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迷宮保険  作者: 井上啓二
第四章 岩山の龍
354/660

氷結迷宮★

 カミソリで肌を切りつけられるような、それは空気でした。

 まっ白な呼気が凍りつく音が聞こえてくるような冷気。

 床が、壁が、天井が、すべてが蒼氷で覆われた極寒の階層(フロア)


 “龍の文鎮(岩山の迷宮)” の第六層。


 キーアイテム(パスポート)を手に入れたわたしたちの眼前に、迷宮の最上層がようやくその姿を現したのです。


「……さながら、氷結の神殿ね」


 探索者随一と(うた)われるフェルさんの美声すら、凍って床に落ちそうです。

 そう……ここはすでに迷宮支配者(ダンジョンマスター)の領域。

 世界蛇 “真龍(ラージブレス)” の(しとね)

 神域であり、神殿であるのです。


「……し、神殿というより監獄だよ。氷でガチガチに固めた」


 パーシャがローブの上に着込んだ分厚い防寒着ごと自分を抱き締めて、身震いをしました。

 身体が小さく発熱量の少ないホビットは、寒さが苦手なのです。


「……せいぜい閉じ込められないように、気をつけるとしよう」


 不撓不屈の忍耐力を持つカドモフさんの声すら、普段よりも強ばって聞こえます。

 あらゆる抵抗力(セービングスロー)に秀でているとはいえ、ドワーフは長い年月を高炉のかたわらで生きてきた、寒さよりも熱さに慣れ親しんだ種族なのです。


「……話は聞いていたがここまでとはな。まさか迷宮の中で極点探険が出来るとは思わなかったぜ」


 防寒着の襟に顔をうずめているため、ジグさんの声はくぐもっています。


「……先行したおっさんとドーラが、登ってすぐにターンバックしたのも納得だ」


 最上層に足を踏み入れたのは、わたしたちが初めてではありません。

 より経験と実力のあるアッシュロードさんとドーラさんが、先んじて登っていました。

 ですが、ジグさんの言うとおりまさか迷宮内で極点のような環境に曝されるとは思いもよらず、装備不足ですぐに引き返してきたのです。


 報告を受けたトリニティさんは、すぐに探索者を集めて会議を開きました。

 幸いにして寒さを防ぐための防寒着や燃料その他の装備・資材は、拠点に備蓄がありました。

 問題はその物量でした。

 検討の結果、暖を取るための燃料が大量に必要とされたのです。

 防寒着はともかくとして、アッシュロードさんとドーラさんのバディでは、持ち運べる量におのずと限界があったのです。


 そしてトリニティさんは熟慮の末、わたしたち “フレッドシップ7” に白羽の矢を立てたのでした。

 フル編成の探索者パーティは、わたしたちの他にさらに練度の高いスカーレットさん率いる “緋色の矢” があります。

 全員が熟練者(マスタークラス)の探索者であり、特に僧侶(プリーステス)のノエルさんや魔術師(メイジ) のヴァルレハさんはすべての加護や呪文を修めています。


『相手の戦力が不明な以上、持てる最大の戦力を投入すべきだ!』


 スカーレットさんは自分たちの投入を強く主張しました。

 それが戦線の拡大を――犠牲を防ぐ、用兵の基本だからです。

 しかし、トリニティさんは顔を左右にしました。

 迷宮の踏破だけを考えていられるなら、スカーレットさんの考えはまさしく正論でしょう。

 ですがわたしたちはそれ以上に、一〇〇〇人にも及ぶ訪問団の生存(サバイバル)を考えなければならないのです。

 ノエルさんの “神癒(ゴッド・ヒール)”、“魂還(カドルトス)

 ヴァルレハさんの “酸滅オキシジェン・デストロイ”、“転移(テレポート)

