ソクラテスの問答
トリニティさんからの召集を受け、各々の作業場所から対策本部の天幕に集まったわたしたちに激震が走りました。
いつもどおり通された大天幕の中央部。
会議用に大きく取られた間切りで待っていたのは、トリニティさんではなく彼女自身の凶報でした。
会議の間にはわたしたち “フレッドシップ7” の他に、アッシュロードさんとドーラさん。ボッシュさん。ハンナさん。“緋色の矢” の皆さん。
そして “リーンガミル親善訪問団” の幹部の方々の重苦しい空気が漂っています。
「わかっているとは思うが、このことは他言無用だ。絶対に外に漏らすな」
全員の視線が、沈黙を破ったアッシュロードさんに向きます。
「拠点内にいらん動揺を広めたところで何の解決にもならん。面倒の種を撒くだけだ」
いつになく厳しい口調で、アッシュロードさんが念を押しました。
無論、誰もが理解しています。
この先の見えない迷宮での生活で、名宰相トリニティ・レインさんの存在がどれほど皆の支えになっているか。
類い希な知性に基づく判断力と、深い知識から導き出される指導力。
元迷宮探索者であり、市井の苦労も知っている。
謹厳一辺倒ではない洒脱な人柄。
わたしたち一〇〇〇人の遭難者の要石。
その要石が突然砕けてしまったのです。
衝撃は計り知れず、アッシュロードさんの言うとおりどんな騒動の火種になるか……。
「もちろん蘇生させるが、焦って失敗したら元も子もなくなる。成功率を高めるありとあらゆる手段を講じたい――オレシオン伯、それまで政務の代行を頼む」
「心得た」
身重の侍女エッダさんの主人であり、今や後見人でもあるオレシオン伯爵が重々しくうなずきました。
伯爵はトリニティさんの次に身分の高い文官であり、副使節団長なのです。
「他の者はオラシオン伯の指示に従ってくれ。あくまでトリニティがこの天幕にいるように振る舞うんだ」
「アッシュロード卿、レイン閣下の蘇生は――」
オレシオン伯の問いに、アッシュロードさんは重いため息を吐きました。
「……俺たちでやる」
わたしたちの間に緊張が走りました。
そうです……そうする以外にはないのです。
使節団の中で蘇生が可能なのは、四人いる軍医さんを除いては探索者の聖職者だけです。
特に灰となってしまった人を甦らせることができるのは、たったふたり。
司教でありながら僧侶と同じ速さで加護を授かることができた(本来司教がすべての加護を授かれるのは、熟練者であるレベル13を遙かに超えたレベル28) “賢者” の恩寵持ちであるトリニティさん自身と、もうひとりは――。
「……」
“緋色の矢” の回復役であるノエルさんが、顔面を蒼白にさせてキツく唇を引き結びました。
「……ノエル」
その様子を見たパーティのリーダーであるスカーレットさんが、気遣わしげに声を掛けます。
「……大丈夫よ。大丈夫」
ノエルさんは気丈にも答えますが、その声は堅く、そして震えていました。
いきなりとてつもない責任を背負わされてしまったのです。
重圧に圧殺されないように必死に耐えているのが、痛々しいほどにわかります。
「ノエル、最後はおまえの力を借りなければならねえかもしれねえが、まずはその前に他に手がないか探ってみる」
少しでも気を楽にしてあげたかったのでしょう。
アッシュロードさんが頼り甲斐のある声で言いました。
ノエルさんが弱々しい笑顔を返し、そこで一旦探索者以外の人たちは退室しました。
残ったのはアッシュロードさんとドーラさん。
ボッシュさんとハンナさん。
そして “フレッドシップ7” と “緋色の矢”の一六人です。
「重苦しく沈黙してる暇はねぇ。何でもいい。案を出してくれ」
現時点でトリニティさんを蘇生させるには、ノエルさんの “魂還” に頼むしかありません。
