ニュークリアス
これこそが、すべての真相だったのだ。
これこそが、すべての原因だったのだ。
この星の意思たる世界蛇は、“妖獣” に寄生されていたのだ。
アッシュロードは呻いた。
「……それで……どうしろってんだ?」
“真龍” の意思も望みもわかっている。
わかっていたが、それでも呻かずにはいられなかった。
美しい緑青の竜鱗にまとわりついている “妖獣” を駆除させたいのだろう。
誰だって、龍だって、自分の身体に気色の悪いブヨブヨが引っ付いていたら、取ってほしくてたまらないのは当然だ。
だが、それにしたって限度という物があるだろう。
アイスハーケンを使って氷壁登りして、ザイルでぶら下がりながら魔剣で “腫瘍” を切除しろってか?
「……怪獣の外科手術なんて保険の適用外だ」
それでもアッシュロードの頭骨の中身は、解決策を求めて回転する。
パッと頭をよぎった “氷壁登り+外科手術” 以外に、なにか他にもっと合理的で効率的で効果的な方法はないものだろうか。
外科的措置も駄目。
自然治癒は論外。
あとは内科的措置? 服薬?
だが、こんな馬鹿でかい龍に効くほどの虫下しが、迷宮で手に入るとはとても思えない。
そもそも異星の生物を殺せる正露丸なんて、あるのかどうか。
「……大昔のSFであったな。水爆でも倒せないエイリアンが、人間には無害なバクテリアで全滅しちまうって話が」
我知らず、封印の網目から灰原道行だった頃の記憶が零れたとき、巨龍を覆う氷がまた一塊剥がれ落ちた。
そして、ハタと気づく。
「畜生、そういうことか!」
暗黒回廊が灰色回廊となり、今は完全に消え去って靄に霞む大広間が現れた理由に。
“変身獣人” と同化した “妖獣” の言葉は、どこからどこまでも正しかったのだ。
“真龍” の意識は一秒毎に薄まっており、迷宮支配者として迷宮に施した魔法の罠がその影響で消えているのである。
そしてそこまで思い至れば、“真龍” がこの階層を冷凍庫にして、自らを巨大な氷像と化している理由は明らかだ。
「……自分を氷漬けにして、少しでも同化されるのを遅らせようとしたのか」
冷凍保存で病状の悪化を食い止め、未来の治療法に……名医の出現に期待したわけである……。
『そのとおりだ』
いきなり響いた声に、アッシュロードはギョッとして飛び退った。
アッシュロードの背丈の倍ほどもある高さ。
立った今剥がれ落ちた氷塊の奥に覗く、醜悪に脈動する肉腫。
その肉腫に、ギョロリと巨大な目玉が浮かんだのだ。
『よくぞ我が試練を乗り越え、ここまで辿り着いた。勇者よ』
どこから発声しているのか定かでない声が告げる。
「そのセリフ、テメエ “真龍” か?」
『然り。我はこの世界の意思にして具現者。世界蛇 “真龍”』
「随分と思い描いていたのとは違う姿だな」
アッシュロードは嫌悪と同情のない交ぜになった声で、自分を見下ろす大粒の単眼に答えた。
瞬きをしない剥き出しの眼球とは、それだけで禁忌の象徴だ。
単体で抜き取った場合、生物の器官でこれほど嫌悪感を催す物は他にない。
『我とて、このような姿を曝すのは苦痛。しかし、やむを得ぬ。我に残された時間はあまりにも短い。今はどうにかこの者ども抑えてはいるが、今やその力も尽きつつある』
「やっぱり “妖獣” に同化されてるのか」
『然り。この者どもは遠く宇宙から遊星に乗ってやってきた漂着者。最初は大人しく従順で、哀れにも我に庇護を求めてきた』
アッシュロードに驚きはない。
その話はすでにトリニティ・レインから聞かされている。
灰と化し魂となったトリニティが、時空を超えて目撃した情景はやはり真実だったのだ。
「間抜けめ」
アッシュロードは吐き捨てた。
「蛇ってのは智恵の象徴だろうが。そんな得体の知れないメール、なんで気軽に開けちまう。なんでお得意の竜息で、とっとと燃やしちまわなかったんだ」
折に触れて、この迷宮がバグっているように感じたのは当然だ。
安全を装うトロイの木馬によって、文字どおりウィルスに感染していたのだから。
『寛容こそ、世界の有り様にして理。そうでなければ生は苦しみしか生まぬ』
「……」
家主にそういわれると、間借りをしている居候には何も言えなくなる。
だが居候にだって居住権ってもんがあるんだぜ……蛇さんよ。
「それで、俺はどうすればいい? 俺にどうしてほしい?」
『無論、我からこの者どもを引き剥がしてもらいたい』
「だから、それにはどうすれば――」
