宿命の命題
耳を劈く大咆哮が、再び凍てついた玄室を震わせました。
“単眼巨人” の肌がなぜ蒼氷色なのか、わたしはようやくにして思い知らされたのです。
氷に閉ざされたこの階層では、その色はまさしく保護色。
そんな当然のことにも思い至らないほど、わたしの――わたしたちの感覚は鈍くなっていたのです。
大柄な人間の身の丈ほどもある棍棒が、容赦なく振り下ろされます。
狙われたのは――。
「――カドモフさん!」
凍りついた悲鳴とは、まさに今わたしから発せられた叫声のことでしょう。
巨大生物の大腿骨をそのまま握った原始的な武器ですが、巨人の膂力と骨自体の重量で恐るべき威力を発揮します。
並みの板金鎧など容易にひしゃげさせ、潰れた装甲の下で肉体は挽肉と化すに違いありません。
普段のカドモフさんなら、あるいはその一撃をかわすことが出来たかもしれません。
ですがこの極低温の中、その動きはやはり鈍っていました。
かわしそこね無防備な体勢で棍棒を受けるのをよしとしなかったのか、若きドワーフ戦士は両足を踏みしめ重心を低くし、盾で真っ向から “単眼巨人” の打撃にた立ち向かったのです。
ものすさまじい衝撃音が、わたしの顔面を打ちました。
壁や天井の氷が剥離し、バラバラと剥がれ落ちます。
瞬間、拮抗する巨人と小人の力と力。
ですが鉄靴のスパイクに噛まれた床の氷が両者の力に耐えきれず砕けると、カドモフさんの短躯は蹴り飛ばされたボールのように吹き飛ばされてしまいました。
「「「「カドモフッ!!!?」」」」
「カドモフさんっ!?」
全員が叫び、わたしは壁に叩きつけられピクリとも動かない彼の元に走ります。
「ふたりをカバーしろ!」
「音に聞け、ホビット神速の詠唱いざ唱えん!」
レットさんの指示に、パーシャが僅かながらも魔法への抵抗力を持つ “単眼巨人” に向かって、耐呪不可能な “暗黒” の呪文を唱えます。
他のみんなが守ってくれると信じ、わたしは無防備な背中を巨人に向けて、倒れ込んでいるカドモフさんの傍らにしゃがみ込みました。
意識を失っていますが、死んではいません。
木製の大きめの盾は木っ端のように破砕されてしまいましたが、魔法は掛かっていないとはいえ “ボルザック商店” で購入した上質の板金鎧が、カドモフさんの命を救ったのです。
「――慈母なる女神 “ニルダニス” よ」
“大癒” の祝詞を続けざまに二回唱えると、カドモフさんがガバッと身体を起こしました。
「……ぬかった!」
「大丈夫です! 他のみんながカバーしてくれています!」
振り返ると、唯一の視覚を奪われた “単眼巨人” が猛り狂って棍棒を振り回していました。
滅茶苦茶に振り回されるマンモスの大腿骨に、レットさんたちも近づくとが出来ないようです。
「……ドワーフは退かぬ!」
「寒さで強いデバフが掛かっています! 気をつけてください!」
怒りの咆哮を上げて突進しするカドモフさんの背中に向かって、わたしは叫びました。
極寒での戦闘は続きます――。
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『――ライスライト』
『あ、アッシュロードさん、こんばんは』
最上層への初探索に出る前夜、珍しくアッシュロードさんがわたしの所に来て声を掛けて暮れました。
『明日、出発だったな』
『はい』
『……』
『? アッシュロードさん?』
『……おめえのことだからわかってると思うが……十分に注意しろ。ここの最上層は “紫衣の魔女の迷宮” の最下層ともまた違う、どうにも面白くねえ場所だ』
『面白くない? 物凄く寒いからですか?』
『それもあるが……妙だとは思わねえか? 世界蛇の試練が “善” と “ 悪” の協調を示すことなら、例の水晶を拵えた以上、蛇の眼鏡には適ったはずだ。現に俺たちは最上層へ登れるようになった。だが相変わらず俺たちは混成部隊を組めねえでいる。善悪の協調がこの迷宮のコンセプトなら、最上層では俺とおまえでパーティを組めなきゃおかしいはずだ。それなのに……』
『それは……確かに』
わたしは言われてみればと思い、口籠もりました。
キーアイテムである “世界の水晶” を手に入れたわたしたちは、五層と四層どちらからでも最上層に登れるようになりました。
しかしそれは、これまでと同じように “善” なら “善” のパーティ。“悪” なら “悪” のパーティでしか、最上層に登れないということでもあります。
アッシュロードさんの言うとおり、この迷宮のコンセプトが善と悪の協調であるなら、試練に合格してその証を手にした以上、善悪の異なる属性の者が一緒に最上層に挑めないというのは不自然にも思えます。
そしてアッシュロードさんは口の中で呟いたのです。
『据わりが悪りい……何かが……どこかがバグってるみてえだ』
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「……バ」
「……」
「……エバ」
「……」
「エバッ!」
「は、はい」
強く名前を呼ばれて、わたしは我に返りました。
いつの間にか、物思いに沈んでしまっていたようです。
「大丈夫? キャンプを張っているからって、気を抜きすぎるのはよくないわよ」
心配顔のフェルさんが、そうたしなめてくれました。
「ご、ごめんなさい。気をつけます」
「暖かい炎に当たって気が弛んでしまうのはわかるけど」
パチパチと爆ぜる炎が、フェルさんの端正な顔に浮かぶ微苦笑を照らし出します。
わたしはバチバチと両手で頬を叩いて気を入れ直しました。
あかぎれて裂けた傷はそのままだったので、却って痛みで覚醒した心持ちです。
「もう平気です」
「なにもそこまでしなくても……」
「いえ、ああいう風にはなりたくありませんから」
わたしはそういって、玄室の中央に折り重なるように倒れている二体の巨人の屍に視線を向けました。
青かった肌には今はまっ白な霜が降りていて、完全に凍りつくのは時間の問題でした。
「そうね……」
「“単眼巨人” 自体は手強くなかったよ……一撃は重いけど、それだって今のあたいたちじゃ何発も喰らわない限り死ぬことはない。問題は……」
「……この寒さで動きが鈍って、その “何発” も喰らっちまうことだな」
「……うん」
パーシャとジグさんが燃える固形燃料の前で縮こまりながら、うなずき合います。
元の世界でいうなら、南極でペンギンの顔を見ながら戦っているようなものです。
あまりの寒さに、“単眼巨人” が流した大量の血の臭いさえあっという間にしなくなってしまったのですから。
「……玄室を踏破する度にキャンプを張って暖を取るしかあるまい。身体を凍らせないだけなら歩き続ければいいが、ここは迷宮だからな」
感情を表立って現さないカドモフさんですが、すでに幾度となく死線を越えてきた仲です。
“単眼巨人” の急襲を受け不覚を取った自分に、憤っているのがわかりました。
「……どうしますか?」
わたしはジッと玄室東の扉を見つめているレットさんに訊ねました。
呪文も加護も、まだ十分に残っています。
そして、この階層の命綱ともいえる燃料も。
ですが、初めての極寒の中での戦いで目に見えない消耗があるのも確かです。
さらに進むのか。
それとも、今日はここで引き返すのか。
それはわたしたち探索者にとって、もはや宿命ともいえる命題でした。







