メルトダウン
そこは始点である縄梯子から、わずか八区画の距離だった。
扉を蹴破り突入したアッシュロードとドーラが目にしたものは、緑青の竜鱗を持つ巨大な――そう、二〇年の歳月を迷宮で生き抜いてきたふたりの探索者すら初めて目にするほどの、巨大な竜……龍だった。
この緑青の大龍に比べれば、“紫衣の魔女の迷宮” の最下層に出現する最大の竜属 “火竜” ですら、幼竜にしか見えない。
ふたりの古強者は畏怖の念に打たれ、玄室に飛び込んだままの姿で硬直した。
そして直感した。
眼前を圧する巨大な龍こそ、この岩山の迷宮の主であると。
違えようがない。
猛り狂う咆哮をあげるでもなく、威嚇する唸り声を漏らすわけでもない。
ただ静かに佇み無礼な闖入者を見下ろしているだけだったが、そこには他の邪竜が絶対に持ち得ない神威があった。
この星の意思にして、世界蛇。
真なる龍にして、神なる龍。
違えようはずがなかった。
果たして、アッシュロードとドーラの直感は正しかった。
ふたりの意識に直接、龍が名乗ったからだ。
『――我は “真龍”。使命に挑む者よ。幾多の試練を潜り、数多の危難を越え、よくぞここまで辿り着いた』
むしろ清澄な響きであった。
しかしたたずまいと同様に、その声にも人智を超えた威厳があった。
だが――。
『――我は “真龍”。使命に挑む者よ。幾多の試練を潜り、数多の危難を越え、よくぞここまで辿り着いた』
“真龍” は鸚鵡のように、同じ言葉を繰り返した。
そして三度……。
「おい、どうした?」
アッシュロードは声を出してから、身体に自由が戻っていることに気づいた。
『――我は “真龍”。使命に挑む者よ。幾多の試練を潜り、数多の危難を越え、よくぞここまで辿り着いた』
「いったいどうしちまったって言うんだい?」
油断なく身構えながら、それでもドーラの口からは当惑した声が漏れた。
たった今まで自分たちを圧していた、荘厳な神威が消えている。
世界蛇はただのデカい蛇に成り下がっていた。
「わからん。俺たちが見えてないのか……いや、そんなはずはねえよな」
アッシュロードは意を決して、声を励ました。
「――おい、“真龍”! 俺たちの姿が見えてるか!? お招きに応じて来てやったぞ! 害虫駆除をして欲しいなら情報を寄越せ!」
『――我は “真龍”。使命に挑む者よ。幾多の試練を潜り、数多の危難を越え、よくぞここまで辿り着いた』
「アッシュ……こいつは」
「……どうも物狂ってるみたいだな」
まるで壊れたレコーダーのように同じセリフを繰り返す迷宮支配者を見て、アッシュロードは吐き捨てた。
「酔っ払ってる場合じゃねえぞ! おめえがそんなんじゃ、いくら俺たちにその気があっても――」
このデカい蛇は、自分らに使命を与えた張本人だ。
正気に戻ってもらわなければ話が進まない。
アッシュロードにしてみれば当然の思いであったのだが――正気を失っている者にショックを与えるのは、往々にして悪手となる。
次の瞬間、
『――我は “真龍”。使命に挑む者よ。幾多の試練を潜り、数多の危難を越え、よくぞここまで辿り着いた』
『――我は “真龍”。使命に挑む者よ。幾多の試練を潜り、数多の危難を越え、よくぞここまで辿り着いた』
『――我は “真龍”。使命に挑む者よ。幾多の試練を潜り、数多の危難を越え、よくぞここまで辿り着いた』
『――我は “真龍”。使命に挑む者よ。幾多の試練を潜り、数多の危難を越え、よくぞここまで辿り着いた』
“真龍” は、まさしく壊れたレコーダーのように倍速のリピーターと化した。
さらにそれだけでなく、口上を繰り返す度に全身が不気味な明滅を始めた。
「アッシュ!」
「ああ、こいつはヤバそうだ――ずらかるぞ!」
まるで炉心溶解する反応炉じゃねえか!
血相を変えて、つい今し方蹴り破った扉を振り返るアッシュロード。
そして凍りつく。
扉は消えていた。
閃光が玄室を充たす。
愕然とするふたりの古強者を呑み込んで “真龍” は臨界に達した。







