暗黒卿の一番弟子
――判断ミス。
冥い沖合から “永光”の中に現れた、これまでに倍する “妖獣” の群れを見て、わたしの脳裏に悔恨が走りました。
トリニティさんの言ったとおりでした。
圧倒的な数で押し寄せる敵に対しては、彼女のような強力な魔術師でなければ増援にはならないのです。
わたしが自分たちの実力を過大に評価し、敵の戦力を過小に評価したせいで、結果として用兵学の厳に戒めるところの “所要に満たない兵力の逐次投入” を行ってしまったのでした。
このままでは二個分隊の応援ごと、各個撃破されてしまうのはわたしたの方です。
「――君の判断は間違ってはいなかったぞ、エバ!」
わたしの動揺を見て取ったレットさんが、即座に励ましてくれました。
「敵として認識できる相手なら、少々数が多くても対処のしようはある!」
「レットの言うとおりだ! 味方に同化されて拠点に潜り込まれたら手の打ちようがねえ! この敵は戦いが終わったあとの方がよっぽど厄介だ! 南の後始末にはトリニティの頭脳が必要だった!」
ジグさんもレットさんに同意し、わたしを慮ってくれます。
「ありがとうございます!」
わたしはうなずき、心の中に湧いた迷いを吹き飛ばしました。
結局は程度の差――腹を括るしかないのです。
いくら撃退後の後始末に神経を払ったとしても、戦場自体は火事場の混乱そのものです。
どんなに周囲の味方に気を配ったとしても、命懸けの戦いを演じながらそのすべてに目を行き渡らせるなど絶対に不可能です。
“妖獣” に同化された騎士や従士が、こっそり戦場を離れて拠点の中に紛れ込む可能性はゼロではなく、むしろ高いとさえ言えます。
後方ではアンたち非戦闘員が、敵味方問わず拠点内に入ってくる存在に警戒の目を光らせています。
トリニティさんからの厳命で、戦いが終わり安全が確認されてからでないと、守備隊は拠点に戻れないからです。
戻れるのは伝令の任務を帯びた人だけで、それも留まれるのは短時間のみ。
ですがそれは、裏を返せば疑心暗鬼の芽を撒くことでもあります。
一〇〇〇人もの人間が不信感を抱き合えば、流言飛語を招き、拠点は内部崩壊への道を突き進むでしょう。
(――なんて厄介な敵なのでしょう! まるでウィルスです!)
やはり不可能だろうとなんだろうと、絶対に水際で防がなければなりません。
しかしこの防衛線で殲滅するにはあまりにも数が多く――。
パーシャも小隊付きのふたりの魔術師も、そしてフェルさんを含む攻撃の呪文や加護を使える魔法使いも、すでに精神力を使い切ってしまっています。
(強力な攻撃魔法を使わず、大量の敵を撃退する――!)
そんな都合の良い方法があるはずもなく、例えあったにしてもこの場ですぐに閃いて実行に移せるとは思えません。
わたしの知る限り、そんな真似をやってのけられる人は唯一人だけです。
ですが、その人は今ここにはいないのです。
(――あの人ならどうするでしょう!? こんな時にあの人なら!?)
わたしは必死に心を落ち着かせ、あの人の思考をトレースします。
冷静でいる限り、悪巧みという資源は無限なのです。
(あの人なら――あの人なら――そう、きっと油で燃やしてしまうでしょう!)
湖面に油を流して火を着け、一網打尽にしてしまったでしょう!
“高位悪魔” ですら焼いてしまった、あの人の十八番です!
ですがこの拠点には、東方の砂漠の国で採れるあの油はありません。
それは実現不可能なアイデアです。
(他に、他には――!?)
圧倒的な数で押し寄せる寄生獣―― “妖獣” に寄生された “動き回る海藻” の大群。
極少数の “海竜”もいますが、敵の主力――大部分はこの迷宮で最弱の魔物です。
そもそも魔物とさえ言えるのかどうか。
迷宮の魔素を吸って、湖底に群生する巨大な海藻が移動するようになっただけの魔法生物です。
意思どころか食欲のような本能があるのかすら定かではありません。
普段この海藻が湖岸に上ってくるのは、拠点の人間を養分にしようとかそんな動物臭い理由ではなく、単に湖中を動き回っているうちに上陸してしまうだけなのです。
文字どおり這いずり回るだけの海藻なのです。
(今は “妖獣” が操っているのでしょうか? “妖獣” に意思――知能があって、思い通りに動かされている?)
いえ、それも違うはず。
群がり寄ってくるだけの海藻に、知性は感じられません。
むしろ普段の行動が激烈になった感じです。
人間のような知的生物と同化すれば、その記憶や思考力を手に入れられるのでしょうが、寄生したのがただの “動き回る海藻” では、そこに意思や知性が備わることはないのかもしれません。
“妖獣” の行動は、寄生した宿主の本能や知性に準じる――。
(そういえば南で戦った “妖獣” たちは、まるで群狼――狼の群のような戦い振りでした。あれはもしかして、最初の一匹があの犬だったからでは?)
付け入る隙があるとするなら、それは “妖獣” にではなく “動き回る海藻” の方。
“妖獣” によって強くなった海藻の本能を利用できれば、あるいは――。
わたしはキッと後方を、自分たちが守る拠点を振り返りました。
“永光” の魔法光が煌々と闇を払い続ける、迷宮の不夜城。
わたしたちが築き上げた迷宮街、“湖岸拠点”
そして閃きが走りました。
「――わたしに考えがあります」
わたしは “フレッドシップ7” の仲間と防戦の指揮を執る第三小隊長さんに、胸中に浮かんだ “悪巧み” を打ち明けます。
「本気か!?」
「もちろんです」
「確証は――もちろんないよな」
「ありません。あくまでわたしの勘に基づく、悪巧み――悪あがきです」
ジグさんが呆れ、レットさんが訊ね返しながら自分で納得し、わたしは開き直りとも採れる言葉を吐きます。
「成功率はよくて三割――いえ、成功すればもうけもの程度です。ですがこのままではジリ貧になって、いずれ防衛線は破られてしまいます」
「しかし数が多いですぞ!? 単純な作業ですが、この混乱の最中に徹底できるかどうか!」
「拠点にはボッシュさんがいます! 大丈夫です!」
わたしは声を励ましました。
トリニティさんが戦場に出た今、拠点内で非戦闘員を取りまとめているのはボッシュさんです。
あの人がいる限り、アンたちが動揺することはないはずです。
「やってみよう、騎士殿! 割く戦力は伝令ひとりと俺たちだけだ! 失敗しても痛痒にはならん! 成功すれば一気に戦局が覆る!」
「わかった、やろう! ――伝令! 拠点のボッシュ殿に伝令だ!」
レットさんに強くうながされ、第三小隊長さんが決断しました。
「ほんとあんたってば、どんどんおっちゃんに似てきてるよね」
「わたしにとってそれは、最高の褒め言葉ですよ」
呆れ顔のパーシャに微笑み、すぐにまた表情を引き締めて、地底湖の沖合に浮かぶ孤島を見つめました。
この悪巧みが成功するかどうか、不利な戦況を逆転できるかどうかは、ひとえにわたしたちがあの島に辿り着けるかどうかに掛かっているのです。







