惨劇の夜を明けて
城塞都市 “大アカシニア” の中心部。
白亜の尖塔が建ち並ぶ、雄壮にして典雅。豪奢にして優美。
そして四方を敵国に囲まれながら、未だ一兵たりとも敵の侵入を許したことのない難攻不落の巨城 “レッドパレス”
その尖塔の中心に一際高く威容をそびえさせているのが、狂気の大君主、上帝 “アカシニアス・トレバーン” の玉座を頂く、天主閣 “セントラル・タワー” である。
「……そうか、冒険者の酒場がな」
秘書官からの報告を受けて、玉座に座すトレバーンの唇が微かに歪んだ。嗤っているのだ。
年の頃は四〇代半ば。
強い黒髪の総髪。
色黒で、顔は彫り深く、複数の傷跡が白く残る容貌は百戦錬磨の獅子を彷彿とさせ、実際一度怒気を発すれば、その様はまさに獅子吼だった。
身体には無駄な肉など一片もなく、平素であっても甲冑を脱ぐことはない。
常勝無敗の天才軍略家にして、常在戦場の一騎当万の荒武者。
それが “アカシニアス・トレバーン” であった。
「はい。死者一七名。重傷者一二名。死者のうち二名が蘇生に失敗して消失してございます」
「不甲斐のない奴らよ」
嘲るトレバーンは、それでも愉快そうであった。
「抜け目のない探索者でも、探索後の酒場の中までは武装していなかったようで、それが被害を拡大させたようです」
「抜け目がないとは、例え女を抱くときでも鎧を脱がぬことを言うのだ」
今度こそ本当に、トレバーンの声音に侮蔑の色が滲んだ。
仮にも鎧をまとい剣を佩く者が丸腰で襲われ殺されるなど、無能・惰弱・恥辱の極みでしかない。
自分の家臣にその様な者がいれば、この手で即座に斬ってすてるところだ。
「はっ……確かに」
事務能力ももちろんだが、なによりもその胆力を買われて任に抜粋された秘書官だったが、それでもトレバーンの憤りは彼の心胆を寒からしめた。
「これも、やはりあの “魔女” めの仕業でしょうか?」
「分からぬ。だが、分からぬが故に面白い。予はこの世界のすべての陰謀にあの女が関わっていたとしても驚かぬ」
くくくっ、と喉の奥で笑いを転がして、トレバーンは目を閉じた。
目蓋の裏側に浮かぶのは、紫の法衣をまとった妖艶な美女の姿。
(二〇年の長きにわたって、この俺をここまで楽しませてくれるとは……まったく健気な女ではないか)
「それで、いかがなさいましょう?」
「捨て置け。探索者風情がいくら死のうとこちらの懐は痛まぬ。むしろ無能者を間引きしてくれて助かるぐらいだ」
彼に興味があるのは、試練場の最奥に潜む “大魔女” を討ち取った探索者のみである。
そして、実際にそうした者はすでに何人も現れているのだ。
それ以外の者など、どうなろうと知ったことではない。
トレバーンは目を開けた。
まもなく日が傾く。
夕日を浴びた白亜の城が、その名の如く朱に染まる時間である。
血塗られた覇道を歩む “狂君主” に相応しい居城であった。
◆◇◆
パチクリ。
と、唐突に目を覚ましました。
パチパチと瞬きをして、見慣れぬ天井を見つめます。
ですが……あれ? 見慣れてはいませんが、見たことがないわけではありませんね。この天井。
どこで見たのでしたっけ?
……………………。
…………。
……。
あ――!
ガバッと身体を起こすと、そこはあのアッシュロードさんの事務所でした。
スイートルームの一部屋所狭しと散乱する、衣類だの、装備だの、中身の入っていない酒瓶だの――が、視界に飛び込んできます。
一度見たら忘れられないこの汚部屋 。
間違いありません。
間違いようがありません。
間違えるわけがありません。
ですが、前回来たときとは明らかに違う点がひとつあって、それはわたしが寝ているベッドから客室の入り口までが除雪されたように奇麗になっていて……。
「――あっ!」
タイミングよくドアを開けたホビットの少女が、その細い通路を笑顔で駈けてきました。
「エバッ! 起きたんだね!」
「きゃっ、お手柔らかにお願いします」
ほとんど フライング・ボディーアタック? のような勢いで抱きついてパーシャを、やはり笑顔で受け止めます。
「心配したんだよ。なかなか目を覚まさないから」
「わたし、どうしたのですか……? どうしてアッシュロードさんの部屋に……?」
――はっ!
「パーシャ! アッシュロードさんは――あの人はどうなったのですか!? 助かったのですよね!? そうなのですよね!?」
パーシャの小さな肩をつかんで詰問します!
頭にあるのは、頭にあるのは、あの四匹の獣憑きに一斉に飛び掛かられる、アッシュロードさんの――アッシュロードさんの――。
「い、痛いよ、エバ。だ、大丈夫だって。おっちゃんならぴんぴんしてるよ」
「本当!? 嘘じゃないですよね!?」
「本当だって。こんなこと嘘ついてどうするのさ」
「……そう……ですか……」
無事なんだ……無事だったんだ………………生きてるんだ……。
ポロリ……ポロリ……と涙が零れ……。
わたしは両手で顔を覆いました……。
よかった! よかった!