わたしやフェルさんのように女神 “ニルダニス” に帰依する者には “魂還” と呼ばれる、聖職者系最高位階に属する蘇生の加護です。
死体はもちろん灰の状態からでも、生命力まで含めて完全に復活させる奇跡の魔法。
しかし成功率は一〇〇パーセントではなく、嘆願者の熟練度や信仰心、蘇生を受ける者の耐久度や運気に左右されます。
状態が “死” ならば、失敗しても “灰” になるだけで、今一度チャンスがあります。
しかし “灰” の状態で蘇生に失敗すると、それは “消失” ……真の意味でのこの世界での死を迎えてしまうのです。
ノエルさんにのし掛かる重圧を思えば、まずは他に手段がないか探さなければなりません。
蘇生は魔法の範疇です。
必然的に前衛職の人たちの視線が、わたしたち魔法使いに向きます。
「……ないこともないのだけど」
ヴァルレハさんが重い口を開きました。
「……でも成功する確率は “魂還” よりも低いわ」
「…… “大禁呪” か」
「……ええ」
深い吐息を漏らしたアッシュロードさんに、ヴァルレハさんが首肯しました。
“大禁呪” ……それは魔術師系最高位階に属する禁断の呪文。
人の身でありながら神々の力を無理やり引き出すと言われてる、禁忌の魔術。
その効果はまさに神の力と呼ぶべきもので、
・どんな強大な魔物であろうと、異次元空間に転移させて全滅させる。
・魔物の魔法無効化能力を無効化して、魔法を封じ込める。
・パーティ全員の傷を、瞬時に全快させる。
・パーティ全員の状態異常を、一瞬で治療させる。
・魔力を極限にまで高め、魔物の魔法無効化能力を打ち破るほどの力を得る。
・“神璧” に数倍する強度の障壁で、パーティを守る。
そして……。
・死者を完全に蘇らせる。
……などがあると言われています。
しかし神々の力であるが故に制御が極めて困難であり、自分の望む効果を引き出すことはまず不可能であるばかりか、呪文を唱えた者は1レベル分のドレインまで受けるという、禁呪とされるのもむべなるかなの呪文なのです。
「……成功すればトリニティは完全に甦る。失敗したとしても彼女が消失することはないわ。でも……」
「……おめえはしばらく動けなくなる」
「……ええ」
嘆息するアッシュロードさんに、ヴァルレハさんがうなずきます。
レベルドレインは、吸精 と同義です。
生命力でも精神力でもなく、生きるための活力を失ってしまうのです。
気力は萎え、思考は鈍り、身体が動かなくなる。
生命が生き続けるのを諦めてしまう……そんな状態に陥ってしまうのです。
回復には長い時間を要し、呪文や加護で癒すこともできません。
失敗すればトリニティさんが甦らないばかりか、今のわたしたちには何よりも貴重な熟練者の魔術師を失うことになるのです。
そして成功したとしても……それは同じなのです。
「……それはマズいんじゃないかな。下手をすれば “転移” を使える魔術師がひとりもいなくなっちゃう。食料や医薬品の確保が滞っちゃうよ」
パーシャが言いにくそうに発言しました。
「……なにより、トリニティかヴァルレハの二者択一なんて嫌だよ、あたい」
「わかってる。こいつは悪手だ。試すつもりはねえ」
アッシュロードさんはそういうと、ヴァルレハさんに『……悪いな』と告げました。
ヴァルレハさんも、どこかホッとした表情を浮かべています。
「……でも、このままじゃやっぱりノエルに頼るしかなくなるわ。他の方法があるのならなんとしても見つけないと」
同じ聖職者として、ノエルさんの置かれている立場がわかるのでしょう。
フェルさんが苦しげに言いました。
「だからなんでもいい。案を出せ。どんな馬鹿げた考えでもいい案を出せ」
トリニティさんを甦らせるための、ソクラテスの問答は続きます……。







