レディ・パーフェクトリー
「――すぐに “神癒” を!」
わずかに遅れて駆け付けたフェルさんが、全身に霜が降りたアッシュロードさんを見て、噛みつかんばかりに振り返りました。
通常ならフェルさんが言われるまでもなく、加護の嘆願を始めていたでしょう。
ですが、今回はそうはいかないのです。
「ドーラさんも石化しています。まずは彼女を癒さないと」
わたしはムッとして言い返しました。
まるであなたの想いはその程度なの!? と問われたような気がしたのです。
「ドーラは石になっているけど生命力に問題はないわ! でもグレイの生命力は1なのよ! “癒しの指輪” がなければとっくに凍死していたわ!」
指輪の力だけではありません!
ポトルさんの護符があったからです!
そう反論したかったのですが、瑠璃色の輝きに気づいたのはどうやらわたしだけのようで、そもそも今は重要ではありません。
「石になったドーラさんの重さは数倍になっています。担いで帰還はできません」
石化した人体の比重(密度)はそれまでの三倍近くに達し、特殊な器具や方法を用いない限り運搬はできません。
肺に空気の入った人間の比重は、水とほぼ同じ1。
種類にもよりますが、石のそれは2~3。
ドーラさんの体重が装備も合わせて約四〇キログラムだとしても、最大で一二〇キログラム近くにもなります。
人間大の石像の重さを考えれば、子供にもわかることです。
「ケンカしてる場合じゃないでしょ!」
ホビットの雷のような一喝が落ちました。
フェルさんもわたしもハッと気がつき、顔を赤らめます。
「……どう思う?」
「……一般的な火成岩や堆積岩並みの比重だ。軽石よりもずっと大きい。今の迷宮の状況を考えると、エバの言うとおり担いで帰るのは無謀だ」
レットさんに問われたカドモフさんが、ムッツリと答えます。
鉱物についてはドワーフの右に出る者はいません。
前衛の三人のうちジグさんはともかく、ふたりの戦士は武器と防具を合わせて、すでに二〇キログラム近い装備を身につけています。
「それに猫人を癒せば、マスターニンジャの助勢も得られる……か」
カドモフさんにうむりと同意されると、レットさんがわたしを見ました。
「エバ、“神癒” はドーラに使ってくれ。アッシュロードはそれ以外で頼む」
わたしはうなずくなり命に別状のないドーラさんは後に回し、アッシュロードさんに残っているありったけの癒やしの加護を施しました。
“大癒” “中癒” “小癒”
どの加護も “神癒” に比べると効果にばらつきがあり、なかなかバイタルサインが戻りません。
回復効果のある魔法の指輪とポトルさんの護符のお陰で凍死は免れたものの、脈拍は弱く、呼吸は浅く、血圧も無いに等しい――仮死状態です。
わたしが必死に蘇生措置を施している横でフェルさんが、
「――もう一度キャンプを張るわ! 火を熾してグレイを温めるのよ!」
残りわずかな魔除けの聖水で魔方陣を描き、新しいキャンプを張り始めました。
中心ではパーシャが燃料を積み上げ、火打ち石を打っています。
背嚢に詰め込んできた乾燥燃料も底を突きかけていますが、今は躊躇などしていられません。
(――これは冬眠! 冬眠です!)
蛇や蛙の冬眠を仮死状態とも表現すると、なにかで読んだ覚えがあります。
なら哺乳類だって、霊長類だって、人間だって――この人だって同じはず。
(冬眠なら暖かくなれば目覚めるはず! 春ですよ、春が来ましたよ! だから――だから――とっと目覚めなさい、このぐーたら保険屋っ!)
・
・
・
・
・
・
・
・
・
「……そんな、“真龍” まで寄生されてたなんて」
「ああ、あたしもこの目で見たときはおったまげたよ」
ひび割れた声を漏らしたパーシャに、ドーラさんが肩を竦めました。
「あの異星の化物は、あたしたちが考えてた以上の化物さ。“真龍” がこの階層を氷室にして、自分ごと封じ込めたのも納得さね」
ドーラさんは残されていた最後の “神癒” よって、石化を含めたありとあらゆる負傷や疲労が回復し、今は万全の状態になっています。
「あの大破壊は、寄生されて物狂った世界蛇の仕業か」
「普通なら、そんな珍しいもんなら一目見たいと思うもんだが……今回ばかりは見られなかった不運に感謝するぜ」
レットさんの呟きに込められた思いに、ジグさんが彼一流の表現で同意しました。
暴走した世界蛇……もしそんなものに遭遇していたら、わたしたちは……。
「……よく生き残れたものだ」
カドモフさんが深々と嘆息します。
「まったく、毎度毎度この馬鹿犬には驚かされるよ」
ドーラさんが深い感情の籠もった眼差しを、炎の側で寝かされているアッシュロードさんに向けました。
アッシュロードさんは毛布を何枚も掛けられ、酷い高熱にうなされています。
命の危機は脱しましたが、容態は安定せず、意識も戻っていません。
今度は上がりすぎてしまった体温を下げるために、わたしとフェルさんが着きっきりで看なければなりませんでした。
氷はいくらでもあります。
フェルさんが戦棍で砕いた氷でアッシュロードさんを冷やしている間、わたしは爆ぜた炎が毛布に燃え移らないように注視していました。
「おっちゃん、“真龍” をどこに飛ばしたんだろう…… “転移の冠” で」
「さあね、この岩山のずっと深くだろうかね」
「…… “真龍” 死んじゃったのかな」
いかに強大な生命力を持つ竜属とは言いえ、何百~何千万トンの地圧に耐えられるとは思いません。
どんな生物でも絶対に無理なはずです。
ですが……。
「“真龍” はこの星の意思が具現化した存在だと言われています……世界はまだ滅んではいません」
“真龍” はただの生物ではないのです。
死ぬことなどあるのかどうか。
殺すことなど出来るのかどうか。
「それにしても……なぜグレイは帰路が見つかったのに、わざわざ単独で “真龍” のところに行ったのかしら?」
憂いを帯びた瞳でアッシュロードさんを見つめながら、フェルさんが疑問を口にしました。
そもそもそれが、この窮地を招いてしまった原因なのです。
「変ですね」
わたしは呟きました。
「変よ」
フェルさんも同じ意見です。
「「この人が何の考えもなく、そんな馬鹿な真似をするはずがない」」
迷宮ではどんな時でもふてぶてしいほどに沈着なアッシュロードさんが、理由もなしにそんな行動を採るわけがありません。
そこには生還を顧みてはいられないほどの事情があったはず――。
「なによ、その事情って?」
訳がわからないよ――といった顔で訊ねたパーシャに、
「それは――」
『わたしにもわかりません』
と応じかけたときでした、微かな振動を感じたのは。
「……地震?」
感じるか感じないかの微震は徐々に強まり、ついには岩山を鳴動させる大揺れに!
「違う! これは何かが地中を――!」
カドモフさんがそう叫んだとき、それが外壁を突き破る巨大な爆砕音が轟きました!
そして内壁の氷を砕き落とす、大咆哮!
何千万トンの圧力に耐え――。
何千メートルもの岩盤を食い破り――。
迷宮の主が帰還したのです!