「うううっ……!」
「エバ……」
(ほんと、どんだけ好きなのさ……)
「――あ、目が覚めたのね」
わたしが嗚咽を漏らしていると、開けっぱなしだった入り口から若い女性の声がしました。
顔を上げると、手に水差しを持ったフェルさんが慈愛に満ちた表情で立っていました。
「気分はどう?」
フェルさんは側までくると、水差しから冷たいお水をタンブラーに注いでくれました。
「ありがとうございます。もう大丈夫です――」
わたしは腫れぼったい目でお礼を言うと、ゴクゴクと喉を鳴らして差し出されたお水を飲み干します。
ハッキリ言って……こんな美味しいお水を飲んだのは、生まれて初めてです!
「よかった。あなたのレベルで “神威” の加護を願うなんて、限界突破もいいところ。あのまま加護が効果を発揮していたら、代償として9レベル分のドレインを受けて、あなた消失してたのよ」
「え……? “神威” の加護ですか……?」
“神威” の加護については、もちろん知っています。
聖職者系最高位階の加護で、女神さまや男神さまに願いを聞き届けていただくには、熟練者 ――つまりレベル13の高い実力が必要な加護です。
当然、未熟な聖職者に嘆願できるような加護ではなく、仮に願いを受け入れてもらえたとしても、足りない分のレベルを代償として捧げることになります。
そして、もしそれが今の自分のレベル以上であるなら、嘆願した者はフェルさんの言うとおり……。
「あなた……覚えてないの?」
「はい……まったく」
あの時は……アッシュロードさんが殺されてしまったと思って……。
「……そう」
フェルさんは何かに考えを巡らせている表情を浮かべていましたが、それ以上は何も言いませんでした。
「とにかく、ドーラさんには感謝しないとね」
「ドーラさん?」
「嘆願が聞き届けられる直前に、あなたに当て身をして気絶させてくれたのよ」
「……あの人が」
「どさくさに紛れて首を刎ねようとしたのかもよ」
パーシャはどうにも、あの人が嫌いなようです。
「フェルさん、わたしはどうしてここにいるのですか? アッシュロードさんは?」
「意識を失ったあなたを、いつまでも馬小屋に寝かせておくわけにはいかないでしょ? かといって二階の簡易寝台は、今はとても寝てられる状態じゃないし」
「一階の酒場があの有様だったでしょ? 修繕やらなんやらで騒々しいなんてもんじゃないんだ」
パーシャが処置なしといった顔で肩を竦めます。
「かといって三階のエコノミーに泊めてあげるお金はないし」
「それでレットが、あの人に――あなたの保険屋さんに頼み込んで」
「あたいは嫌だったのよ。あんな奴の部屋に、こんな汚い部屋にあんたを泊めるなんて」
「そうだったの……」
その時の光景が頭に浮かぶようです……。
「それで、アッシュロードさんは?」
「さあ。あんたと入れ違いで昨夜は馬小屋で寝てたけど、今はどこにいるやら」
「――さっき、“首狩り猫” と一緒に、隣のギルドに入っていったぜ」
投げやりなパーシャの言葉を引き継ぐように、若い男性の声がしました。
「よう、調子は良さそうじゃないか」
「はい。おかげさまで」
ジグさん、レットさん、そしてカドモフさんが、入り口から一列縦隊で狭い通路を進んできます。
「大丈夫か」
「ご心配をお掛けしました。もう平気です」
ジグさんとレットさんにそれぞれ頭を下げます。
「カドモフさんも」
「……うむ」
「とにかくよかった。昨夜のあれで全員が無事だったのは僥倖だ」
「まったくだ」
レットさんの言葉に、ジグさんが深く同意しました。
「あ、あの」
「? どうした、エバ」
「その、わたし……」
「……雪隠か?」
「雪隠? い、いえ、違います。そうではなくて――」
雪隠とはお手洗いのことです。
いえ、カドモフさん。そうではなくて……。
「わたし、ちょっと探索者ギルドに行きたい……かな……と……そのハンナさんの様子も気になりますし……モニョモニョ」
モニョモニョ……。
「「「「「……」」」」」
五人の視線がなぜか痛い……です。
「まあ、いいんじゃないか。俺らも情報収集が必要かも、だし」
「まあ、そうだな」
「えー! 今じゃなくてもいいじゃないのよぉ!」
「パーシャ」
「ちぇっ! ちぇっ、ちぇっ、ちぇっ!」
「……なら行くぞ」
「は、はい!」
わたしはベッドを出ると、いそいそと身支度を調えて、うきうきと探索者ギルドに向かいました。
そして――。
「はぁ? なんであんたが、アッシュロードがあたしの仕事を請け負うのに口を挟むんだい! 受付には関係ないだろ!」
「関係はあります!」
「どんな関係だい!」
「それは」
「それは?」
「全面的にわたしが気に入らないからです!」
ギルドでわたしたちを待っていたのは、“戦” でした。







