降臨★
薄気味悪いほどに端正だった “天使たち” の容貌が、憎悪に歪んでいた。
白磁よりもなお白い肌を朱に染めて、激しく牙を剥いている。
元が整っていた分、落差でそこいらの魔物よりもよほど醜悪だった。
「「「「GiSyaaaaaaッッッッーーーーーーーー!!!!」」」」
「「「「KiSyaaaaaaッッッッーーーーーーーー!!!!」」」」
眩さと共に現れた四翼の “天使” が、ドーラとアッシュロードの頭上を飛び交いながら口々に威嚇する。
手にした剣が、彼・彼女らの憤怒に呼応するように、金色の輝きを放っている。
「どうも相当お怒りのようだね……でも、それは逆恨みってもんじゃないのかい?」
ドーラはざらつく舌でペロリと平らな鼻を舐めて湿らすと、逆手に握った黒い拵えの魔剣を構えた。
得物の “悪の曲剣” は悪の戒律の者にしか扱えない武器だが、“善なる存在” に特効があるわけではない。
「“善なる存在” 、ね……あんたらを見てると、“善” ってのがいったいなんなのかわからなくなるよ」
呟きながら、ドーラは背中の気配をうかがった。
手下どもをまとめて失ったのがよほど悔しいのか、それとも単に虚仮にされたのが我慢ならないのか。
“天使” たちの怒りは、明らかに背後の男ひとりに向けられている。
ドーラは双剣を構えるアッシュロードの動作を感じ取ったが、ややもすればその動きは緩慢であった。
変調からは脱し切れていないらしい。
(“大悪魔” の瘴気に当てられたかい)
すでにドーラは、いつにないアッシュロードの不調が、単に疲労のせいだけでないと当たりをつけている。
アッシュロードが身の内に宿す “デーモン・コア” には、“魔太公” が封魂されている。
魔太公とは悪魔の王。
すなわち聖典に記されるところの “魔王” に他ならない。
その魔王の魂が、同族である “大悪魔” に影響を受けているのではないか。
いや、そもそも魔王は堕天系の悪魔――堕天使である。
であるなら、今キィキィ叫きながら眼前を飛び回ってる “天使” たちや、あの脳天気な “熾天使” も同族である。
(……ガブが現れたときから嫌な予感はしてたけどね。ならばこそ、これ以上勝手はさせないよ!)
ドーラの任務は万難を排して “魔太公” の復活を阻止することである。
猫人のくノ一は三角飛びで跳躍し、右手の魔剣を一閃させた。
“天使” の首がひとつ、醜悪な面相のまま迷宮の床に落ち、ぐちゃりと潰れた。
(まずはひとつ!)
◆◇◆
「「「GiSyaaaaaaッッッッーーーーーーーー!!!」」」
目の前で呆気なく兄妹の命が失われ、残った三翼の “天使” はさらなる狂乱に陥った。
実際、ドーラの見立てどおりだった。
“天使” たちは、自分たちを虚仮にしたアッシュロードが許せず、赫怒していた。
天界の住人である高貴な自分たちが、貴重な時間を割いて手なずけた手駒を、口車に乗せられた挙げ句、事もあろうに裏切り者の贄に捧げてしまった。
人間と悪魔。
散々唾棄してきた下等な存在に、いいように弄ばれた。
駒などいくらくれてやっても惜しくはなかったが、それで奴らの嘲笑が聞こえてくるかと思うと、いてもたってもいられなかった。
自分たちより遙かに強大な “大悪魔” は仕方がない。
だがこの薄汚れた人間だけは八つ裂きにしなければ、神の眷属としての誇りが許さなかった。
この人間は変わり者の姉のお気に入りのようだが、もうそれは気にせずともよい。
気にする必要はなくなった。
ならば、思う存分この怒りを晴らすまで。
――そう考えていた矢先、あろう事か兄妹の頭がひとつ、憤怒の表情を浮かべたまま床に落ちてしまった。
“天使” たちは一瞬なにが起こったのか、理解できなかった。
自分たち “高次元の存在” の怒りに触れた人間が、刃向かうなど考えもよらなかった。