 燃料の確保に医薬品(聖水)の確保。

 もはや説明する必要もないほど、今の拠点には必須な品々です。

 わたしたちを迷宮に送り出す前、見送ってくれたトリニティさんが思いの丈を伝えてくれました。


『おまえたちを潜らせるのは確かに次善の策だが、だがそれもおまえたちの力を認めていればこそだ。そうでなければ……迷宮の最奥になど送れんよ』


 そうして今、わたしたちはその迷宮の最奥に……氷に閉ざされた最上層にいるのです。


「……火酒(スピリット)が欲しいよ、本当に」


 パーシャが腰に吊されていた水袋を手に取ると、口に含みました。

 水牛の皮で作られたその中身は葡萄酒を混ぜた “聖水(ホーリーウォーター)” です。

 それからパーシャは、やはり腰のベルトに通してある雑嚢から細かく刻んだ乾し葡萄をつかみだして、ボリボリと霰餅のように噛み砕きました。

 “動き回る蔓草ストラングラー・ヴァイン” の実は人間の握り拳ほどもある大粒なので、細かくしておかないとここでは文字どおり歯が立たないのです。

 どちらも小柄なパーシャの体温を保つために必須の品でした。


 細かく刻んだ乾し葡萄のアイデアは、わたしが出したものです。

 以前、山岳小説の大家である新田次郎さんの名著 “孤高の人”の人を読んだときに、主人公である加藤文太郎さんが雪山で常に甘納豆を食べていたのを思い出したからです。

 忍者であり、あらゆる環境での生存技術を身につけているドーラさんも賛成してくれました。

 わたしの意見を容れたパーシャは、今回の探索のために雑嚢の幾つかを乾し葡萄でパンパンにしてきたのでした。


「――パーシャ、試しに “座標(コーディネイト)” の呪文を使ってみてくれ。念の為だ」


「わかった」


 レットさんの指示を受けたパーシャが乾し葡萄を囓るのをやめて、分厚い手袋越しに左手の指を嵌めた指輪の魔力を解放させました。

 大きな宝石が象嵌された魔道具(マジックアイテム)で、ドーラさんから借り受けたものです。

 他にもパーシャはトリニティさんから、“転移” の呪文を封じられた(ダイアデム)なども借りてきていました。


「――駄目だ。やっぱり効果はないよ」


「そうか」


 頭を振ったパーシャに、レットさんが気落ちするでもなくうなずきます。

 こうなることはアッシュロードさんたちから話に聞いていたのです。

 ここでは “座標” の呪文は用をなさない――と。


「でも最低限今のこの座標はわかってるから、マッピングはできるよ」


 パーシャが冷気に顔を引きつらせながらも快活に答えます。

 わたしたちが最上層の探索を担当すると決まったあとも、トリニティさんやアッシュロードさんは入念にありとあらゆる下準備を施してくれました。

 最上層の始点の位置を確認したのもそのひとつです。

 手間の掛かる作業でしたが、“座標” の呪文が無効化されるこの階層でもそれは可能でした。

 具体的には、“緋色の矢” に最上層の縄梯子を登ってもらい、そこから動かずに第四層に “転移” の呪文で飛んでもらうのです。

 それから、“座標” の呪文を使えばよいのです。

 最上層の始点――四層からの縄梯子の位置は、その座標から二階層上というわけです。


「よし、進発だ。駆け出し(ビギナー)に戻ったつもりで、まずはひと当てするぞ」


 レットさんの指示に全員がうなづきました。

 今回の探索の目的は、まず最上層に生息する魔物の強さを測ることです。

 遠出はせずに、始点を離れずに魔物と戦います。

 魔法も呪文も惜しまず使う『ガンガンいこうぜ』です。


 わたしたちが今いるのは縄梯子が垂れている一×一区画(ブロック)の玄室で、東側に扉がひとつあります。

 ジグさんが近づき、危険がないか調べます。

 鉄扉の表面にはまっ白な霜が降りていて、いつものように耳を添えて向こう側の気配を探ることはできません。

 そんなことをすれば耳朶が張り付いて、引きちぎれてしまうでしょう。

 いつもの倍も時間が掛かって、ようやくジグさんが “問題なし” のハンドサインを出しました。


 “真龍” の施した魔法のせいでしょうか。

 蝶番にも霜が降りていましたがジグさんとカドモフさんが左右から押すと、鉄の扉は重々しい音を立てて問題なく開きました。

 真ん中で剣を抜き身構えているレットさんの頭上に、扉の表目から剥がれた氷がパラパラと舞い落ちました。

 “永光コンティニュアル・ライト”の魔法光に、キラキラと煌めく氷の細片。

 しかし、そんな見ようによっては幻想的で美しい情景も、後列で前方を注視していたわたしには入りませんでした。

 わたしの意識は、扉の奥でこちらを見つめていた巨大な目に釘付けになっていたからです。


 ひとつの巨大な目。


 わたしたちの最上層での最初の相手は、巨大な棍棒を携えたひとつ目の青い巨人―― “単眼巨人(サイクロプス)” でした。


挿絵(By みてみん)



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― 新着の感想 ―
[一言] ドーラに冬毛が生えていたらワンチャンあったかもしれませんねw
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