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迷宮保険  作者: 井上啓二
第四章 岩山の龍
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異変

(……奇麗に治ってる)


 水鏡に映る自分の顔を見て、わたしはホッと安堵の思いに駆られました。

 最上層は極寒の氷結迷宮。

 わずかの距離を移動するだけで、探索者たちは極低温の暴力に曝されます。

 体力は瞬く間に奪われ、露出している肌は重度の凍傷によって紫色に変色。

 措置が遅れれば、そのまま壊死して腐り落ちてしまうのです。

 パーティのみんなの顔が、まさにその状態でした。

 美しいフェルさんも愛らしいパーシャも、五層に垂れる縄梯子に辿り着いた時にはドス黒く染まって幽鬼の様相を呈していました。

 自分では確認できませんでしたが、わたしの顔も大差なかったことでしょう。

 それが水鏡を見る限りでは、以前とまったく変わりなく回復しています。

 きっと腕の良い回復役(ヒーラー)さんが、癒やしの加護を施してくれたのでしょう。

 軍医さんか、あるいは衛生兵さんか。

 これはあとで名前を訊いて、ちゃんとお礼を伝えないといけませんね。


「――ただいま」


 噂をすれば影がさす。

 アドレス(わたしたちのパーティに割り振られたキャンプ場所のことです)に姿が見えなかったフェルさんとパーシャが、ちょうど戻ってきました。

 他のみんなはすべて出払っていて、アドレスにいたのはわたしだけだったのです。


「お帰りなさい」


「鏡を見てたの?」


「え、ええ、その……やっぱり気になりますから」


「だよね、わかるわかる」


「「「はぁ……よかった、元に戻って」」」


 そして三人同時に、安堵の吐息を漏らします。


「「「ぷっ!」」」


 その絶妙のタイミングに、思わず吹き出してしまいました。


「探索者なんてヤクザな商売をしてるのに、顔の凍傷跡が気になるなんてあたいたちもまだまだだね」


「何を言っているの。探索者でも女は女。顔は命よ」


「そうですよ。女性が美しくありたいと思うのは極々自然な感情です。むしろ迷宮を這いずり回って血と汗と灰に塗れているわたしたちだからこそ、常に自分の容姿には気を使っていたいところです」


 口を揃えたフェルさんとわたしを、パーシャがカハっと笑い飛ばしました。


「あのおっちゃんにそれが通用すればいいけど! あんたたちの高い意識もあの物臭君主(ロード)には――」


 その言葉に、わたしとフェルさんの顔がサッと強張りました。

 アッシュロードさんは現在ドーラさんと共に、わたしたちが半死半生の目に遭った白い地獄に挑んでいるのです。

 パーシャも空気が凍りついたことにすぐに気づき、


「あ~、だ、大丈夫だよ。おっちゃんもドーラもあたいたちより経験豊富だし、面の皮が厚いから、きっと寒さにも強いはずだし」


 ギコチナイ作り笑いを浮かべて、慌てて取り繕いました。

 わたしも今は重苦しい心配事に沈んでいたくはありません。

 パーシャの話題転換に便乗して、


「ね、燃料造りの方はもう終わったのですか? 随分早かったみたいですけど」


 と、訊ねました。


「そう、それだ。それなんだよ――ねえ、フェル」


「ええ」


 ポンと拳で掌を打ってパーシャがフェルさんに視線を向け、フェルさんもうなずきました。


「? どうかしたのですか?」


「海藻が獲れてないんだよ、ここ数日全然」


「え? ()()海藻がですか?」


 あの上に点々が付くほど海藻――すなわち “動き回る海藻(クローリング・ケルプ)” は、大量に発生・出現する魔物です。

 繁殖力の強さはまさに雑草のそれで、日に何度となく地底湖から岸辺に上がってきては、湖岸を巡回警備している近衛騎士の分隊に蹴散らされていました。

 全長が五〇メートルにも及ぶ上に若芽以外は食用に出来ず、討伐後の処理の方が難敵だったのですが、ヴァルレハさんが乾燥燃料にする方法を考案したことで価値が一変。

 今ではこの迷宮での生活に、必要不可欠な海洋資源となっていました。


「まさか狩り尽くしたのですか?」


「どうだろ? もしそうなら、こんなに急に獲れなくなるのは不自然じゃない?」


「そうね。そういう場合は徐々に数を減らしていくものだと思う」


「それじゃ、どうして……」


 胸の内に、陰が差すのがわかりました。

 これまでが大漁すぎたので燃料の備蓄は潤沢にあります。

 ですが、もしなんらかの原因で “動き回る海藻(クローリング・ケルプ)” が枯渇してしまったのだとしたら、これからの拠点での生活は徐々に初期の過酷だった頃へと逆戻りしていくでしょう。

