豹変
「――迷惑をかけてしまったようだな」
気を失ったノエルさんに意識を奪われていたわたしたちの頭上で、聞き知った声がしました。
ハッと顔をあげると、執務机の上で身体を起こしたトリニティさんがこちらを見下ろしていたのです。
「トリニティさん!」「「「トリニティ!」」」
「ライスライト、ヴァルレハ、フェリリル、ハンナ――そしてノエル」
驚きの声を上げるわたしたちに――特にフェルさんの腕の中でグッタリとうつむいているノエルさんに、トリニティさんは穏やかな感謝の眼差しを向けました。
「ありがとう、生き返らせてくれて。おまえたちには礼の言葉もない。その行いと気持ちにはいずれ改めて報いたいと思う――だがその前に!」
突然の豹変でした。
それまでの感謝を湛えた柔和な表情が一転。
クワッ! と入り口の垂れ幕を睨むと、トリニティさんは蘇生直後とは思えない身のこなしでひらりと執務机を飛び降り、そのまま止める間もなく間切りから飛び出していったのです。
その勢い、さながら脱兎の如し。
その姿、さながら翼のないキューピッド。
へっ……キューピッド?
「ト、トリニティさん、服! 服! 服!」
わたしは事態の深刻さに愕然とし、転けつ転びつ大慌てで後を追いました。
「まって! まってください、トリニティさん! その格好では女性の一大事です!」
必死に呼び掛けますが、分厚い天幕の布地に遮られてトリニティさんの姿はすでに見えません。
対策本部の大天幕を間切っているいくつかの垂れ幕を潜り抜けて追い掛けますが、まったく追いつけません。
凄い速さです。
(ええーっ!? ちょっと、なんですか、この展開は!? もしかして、蘇生が上手く行かなかったのですか!? まさか、あの可哀想な “アレクサンデル・タグマン” みたいになってしまったのですか!?)
わたしは多いに狼狽しながら、ついに他の皆さんが待機している会議の間にたどり着きました。
そこでわたしが見たものは――。
……すっぽんぽんな姿でアッシュロードさんの胸ぐらをつかんでいる、帝国宰相さんの姿でした。
「アッシュ! グレイ・アッシュロード! おまえと、おまえと言う奴は、どうしていつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも、いいいいっっっっも――そうして間が悪いのだぁぁぁ!」
憤懣やるかたなし。
今にも両眼から血涙を噴き出しそうな勢いで、トリニティさんがアッシュロードさんに詰め寄っています。
(ええと……これはいったいどういう状況なのでしょう……か)
その格好で、その距離。何気に美味しいです、トリニティさん。
(――ではなくて!)
と、とにかく今は――!
「男子は全員回れ右! よいと言われるまでこっちを見てはいけません!」
レットさん、ジグさん、カドモフさん、そしてボッシュさんが、ザッ! と一斉に後ろを向きました。
アッシュロードさんも後ろを向きかけましたが、トリニティさんががっちり抑えてしまっているので顔だけ背けました。
ですがその顔もトリニティさんの両手が挟んで、グイッと再び正面を向けてしまいます。
「アッシュ!!! わたしの目を見ろ!!!」
「まぁ、なんだ。おめえが何に腹を立ててるのか、いまいちよく解らねえが――とにかくよく還ったな、トリニティ」
「――○×▲※□◆×●△■!!!!」
アッシュロードさんの暢気な物言いに、トリニティさんは苦虫を一〇〇〇匹も噛み潰したような顔をしていましたが、やがて……。
『はぁ~~~~』
と大きなため息を吐き、
「………………ただいま……アッシュ」
と、可愛らしく呟きました。
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「――それでは、やはり“妖獣” たちの巣は、最上層にあるのか?」
大天幕の中央に位置する会議の間で、スカーレットさんから困惑げな問いが発せられました。
騒動も落ち着き、大人数でのミィーティング用に大きく取られた間切りには、探索者と訪問団の首脳部を合わせて二〇人以上が集まっています。
リラックスできる良い香りが漂っているのは、“湖畔亭” から葡萄茶の出前を取ったためです。
「ああ、意識体だったわたしが見たところ、そのようだった」
蘇生直後の混乱? から立ち直ったトリニティさんが、錫製のティーカップから立ち上る湯気を顎に当てながら、理知的な表情でうなづきました。
「……星を渡る船に乗って、遠い夜空の彼方からやってきた異邦人…… “真龍” の言ったことは本当だったのね」
やはりお茶の入ったカップを持ったまま、ヴァルレハさんが呟きました。
SFの概念があるわたしのような転移者と違って、いくら世界蛇の言葉とはいえ、にわかには信じられない話だったのでしょう。
深い知識と理解力を持つ魔術師のヴァルレハさんからしてそうなのですから、他の人たちはそれ以上に半信半疑だったはずです。
それが今、信頼するリーダーであり賢者でもあるトリニティさんの口から改めて語られ、ようやく胸に納めることができたのです。
「それも……古代魔導王国が成立する前の大昔だったんでしょ? リーンガミルの都が形もなかったんじゃ、そういうことだよね?」
畏敬の念に打たれたように、パーシャが言葉を続けました。
怖いもの知らずの彼女ですが、一〇〇〇年を遙かに超える歳月には感じざるを得ないようです。
むしろ書物で歴史に慣れ親しんでいる魔術師だけあって、年月の長さをイメージしやすいのでしょう。
「だが、一〇〇〇年だか一〇〇〇〇年かはわからないが、その間 “真龍” と “妖獣” は共存していたのだろう? それが今になってどうして急に駆除する必要が出たのだ?」
「わからない。その根幹に到達する前に、わたしは呼び戻されてしまった」
再び疑問を呈したスカーレットさんに、トリニティさん無念そうに頭を振りました。
「あ~! おっちゃん! おっちゃん! おっちゃん! おっちゃん! 全部おっちゃんのせい!」
「お、俺の?」
「そうだよ! トリニティが原因を見定められなかったのも、すっぽんぽんで物狂ったのも、ぜ~んぶ、おっちゃんが早漏だったせい!」
「がきんちょがませたこと言ってんじゃねえ! そもそも俺は早漏じゃねえ!」
的を射ているような、射ていなようなパーシャの非難に、アッシュロードさんが食って掛かります。
いえ、やっぱり射てはいないのでしょう。
アッシュロードさんはただ懸命に、盟友であるトリニティさんを生き返らせただけなのです。
当のトリニティさんが言ったとおり、ただ間が悪かっただけなのです。
(……はぁ、それにしてもです)
一生懸命がんばればがんばるほど、人から非難されてしまうこの人の星の巡りは、本当にどうにかならないのでしょうか……。
わたしはパーシャとプロレスを演じているアッシュロードさんを見て、つくづく、染み染み、心の底から思わずにはいられませんでした。
「~要するに、俺たちはなんの前進もしてないわけだ。トリニティは戻ってきたが、相変わらず最上層への侵入法はわからないままで」
げんなりと嘆息するジグさんに反応したのは、他でもないわたしです。
「それでしたら――多分わかったと思います」
は? と全員の視線が一斉にこちらを向きました。