現に異世界から転移してきたあの駒たちは、自分たちを畏れ敬い傅くのみであったのだ。
それが――。
残りの “天使” が立ち直るよりも早く、さらにもうひとつ首が落ちた。
未熟な敵の動揺を見逃すことなく、黒い鎖帷子に身を包んだ小柄な猫人が、壁や天井を自在に蹴って自分の身長の何倍もの高さに浮かぶ “天使” たちの頸を、次々に刎ねていく。
猫人の手から何かが飛んだ。
鋭い爪の着いた鍵縄が “天使” の翼に食い込み、無理やり引き寄せる。
「KiSyaaaaaaッッッッーーーーーーーー!!??」
驚きと痛みに見開いた “天使” の瞳に、漆黒の拵えを持つ魔剣が煌めいた。
◆◇◆
ヒュッ! とドーラの口から鋭い呼気が漏れた。
(これで三つ)
階層の床には、都合三つの首が転がっている。
呼気を読み、呼気を測り、その間を衝く。
“天使” が息を吸った隙ともいえないわずかな隙を、ドーラは冷然と衝いていく。
かつて酒場でのいざこざのおり、熟練者一歩手前だった “スカーレット・アストラ” の呼吸さえ盗んだドーラである。
例え宙を飛びまわっていようと、相手を見くびっているうえ怒りに我を忘れた “天使” など、百戦錬磨のマスターくノ一には案山子に等しい。
「――あたしの目の黒いうちは、この男には指一本触れさせないよ!」
着地をするなり、残心の構えのままドーラが啖呵を切る。
残った “天使” は、天界に逃げ帰るわけでも仲間を召喚するわけでもなくただただ恐慌をきたして、手にした金色の剣でドーラに斬り掛かってきた。
太陽の力をまとい、触さえすれば電撃で相手を麻痺させることもある神剣である。
身体的・魔力的能力はモンスターレベルで8程度。
かろうじてネームドの域にある。
だが、生き死にの経験などないのだろう。
哀れなほど若い行動であった。
(勘弁しなよ、ガブ)
四つ目の頭が転がったとき、ドーラは胸の中でわずかの間仲間だった “熾天使” に謝った。
「平気かい?」
ドーラは血だまりの中に転がる四体の首のない天使を避けて、アッシュロードに近づいた。
「……すまねえ……なんか変だ」
アッシュロードは謝りつつ、しきりに頭を振っている。
この男がこんな風に弱音を漏らすなど初めてのことだ。
ドーラは内心の不安をおくびにも出さずに、軽い口調で慰めた。
「ここのところ仕事が過ぎたからね。疲れが溜まってるんだよ」
(……マグダラの施した封印が、強大な天使や悪魔との邂逅でいよいよ弱まってきたか。早いとこここを出て、女王にもう一度 “禁呪” を使ってもらわないと)
「……俺も、歳だ」
「脂が乗ってきたってことさね」
ドーラがそう慰めたとき、さらなる変調がアッシュロードを襲った。
「――ぐおっっ!!」
胸甲に包まれた胸を掻きむしり、その場に膝をつく。
「アッシュ!?」
「……く、来るっ、何かが……来るっ!」
脂汗が噴き出した顔を苦悶に歪めながら、アッシュロードが呻いた。
ドーラは駆け寄りその身体を支えながら、脳髄に直接響く強い高周波にやはり顔を歪めた。
言われなくても分かっている。
何かが、桁外れに強大な何かが、すぐそこまで近づいてきている。
耳鳴りがさらに強まり、アッシュロードとドーラの耳や鼻から血が噴き零れた。
ふたりが頭を押さえてのたうち回り、このままでは “頭が爆発する!” と恐怖したとき、眩いが輝きが眼前に降臨した。
最高潮にまで達した耳鳴りが唐突に止み、代わって神々しいまでに強く底堅い声が響いた。
“――感情の排除が未熟だったとは言え、我らが弟妹を弑逆したこと許すわけにはゆかぬ”
“眩い姿”が、次第に黄金に輝く鎧をまとった神の戦士へと集束していく。
“我が名はミカエル。神の名において汝らに神罰を下さん”