『我が完全に同化されれば世界が滅ぶ。この者どもは我と同化し我の力を用いて、この星を自分たちだけに都合よく創り替えようとしている』
アッシュロードの忍耐は明らかに限界に達していた。
悠久の時を生きてきた世界最古の生物だけあって、残された時間があまりにも少ないと言いながら、話が冗長で中々進まない。
年寄りの長話に付き合うには、保険屋は疲れ果て、そして怯えきっていた。
「なんだよ、陸地を全部海に沈めて水の星にでもしようってのか」
それならそれで煩わしい一切合切が片づいて、いっそ清々するんじゃねえか。
『この者どもは――』
続く “真龍” の言葉が、忍耐の切れたアッシュロードの顔面をまともに撲った。
『この星から “酸素” を消し去ろうとしているのだ』
「なん……だと?」
『異世界の知識を持つ汝だ。この意味するところもわかろう』
「ちょっと待て! なんでそうなるんだ!?」
『この者どもにとって酸素は有なる害となる元素。大気中に酸素が存在している限り、この者どもは完全な力を発揮することはできない』
「……嫌気性生物」
またしても封印の網目から、灰原道行の記憶が漏れた。
それは生存に酸素を必要としない生物の総称である。
『同化が……終われば……この星は……一瞬で……死の……世界に……』
不意に “真龍” の声が苦しげに変わった。
巨大な眼球がグルグルと回り始める。
「おい、どうした!?」
ビタッ、
突発的に始まった激しい眼球運動が、またしても突然止まる。
そして――。
アッシュロードは巨大な眼球の奥に宿る意思が、つい今し方まで話をしていた相手ではないことにすぐに気づいた。
(……こうも違うとはな)
目蓋もなく剥き出しの眼球だったが、“真龍” のそれには確かに表情があった。
だが今頭上で自分を見下ろす目玉には、一切の色がない。
無色。
無機質。
無表情。
無感情。
あるのはただただ、妖しい存在感のみ。
「おい、俺は蛇と話してんだ。外来種は引っ込んでろ」
眼球の奥に現れた別の意思にむかって、アッシュロードは罵った。
『我々はゼノ。お前達は同化される。抵抗は無意味だ』
「ゼノだと?」
『我々は広大な宇宙に放たれた次なる世代。数多のうちのひとつ。その数多のひとつひとつが新たな世界を創る。抵抗は無意味だ』
「要するに勝手に自家発電してぶちまけた精子ってこったろうが! 女を孕ませたいならちゃんと合意の上でしやがれ! この強姦魔が!」
アッシュロードは口の悪い男だが、平素ここまで下品に罵ることはない。
それほどまでに――強靱な自制心が砕け散るほどに、アッシュロードは目の前の存在を嫌悪し、恐怖していた。
『間もなく我々は同化したこの生命体の能力を使い、この星の酸素を消滅する。抵抗は無意味だ。だがここまで辿り着いたおまえに、生き延びる機会をやろう』
「ほう。世界規模の “酸滅” から、どうやって生き延びるってんだ?」
『我々と同化しろ。そうすればおまえだけは生き延びることができる』
「願い下げだ」
予想していた答えを、言下に拒絶する。
『抵抗は無意味だ』
「そいつは……おまえの宿主様にいいやがれ!」
アッシュロードは頭上で見下ろす巨大な眼球に向けて、右手に握っていた曲剣を投げつけた。
+3相当の魔法強化が施された魔剣が、無機質な瞳の中心に深々と吸い込まれる。
「おい、馬鹿蛇! 人に仕事を押しつけておいて、先にくたばってんじゃねえ! テメエはテメエで仕事しろ!」
突き刺さっていた魔剣が見る見る押し出され、ヂャリンと耳障りな音を立てて凍った床に落ちた。
『抵抗は無意――』
しかし、無意味ではなかった。
アッシュロードの怒声が響いたのか、それとも蜂の一刺しが効いたのか。
突然、激しい振動が氷結した広間に走った。
いや、それは広間や階層だけでなく、この “龍の文鎮” を揺るがす鳴動だった。
“真龍” を閉じ込めていた蒼氷に、無数の亀裂が走る。
巨大な氷塊が次々に剥がれ落ち、美しい緑青の竜鱗とそこまとわりつく醜いピンクと紫の肉腫が露わになる。
「そうだっ! もっとだっ! もっと暴れろっ!」
足元に転がった魔剣を爪先で蹴り上げると、宙でその柄をつかみながらアッシュロードは煽った。
医者がどんなに力を尽くしても、患者が病原体と戦う意思を持たなければ可能性はゼロだ。
耳を劈く大咆哮が、アッシュロードを枯れ葉のように吹き飛ばす。
暴竜と化した “真龍” は、凍った分厚い内壁をぶち破り広間を破壊。
暴走を開始した。







