暗黒広間の会戦③
“暗黒広間の会戦” は、立案者の想定とは真逆の展開をしていた。
計画では魔法を封じられた悪魔側に対して、やはり魔法は封じられるものの肉弾戦に秀でる天使側が優位に立ち、圧倒するはずだった。
ところが実際に魔法を封じられたのは天使側だけで、悪魔側は攻撃はもちろん治療にも一切の制限なく加護が使えた。
すべては魔法封じの罠を飛び越え、三〇〇人もの邪僧を一息に転位させた “大悪魔” の力によるものだ。
炎のような姿で邪僧たちの背後に揺らぐ魔界の一柱は、そこにいるだけで戦場を圧している。
発せられる強大な妖気は、天使側にとって乱れ飛んでくる邪僧たちの加護よりも脅威であり、一秒毎に士気を削ぎ、気力を萎えさせ、手足に鉛のような重さを仕込んでいった。
本来なら配下の “十字軍” を鼓舞し、戦意を高めるはずだった二翼の “天使”からして、怯え竦んでしまっている。
彼・彼女らの頂点に立つ、三翼の熾天使 。
その三大天使に匹敵する圧倒的な気配を前に、ガタガタと震えるだけで天界に逃げ帰ることもできない。
今や天使側の敗色は濃厚となり、戦場に立っている者は、緋色の僧衣を返り血でさらに朱に染めた邪僧ばかりとなっていた。
そして今回の計画の立案者は、全身を自身の汗と敵の血に塗れさせ、肩で息をしていた。
周囲に味方の姿はなく、全員が屍となって広間の床に折り重なっている。
ある者は戦棍で兜ごと頭蓋を砕かれ、ある者は頑強な板金鎧に守られていた心臓を呪いの言葉で止められていた。
(……さすがにこれは予想できねえよなぁ)
乱れた呼吸が、左手に嵌めている “癒しの指輪” の効果で鎮まっていく中、アッシュロードの口元が自嘲に歪んだ。
桂馬が跳ねて、予想の斜め上を行った――どころの話ではない。
ブレーキの壊れた角が、そのまま将棋盤から飛び出していったような展開である。
(……これを予測するのは無理ゲー過ぎるだろう)
アッシュロードは自分を慰めた。
慰めたところで、ジリジリとにじり寄ってくる邪僧が減るわけでも、引き返してくれるわけでもない。
それどころか、包囲の環を狭めてくる坊主ども背後で “呪死”の祝詞が響き始めた。
だが、味方が死んでようやく密度が薄まった。
噎せ返るような血臭の中、アッシュロードは叫んだ。
「――やれ、ドラ猫!」
次の瞬間、アッシュロードを取り囲む邪僧たちの間に炎が爆ぜた。
もげた手足と共に、次々に吹き飛ばされる悪魔崇拝者たち。
「ずらかるよ、アッシュ!」
悪魔側に紛れていたドーラが、バサッと緋色の僧衣を脱ぎ捨てた。
漆黒の兜を被り、同色の鎖帷子をまとったくノ一が姿を現し、逆手に握った黒い拵えの曲剣で手近な僧侶の首を切り飛ばす。
一応の味方が死んで、押しくら饅頭が解消された今が尻を捲るチャンスだ。
この機を逃せば、今度こそ押し潰されてしまう。
「こいつはおまけだよ!」
ドーラがもう片方の手に握った “とっておき”を、まだ密度を保っている場所に再度投擲する。
“爆弾” の罠から造られた擲弾が、再び邪僧たちを爆散させる。
敵が怯み包囲の環が崩れた隙に、ドーラが先陣を切り、アッシュロードが続く。
向かう先は、もちろんこの広間の唯一の出口である転移地点だ。
(……まったく、ロートルにはキツい迷宮だ!)
アッシュロードは左右の剣を振るって血路を切り拓きながら、胸の内で毒突いた。
探索者としてはトウが立っている自分が、ここでは走らされてばかりだ。
だが続いて浮かんだ思いは、それとはまったく関係のない脈絡のないものだった。
(……ここが “ 悪” の階層で幸いだ!)
この糞みたいにクソな光景を、あの娘に見せずにすんだ。
全力で尻を捲りながら安堵しているアッシュロードだが、なぜそんな思いが浮かんだのか――本人はその意味するところまでは気づいていない。
立ち塞がる坊主を斬り伏せるたびに新手が現れ、背後では次々に “呪死”が唱えられ、それどころではなかった。
ドーラもアッシュロードも数発の “呪死” を投げつけられていたが、今のところ命中はしていない。
加護の嘆願を妨害したくても、走りながらでは採れる選択肢 がない。
ドーラは最後の擲弾を残してはいたが、これは魔法を封じられているふたりにとっての切り札だ。
集団に囲まれるような事態に陥らない限り使えない。
アッシュロード自身は、この戦場に “とっておき” を持ち込んではいない。
拠点に備蓄されていた数少ないすべてを、ドーラに持たせてしまっている。
今は自分たちの運に賭けるしかない。
だが、早くも切り札を使うときがきた。
眼前に新たな邪僧の集団が現れたのだ。
「――チッ! レッドローチめ、うじゃうじゃと!」
ドーラが腰の雑嚢に手を突っ込む。
「右だ!」
邪僧たちの挙動を見たアッシュロードが、鋭くドーラを制す。
加護を唱えず、戦棍を手に吶喊してくる。
ならば、右だ。
「そうか!」
すぐに相棒の意図を察したドーラが、右に進路を変え邪僧たちを誘導する。
ドンッ!
直後、くノ一の鼓膜を大音が叩いた。
横目で見ると、案の定そこにいるはずの邪僧たちが奇麗サッパリ消えていた。
床にポッカリ穴が開き、底から突き出した槍に串刺しにされた邪僧たちの怨念が溢れ出している。
穽。
これまでの戦いで加護を使い果たしていた悪魔崇拝者たちは、肉弾戦を挑もうとしてこの大広間に無数に掘られているに陥穽にはまったのだ。
(この探索者の傑作め!)
階層を穿つ巨大な穴を迂回して再び駈け出しながら、ドーラは思った。
この男のことだ。
抜かりなく広間にあるすべての穽の位置を把握して、いざという時に利用しようとしていたのだろう。
それはこれまでにも幾度となく抱いた賛嘆ではあったが、今は強い焦慮を宿してもいた。
(あんたは迷宮が似合い過ぎるんだよ!)
走りながらドーラは唇を噛んだ。
たとえ血脂に塗れ、錆びて折れかけていたとしても、それでも自分たちはこの男を頼らなければならない。
この男の才知を活用しなければならない。
そうしなければ自分たちは誰ひとり、この迷宮から生きて戻ることはできないだろう。
かつてこの男を散々に利用した挙げ句、記憶まで奪って放逐した “リーンガミル聖王国” のように。
くノ一の焦慮が嫌悪感に変わったとき、三度前方に緋色の僧衣をまとった集団が現れた。
数は九。
その九人が、続けざまに “呪死” の祝詞を唱え始める。
どうやら、こいつらはまだ加護を残しているらしい。
ドーラが今度こそ最後の擲弾をつかんだとき、唐突に視界を闇が染めた。
自軍の敗北を悟った天使たちが、遂に逃げ出したのだ。







