妖獣戦線
“湖岸拠点” は、南を海賊たちの根城だった “要塞区域” につながる拓けた空間に接している。
東には茫洋たる地底湖が冥く冷たい水を湛えており、遙か沖合には上層へつながる縄梯子が設置された孤島が浮かんでいた。
北と西はそれぞれ迷宮の壁によって遮られていて、隠し扉を含めた扉の存在は確認されていない。
したがって拠点に魔物が侵入してくるとすれば、南の広場か東の地底湖からだと考えられていた。
東の防備を担当しているのは、護衛の混成中隊を編成する四個小隊のうちの第一と第三小隊だつた。
このふたつの小隊はどちらも “ 悪” と “中立” の属性を持つ近衛騎士によって編成されており、一個小隊の定数は四個分隊四八人で編成されていた。
さらに今回の遠征は戦時編制で行われており、騎士ひとりにつき二名の従士が付き従っていて、その兵数は近衛騎士九六、従士一九二の合計二八八にも及ぶ。
その約三〇〇人もの屈強な騎士や従士たちが、地底湖から押し寄せる魔物の数に戦慄していた。
誰もが一瞬、地底湖の湖面が盛り上がり津波が押し寄せてきているのかと思った。
だが、違った。
打ち鳴らされる金鼓の凶音のなか押し寄せてくるのは津波ではなく、水面下に隠れている部分も含めて全長が五〇メートルにも達する、巨大な “動き回る海藻” の大群だった。
「……なんという数だっ」
東の防備を指揮する先任の第三小隊長は、向かい来る敵の数にギチッと歯を鳴らした。
そしてすぐに、
「伝令っ! レイン閣下に伝えろ! 地底湖から魔物の大群が襲来! 数は敵が七分に湖が三分だ!」
奇しくもそれは、“火の七日間” の最初の夜にアッシュロードが出した報告伝と同じ内容だった。
あの時すべての近衛騎士がトレバーンに付き従って蛮族討伐の遠征に出ていたため、第三小隊長は一連の戦いには参加していない。
もし城壁での戦いに参加していたならば、城塞都市の周辺を埋め尽くした “迷宮軍” の威容が嫌でも頭をよぎっただろう。
「復唱はどうした!?」
「はっ、はっ! レイン閣下に伝令! 『地底湖から魔物の大群が襲来。数は敵が七分に湖が三分』――了解しました!」
伝令が駆け出すや否や、第三小隊長は部下たちを鼓舞するように声を励ました。
「いくら数が多かろうと雑魚は雑魚だ! ――魔術師、“滅消” で殲滅しろ!」
騎士の多くは剣の腕に秀でた前衛職であり、ほとんどの職業 が戦士だ。
しかし中には魔術師や聖職者として功績を挙げ、叙任された者もいる。
そういった者の大半は魔法使いだけを集めた部隊に配属されるのが常だったが、極少ない数ではあるが通常の部隊にも配属されていた。
魔術師、聖職者とも、レベル9以上の者が各小隊に一名ずつ。
魔術師は小隊長の参謀役であり、聖職者は軍医の任に就いている。
その小隊付きのふたりの魔術師が指揮官の指示を受け、同時に呪文の詠唱を開始した。
不死属を除くネームド以下の魔物を塵と化す、強力無比な大規模範囲攻撃呪文だ。
繁殖力の旺盛な植物系のモンスターには、錬金術師が合成した最高の除草剤よりも効き目がある。
詠唱が完了し呪文が完成した瞬間、効果範囲に含まれていた “動き回る海藻” は一瞬で全滅――するはずだった。
「どうした!? なぜ奴らは消えさらない!?」
呪文の詠唱が終わったというのに平然と近づいてくる海藻の大群を見て、第三小隊長が狼狽えた怒声を上げた。
魔術師たちもギョッとして、顔を見合わせている。
決して呪文をしくじったわけではないのだ。
“動き回る海藻” のモンスターレベルは1。
巨体だが動きが鈍く、海藻であるだけに装甲値も極端に低い。
出現数が多いこと以外は、“オーク” にも劣る最弱の魔物だ。
それがレベル9の魔術師の呪文に抵抗しただと?
ありえない。
そもそもネームド以下の魔物には耐呪できないという特徴が、“滅消” を迷宮探索の切り札たらしめているのだ。
「我々は、いったい何と戦っているのだ……?」
◆◇◆
「まってください。植物はどうなのですか? あれも生きていることには――生命であることには変わりありません」
学校の授業で習ったことがあります。
植物の中には光合成で養分を作り出すだけでなく、他の植物に寄生して自らの養分としてしまう植物があると。
そういった植物は、寄生植物と呼ぶそうです。
つまり植物には寄生することが可能なのです。
では、藻類はどうなのでしょうか?
もし藻類にも寄生することが出来るなら――。
わたしがそこまで考えたとき、拠点の東――地底湖側からも、三打ち、三打ち、三流しの金鼓の音が響いたのです。
「間が悪い、スカーレットたちは食料調達に出ちまってるぞ!」
ジグさんが新たに届いた凶音に、顔を顰めました。
トリニティさんが “緋色の矢”を探索に用いず拠点に留め置いているのは、まさにこのような事態に備えてのためです。
普段ならフルメンバーとは言わずとも何人かは残っていて、遊撃的に必要とされる場所に即座に投入できたはずなのです。
それが今日に限って――。
「ここは我々に任せて聖女さまたちは東の応援に回ってください。にらみ合いが続いているうちに早く」
南側の防衛の指揮を執っている第二小隊長さんが、触手をうねらせている “妖獣犬” を睨みながら言いました。
“妖獣犬” も “大蛇” も “大ナメクジ” も、三〇〇人もの騎士と従士を警戒してか、触手で鋭い風切り音を上げるだけで近づいてはきません。
「いえ、そうも言っていられないようです」
わたしはやはり正面の “妖獣” の群れを睨みながら答えました。
「どうやら東側と呼応して攻める気のようです」
直後 “妖獣犬” が高く遠吠えし、対峙していた魔物の大群が一斉に動き始めました。
「―― “滅消” だ! 魔術師!」
第二小隊長さんが命令を下します。
「駄目! 魔物に寄生している “妖獣” はネームドだよ! “滅消” は通じない!」
パーシャが怒鳴ると、稲光のような速さで呪文を詠唱しました。
「召しませ! ホビット炎の呪文、いざ馳走!」
次の瞬間、突き進んでくる魔物たちの先頭で爆炎が炸裂しました。
魔術師系第三位階の攻撃呪文、“焔爆” です。
しかし “焔爆” 程度の熱量では、凶悪な回復力を誇る “妖獣” に寄生された魔物たちを焼き殺すことはできません。
火達磨になりながらも、“大蛇” や “大ナメクジ” は突進してきます。
どちらにしろ、魔術師の数が絶対的に足りません。
集団 攻撃呪文を修得している魔術師は、この戦線ではパーシャを含めて五人に満たないはずです。
戦いは接近戦にならざるを得ません。
そして “妖獣” には――。
「石化があります! 聖職者の方は、ありったけの守りの加護を!」
わたしは叫ぶなり、“神璧” の加護を嘆願しました。
拠点を巡る死闘の始まりです。







