は?」


「……ないな。あいつの足元を突っ切っていかない限りは」


「……“暗黒(ダークネス)” で目潰しして、その隙に走り抜けられないか?」


 レットさんがジグさんに、ついでパーシャに訊ねます。


「……耐呪(レジスト)できない呪文だから可能かもしれないけど、あの大きさだから……」


「……尻尾の一振り……で全滅か」


「……うん」


 絶望に押し潰されそうになりながらも、レットさんは必死に生き残る術を探し続けています。

 “暴竜” はまるでその様子を楽しんでいるように、低く唸りながらわたしたちを見下ろしていました。

 いえ……まさしく楽しんでいるのでしょう。

 虫ケラよりも卑小なわたしたちが、恐怖に怯え竦みながらそれでも生にしがみつく様を。


 時空が歪んでいなければ迷宮にはとても収まりきれないだろう、世界最大の竜属(ドラゴン)

 美しい緑青(ろくしょう)の竜鱗には、醜いピンクと紫のブヨブヨとした肉腫―― “妖獣” がそこかしこにへばりつき、特に集中している頭部は巨大な瘤となって膨れあがっています。

 肉腫からは例の細い針管のような触手が飛び出し、発せられるヒュンヒュンという風切り音は低い唸り声と合わさって、わたしたちの心を切り裂きました。


 ――と。


 不意に “暴竜” が唸るのをやめ、その胸が明滅し大きく膨らんだのです!

 魔剣のような牙が無数に並ぶ巨大な口がカッと開かれ、わたしたちに向けられました。


 ――竜息(ブレス)


「逃げろっ!!!!!」


 レットさんが絶叫します。

 それが絶対に不可能であることは、レットさんにもわかっていたはずです。

 むしろこの状況で大きな声を上げられたことこそ、称賛されるべきでしょう。

 彼以外の誰もが、蛇に睨まれた蛙のように硬直し、指一本動かせずにいたのですから。


 次の瞬間、不意に鎌首がもたげられ、“暴竜” の口から竜息が迸りました。

 それは炎ではありませんでした。

 冷気でもありませんでした。

 迷宮の高い天井を、岩山の分厚い岩盤を、瞬時に溶解・貫通する超高出力の蒼白い光線(レーザー)

 岩山を貫いた光線は、空を突き抜け、外宇宙に達し、その先へとさらに伸びていきました。


 溶けた天井が凍った床に落ち、莫大な財宝を覆っていた氷を一瞬で蒸発させたあとも、わたしたちは魂を抜かれたように立ち尽くしました。

 蛇に睨まれた蛙……そんな生易しいものではありません。

 神の御業(奇跡)を前にした人間の、矮小でか弱い人間の……それは反応でした。

 希望も……絶望すらも消滅させる、圧倒的な力の差。

 最後の戦いは、最期の戦いにすらならず。

 澄んだ青空は、限りなく透明に近く。

 もう一度見ることは叶わない。

 わたしたちはごく自然に、その事実を受け入れたのでした。


 ――唯一人を除いて。


「……ターボだ……」


 耳元で囁く声。


「……ターボをかけろ……」


 わたしはハッと我に帰り、彼を見ました。

 高熱に冒されていましたが、その瞳は澄んで沈着でした。

 邪気のない少年のような微笑(びしょう)が、わたしを見つめています。


 その微笑みの奥にある真意に辿り着いたとき、辿り着けたとき、わたしの中に希望を超えた力が沸き起こりました!

 それは信頼よりも強く、恋情よりも濃く、愛情よりも深く大きな感動!

 この人は――アッシュロードさんは、ずっと気づいていたのです!

 ずっと気づいていて、ずっとわたしに教えてくれていたのです!

 生き残るための術――悪巧みを!


「パーシャ、フェルさん! ターボをかけます! 手伝ってください!」


 わたしは驚くふたりに、パーティの全員に、手早く説明しました!


「そんなことが出来るのかい!?」


「出来ます! すでに何度となくやっていることです!」


 仰天するドーラさんに、キッパリと言い切ります!

 今回はそれをアレンジするだけです!


「躊躇している時間はありません! チャンスは “暴竜” がわたしたちを侮っている今だけです!」


「よし、やってやろうじゃないの! このままペシャンコにされるなんてまっぴらだからね!」


 パーシャが躍り上がるように叫び、


「いいわ! やりましょう!」


 フェルさんも力強くうなずきます!


「基点はあんただよ、エバ! タイミングは任せた!」


 パーシャの励ましを耳に、わたしの目はすでに自分たちを見下ろしている “暴竜” ――その周辺の空間に注がれていました!


「――いきます! 慈母なる女神 “ニルダニス” よ、大いなる敵に挑む勇気ある子に、護りの御壁(みへき)をお与えください―― “神璧(グレイト・ウォール)” !」


 女神に嘆願が聞き届けられるや否や、光り輝く半透明の障壁が巨大な立方体を作り、周囲の大気ごと “暴竜” を閉じ込めます!


「慈母なる女神 “ニルダニス “ の烈しき息吹持て――風よ、()き刃となれ!」


 さらにフェルさんが、その障壁に向かって真空の刃を斬りつけました!

 カミソリよりも薄い不可視の刃は女神の障壁を斬り裂き、そのさらに内側に向かって吹き込みます!

 密閉された巨大な箱に、無理やり風を送り込み続けるフェルさん!

 障壁の中でどんどん圧縮されていく()()

 “風のフェリリル” 以外の誰に、ここまで自在に風の精霊(シルフェ)を操ることができるでしょうか!

 そして障壁の中で高まる気圧はわたしにのし掛かり、そんなわたしに構わずフェルさんは風を送り込み続けます!

 ふたりの僧侶(プリーステス)の意地と意地とのぶつかり合いです!


((負けるものですかっ!!!))


 事ここに至って、ようやく “暴竜” が自分の身に起こっている異変に気づきました!

 圧縮されて濃度の高まった()()に、“妖獣” が悶え出したのです!

 密閉されたシリンダー(空間)に、無理やり空気を送り込む!

 まさしく過給器(ターボチャージャー)です!

 さらに――!


「パーシャ、今です!」


「音に聞け! ホビット竜殺しの呪文、いざ唱えん! ―― “酸滅オキシジェン・デストロイ”!」


 酸素を消滅させる “酸滅” の呪文を使って、パーシャが()()()()の物質を消し去ります!

 過給器と、空気から窒素を除去する酸素濃縮器の合わせ技――これこそアッシュロードさんが、わたしに囁き続けてくれていた生き残るための秘策、悪巧みだったのです!

 しかも、


 巨大な物体を包み込んで張り巡らす障壁も、

 風を自在に操る祝詞も、

 大気の成分を思い通りに変質させる詠唱法も、


 拠点の作業場で “動き回る海藻(クローリング・ケルプ)” から燃料を作る過程で何十回と繰り返し、身につけています!

 決してぶっつけ本番ではないのです!


 いろいろと言われ、実際にいろいろと欠点の多い人ですが、土壇場でのしぶとさという点においてグレイ・アッシュロードという人は――まさに天才です!!!


 “暴竜” の大咆哮――苦しみの咆哮が、氷の最上層を震わせました!


 限りなく透明に近くても、それは透明ではなく、

 限りなく絶望に近くても、それは絶望でない。

 あくまで、近似値でしかないのです。



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[一言] 流石にこの伏線は読めませんでしたw
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