 なにより最上層での探索がほぼ不可能になります。

 暖を取る燃料なしに、あの極寒の階層(フロア)を行くなど……狂気の沙汰です。

 脳裏に再び、漆黒の鎧をまとう猫背な男の人の姿が浮かびました。

 極寒の氷結迷宮を行くあの人が、途中で燃料を切らしてしまったら……。

 そんな恐ろしい状況、想像したくもありません……。


「結論を出すには情報が足りなすぎるよ。一過性の現象の可能性が高いし、もう少し様子を見ないと――」


 パーシャがそう見解を述べた時、レットさんたち三人もアドレスに戻ってきました。


「丁度良かった。今呼びに行こうと思ってたところだ」


 (かまど)の火の側で難しい顔を突き合わせていたわたしたちを見て、レットさんが言いました。


「すまないが潜る準備をしてくれ。食料の調達に出る」


「へっ? それなら騎士団の仕事でしょ? なんであたいたちが出るのさ?」


「人手が足んねえんだとよ。ここ数日一層の獲物がサッパリらしくてな。騎士団以外にも人数を出すんだと」


 怪訝な顔をしたパーシャに答えのはジグさんでした。


「“大蛇(アナコンダ)” の姿がまるで見えねえらしい。あれと “壕の怪物(モートモンスター)” が、俺たちの主食だからな」


 食料の調達を担当しているのは、訪問団の護衛である近衛騎士やその従士の皆さんです。

 彼らは全員ネームド(レベル8以上)かそれに準じた実力を持っていますが、迷宮での活動経験がある人はほんの一握りです。

 ですから、食料の調達は比較的危険度が低い最下層――この第一層で行われています。

 より上層に生息している “コカトリス” や “動き回る蔓草ストラングラー・ヴァイン” などは、狩場に到達するまでの道中が危険この上ないうえに、狩った獲物を持ち替えるには “転移(テレポート)” の呪文が必要です。

 食料となる迷宮の魔物はどれも人間よりも遙かに大きく、だからこそ一〇〇〇人ものお腹を満たせるのですが、同時に運搬の困難さを意味してもいます。

 そしてまさにそれが、トリニティさんが最上層の探索に “緋色の矢” の投入を躊躇った理由なのです。


「スカーレットたちも四層に狩りに出る。俺たちは一層だ」


「「「……」」」


「どうした?」


 思わず顔を見合わせてしまった後衛の三人に、レットさんが怪訝な顔を浮かべました。


「まただ……」


「また?」


「燃料造りに出てたはずのあたいたちが、なんでここで暇を潰してたと思う? ここ数日 “動き回る海藻(クローリング・ケルプ)” が獲れなくて、作業にならなかったからだよ」


「「「……」」」


 眉根を寄せたパーシャに、今度は前衛の三人が顔を見合わせました。

 レットさんたちとて、幾多の死線を潜り抜けてきた練達の探索者です。

 仲間のホビットの話からすぐに、事態に漂う深刻な気配を察したようです。


「迷宮に異変が起こってるっていうのか?」


「それは――」


 レットさんに訊ねられたパーシャが答えかけた時です。


 カンカンカンッ! カンカンカンッ! カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンッ――。


 カンカンカンッ! カンカンカンッ! カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンッ――。


 カンカンカンッ! カンカンカンッ! カンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンカンッ――。


 打ち鳴らされる金鼓の音が “湖岸拠点レイクサイド・キャンプ” に響き渡りました。

 三打ち、三打ち――三流し。

 忘れもしません。

 それはあの “火の七日間” に幕開けになった、迷宮から魔物が溢れたことを告げる合図です。


「南だ!」


 すぐさま全員が武装し、鉦鼓の音が響く拠点南に走ります。

 そこでわたしたちが見たものは、一匹の(シベリアンハスキー)でした。



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― 新着の感想 ―
[一言] 食料と燃料枯渇ですか……。 ヤバいですね。 イッヌが救世主に成ることを願ってますw
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