寓話
嫌な倒れ方だった。
意思と命の宿る人間がいきなり糸の切れた操り人形になったような、突然身体から魂が抜けてしまったよな、そんな倒れ方だった。
「「アッシュ!!?」」
ドーラとガブリエルの悲鳴が重なり、猫人と熾天使が駆け寄る。
「おい、アッシュ!? どうしたってんだい!?」
ドーラはうつ伏せに倒れたアッシュロードを抱え起こし、『うっ!』と息を飲んだ。
男の顔は、まるで老人だった。
元々やさぐれてはいたが、今や肌は完全に水気を失ってかさつき、ひび割れていた。
これでは吸精 を受けたようではないか――ドーラは血相を変えて、熾天使を振り返った。
「――ガブッ!」
ガブリエルは目を閉じ、アッシュロードに触れた。
華奢な身体から温かくも柔らかな光の波動があふれ出す。
「大丈夫、ルシフェルは目覚めてはいない。“K.O.D.s” が彼を眠らせたままにしてくれた……でもアッシュロードは酷く消耗している。とても酷く」
「…………瑞…………」
ガブリエルの光に癒されたのか、アッシュロードのひび割れ血が滴る唇が動いた。
「…………瑞…………穂…………」
その名を聞いて、ドーラの胸は突き立てられた苦無でえぐられたように痛んだ。
なぜ真名なのだ……この世界の仮名ではなく。
「アッシュロードは記憶を封じられていたのね……」
ガブリエルが悲しげな瞳を開けた。
「……いたのね?」
「今のミカエルとの戦いで、記憶を封じていた魔法は解けているわ。目を覚ませば、アッシュロードはすべてを思い出す」
「“K.O.D.s” が封じたままにしてくれたんじゃなかったのかい!?」
「ええ、彼女がいなければ、アッシュロードは甦った記憶共々ルシフェルに取り込まれてしまっていた……そうならなかったのは “K.O.D.s” がルシフェルを抑え込んでくれたから」
「……アッシュは全部思い出しちまうってわけかい」
「悲しい想い出なのね……」
「……魔王の力を渇望したくなる程度にはね」
「それでも誰かに奪われているよりもいいわ。だってそれは、自分以外の誰かに心を自由にされるということだもの。心はその持ち主だけのもの。誰も足を踏み入れることのできない聖域でなければいけないわ」
「……ガブ、頼みがある。あんたなら、あんたなら出来るはずだ」
熾天使の言葉など聞こえなかった風に、ドーラが血を吐くような表情で懇願した。
ガブリエルは猫人の頼みを聞いて狼狽えた。
「ドーラ、あなた自分が何を言っているのかわかっているの? 記憶は心。心は記憶。アッシュロードの――」
「ああ、わかっているさね! こいつの記憶も心も、こいつだけのものだってね! でもね、こいつの記憶は化物の詰まった箱なんだ! 絶対に開けちゃなんないんだよ!」
「……ドーラ」
ガブリエルはいたたまれない思いを抱いた。
熾天使は、いま猫人のくノ一が吐露した心情に通じる寓話を知っていた。
この世のありとあらゆる災厄が詰まった箱と、その箱を開けてしまった少女の話だ。
好奇心から箱を開けてしまった少女が、自分の犯した過ちの大きさに絶望し泣き濡れていたとき、箱の底からか細い声が聞こえてきた……。
『出して……わたしも出して』
箱から最後に解き放れたのは、希望という名の小さな小さな灯火。
アッシュロードの記憶に絶望しかなくても、そこに何かしらの光が――救済があるのではないか。
それを奪う権利など誰にも、例え神が本当に存在していたとしても、その神にすらないはずだ。
だが、ドーラは頑なだった。
「頼む、ガブ。こいつの、アッシュの記憶を封じてやってくれ。二度と、この先どんなことがあっても甦らないように」
“天使編” 完
To be continued







