極寒の戦闘
大咆哮が氷結迷宮の凍てつく空気をビリビリと震わせました。
二×二区画の玄室が狭く見える、蒼氷色の巨躯。
手には、人の身の丈ほどもある無骨な棍棒。
そして何より、見る者を威圧・畏怖させる巨大な単眼。
「――“単眼巨人” ! モンスターレベルは8! “滅消” は効かないよ!」
パーシャの怒鳴り声が、再びの大咆哮に掻き消されます。
わたしたちの最上層での最初の相手は、神話から抜けだしてきた猛り狂う大巨人でした。
「悪趣味な装飾品をぶら下げやがって! 剥ぎ取って鼻の穴に詰めてやるぜ!」
“単眼巨人” が腰にぶら下げている髑髏を見て、ジグさんが激しく毒突きました。
犠牲者たちの成れの果て――巨人の記念品です。
「やるぞ! ――パーシャ!」
「この野蛮巨人、息が臭いんだよ! ――音に聞け、ホビット神速の詠唱、いざ唱えん! “昏睡” !」
悪態を吐きまくっているのは、少しでも滑舌をよくするためでしょう。
極寒の中でも普段と変わらない詠唱速度で、パーシャが眠りの呪文を投げつけます。
催眠系の呪文は、知能の低い “単眼巨人” の弱点なのです。
“単眼巨人”は初めて遭遇する魔物ですが、探索者にとって魔物の知識の有無は生死を分けます。
日頃から怪物百科を熟読しているわたしたちには、その知識がありました。
この巨人と遭遇した先人たちの知識が積み重ねられ、脈々と受け継がれているのです。
特にパーシャは暗誦できるほどに百科事典を読み込んでいます。
それなのに――巨人は一瞬ふらつきはしましたが大きな単眼を数度瞬たたかせて持ちこたえてみせたのです。
「しくじった!?」
パーシャの顔が驚愕に歪みます。
極度の寒さが、やはり彼女の集中力を奪っていたのでしょう。
ですがその時にはわたしと、そしてフェルさんの支援が完了していました。
「「―― “棘縛” !」」
不可視の棘が倍掛けで青い肌の巨人を絡め取ります。
眠りには金縛り――支援系の魔法は掛け損じた場合に備えて、多重で唱えるのが鉄則なのです。
“単眼巨人” の動きが、今度こそ止まりました。
「――ぬんっ!」
両足を踏ん張ったカドモフさんが、巨人の右足をなぎ払います。
巌のように強靱な外皮も、練達のドワーフ戦士の振るう魔法の戦斧前には、羊皮紙以下です。
足首から下を切り飛ばされた “単眼巨人” が体勢を崩し、倒れ込みました。
玄室の床を覆っていた氷が砕け散り、シャリンシャリンと澄んだ音を響かせます。
“単眼巨人”からは怒号も悲鳴も上がりません。
“棘縛” の加護によって、発声を含めたすべての動きが封じられているのです。
「たりゃあああっ!」
間髪入れずジグさんが仰向けに倒れた巨人に向かって跳躍し、そのひとつ目に体重を乗せた短剣を突き立てました。
ジグさんの短剣は四層を探索中に見つけた業物で、“海賊の首領” の部屋で手に入れた魔法の短剣よりも細身でしたが切れ味が鋭く、+2相当の魔法強化が施された逸品です。
トリニティさんの目利きでは、中立の盗賊が使える短剣としてはおそらく現存する最強の一振りだろう――とのことです。
その最強の短剣が、“単眼巨人”の唯一の視覚を潰したのでした。
「人間を舐めんじゃねえぞ!」
飛び退ったジグさんが、短剣を逆手に構えたまま吠えます。
しかし、その怒声は巨人の耳には届かなかったでしょう。
なぜならジグさんが飛び離れたときには、大上段から振り下ろされたレットさんの剣によって、巨人の首は半ばまで断ち切られていたからです。
強大な生命力を持つ巨人族とはいえ、人型の生物には違いありません
急所である頸動脈と気道を一時に切断されては、耐えられる道理はないのです。
これまでに何人もの人間を狩ってきた単眼の巨人は、断末魔の叫びすら上げることが敵わずに、今度こそ人間の手によって狩られたのでした。
「……ふぅ」
わたしは肺の中に留めおいた汚れた空気を吐き出しました。
“食人鬼” や “亜巨人” を相手に磨いてきた対巨人用の戦術は、この迷宮でも有効だったようです。
如何に強靱な体力と膂力を持つ巨人族とはいえ、単体では連携の取れた探索者には抗し得ないのです。
「ごめん……なんかしくじっちゃった」
パーシャがしょんぼりと謝りました。
「この環境での初めての戦闘です。なかなか普段と同じようにはいきませんよ」
「エバの言うとおりだな。俺も想像していた以上に身体が動かなかった」
慰めの言葉を掛けたわたしに、ジグさんが同意しました。
「寒さで身体が凝り固まっているんだ。幸い誰も負傷していない。連戦になってしまうが、また冷えてしまう前に次の玄室に――」
パキッ、
不意に乾いた音を立てて、わたしの頬が割れました。
寒さに耐えきれず、あかぎれたのです。
手を伸ばすと分厚い手袋に赤い染みが付きました。
その赤が呼び水になったように、耳を劈く大咆哮が玄室の凍てついた空気を震わせたのです。
巨大生物の骨をそのまま握った棍棒が、わたしたちの頭上に振り下ろされました。
極寒で感覚という感覚、五感という五感が鈍っていたのでしょう。
“単眼巨人” は二匹いたのに、誰も気づかないほどに。







