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迷宮保険  作者: 井上啓二
第四章 岩山の龍
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悲憤

「――わたしは反対です! どうしてあなたがそこまでしなければならないのですか!」


 対策本部の天幕に、わたしの悲鳴染みた声が響き渡りました。

 視線の先には、例によって例のごとく予想の斜め上を行く “桂馬の駒” のような人。

 しかし、今回は桂馬どころか角です。それも勢い余って盤上から飛び出し、落っこちてしまう。

 漆黒の板金鎧(プレートメイル)に身を包んだ猫背の男性が、困惑した表情でわたしを見つめています。

 その顔色から、わたしが反対をするのは想定内だったのでしょう。

 しかし、ここまで強く反対をされるのは想定外だったようです。


「大丈夫だ。俺は客分で、言うなればこの拠点からの観戦武官みてえなもんだ。後陣の司令部にいて直接切った張ったはしねえ」


 わたしの剣幕に圧されてか、アッシュロードさんが珍しく安心させるような口調で言いました。


「たかだか三〇〇人にも満たない兵力で何を言っているのですか! 戦いが始まればあっという間に乱戦になって、後陣も司令部も関係なくなります!」


 わたしの正論に、ぐうの音も出ない様子のアッシュロードさん。

 アッシュロードさんが心血を注いで練り上げた “悪巧み” は、あと一歩で成功というところまできていました。

 物資不足に苦しむ邪僧たち(悪魔側)は、十字軍(天使側)が送った “決戦状” に同意し、明日第五層の通称 “暗黒広間” で決戦が行われるのです。


 普通なら、そんな子供騙しの()()()()に応じる集団などいないでしょう。

 ですが日ごとに餓えと寒さで弱っていく自分たちに比べて、潤沢な燃料を手に入れた敵はそれまで食用に適さなかった魔物も口に出来るようになり、活力に満ちていきます。

 暖かな生活環境は士気を高め、このままでは数の上では互角でも質の面では抗し得なくなってしまう――。

 一日ごとに開いていく戦力差に危機感を覚えた邪僧たちは、いつしか決戦での勝利に活路を見出すしかなくなっていたのです。

 そして、その心理を読み切ったアッシュロードさんから送られた “決戦状”

 彼らは飛びつきました。


 戦力的に不利な側から、決戦を求めてくるように仕向ける。

 最終的な目的に至るように状況を作り、相手の選択肢を削り、それ以外に採り得る道を無くす――。

 口で言うは易しですが、実際に行うとなるともはや魔人の所業でしょう。

 軍記物・戦記物に登場する軍師や参謀ならいざ知らず、この人は現実にそれをやってのけたのです。


 決戦の場所に指定された “暗黒広間” の入り口には、魔法封じ(アンチマジック)の罠が仕掛けられています。

 決戦の場に足を踏み入れれば、邪僧たちの最大の武器である “呪死(デス)”は封じられてしまうのです。

 その事を知らないのか、あるいは知っていてなお決戦に賭けなければならないほど追い詰められているのか……。


 さらに天使側――十字軍です。

 彼らはこの計略を自分たちに囁いたアッシュロードさんに、戦場への同行を求めたのです。

 その真意がどこにあるのかは定かではありませんが、いずれにしても突然現れた名軍師に安全な場所で高みの見物をさせるつもりはないようです。

 そして万が一負け戦になった場合、彼らの剣先がアッシュロードさんに向くことも十分に考えられるのです。


 わたしは、狂信的な危険な集団と直接戦わないで済むと思ったから、今回の “悪巧み” に賛成したのです!

 これでは意味がありません!


「天使側は勝つ。加護さえ封じちまえば、物狂いの坊主なんざ、剣が本職の騎士どもの敵じゃねえ。危険はねえさ」


 アッシュロードさんが、もう一度なだめます。

 天幕にいるトリニティさん他の人たちは、わたしたちのやり取りに気圧されてしまったのか、黙って推移を見守っていました。


「それに奴らの錦の御旗である天使様が御出馬くださって、暗黒回廊(ダークゾーン)を照らしてくれるんだ。士気は天を衝いて、負ける要素なんてこれっぽっちもねえ。絶対だ」


「戦場に絶対はありません!」


「そいつを言ったら……」


「それに、わたしが言っているのはそういうことではありません!」


 わたしは唇を噛みしめ、今にも涙が零れそうな瞳でアッシュロードさんを睨みます。

 この人は、いつもそう。

 自分以外の誰かのために、必死に悪巧みをして。

 その悪巧みには、必ず血の臭いがして。

 あなたは見るのですよ?

 すべてが終わったあと、戦場に折り重なる幾人もの人の山を?


 わたしは……見せたくありません。

 そんな光景、あなたに見てほしくありません。

 あなたがそこまでする必要なんてないのですよ?

 ここまでお膳立てしたのです

 もう充分ではありませんか。

 もしかして、贖罪のつもりなのですか?

 少しでも自分を罰しているのですか?

 そんなの単なる自己憐憫の自己陶酔ですよ……。


「……そんなんじゃねえ」


 驚いたことに、アッシュロードさんはわたしの言いたいことがわかったようでした。


「……そんな格好付けたもんじゃねえ。()()()ただの貧乏性だ。自分が手え出した仕事は最後まで面倒みてえんだ。おめえから見たら血なまぐさい “悪巧み” からもしれねえが、それでも俺には……仕事だ」


 まるで自分にはそれしかないような、アッシュロードさんの口振り。

 だからこそ、だからこそやるせないのです。

 だからこそ、やり切れないのです。

 あなたほどの人なら、もっといくらでも人に誇れる仕事ができるのに。

 人から称賛を受けられる仕事ができるのに。

 これでは……あんまりです


「……」


 わたしは一礼をすると、天幕を出ました。

 この人が翻意することはないでしょう。

 わたしがここにいては議論が進まず、時間を浪費するだけです……。





 それからしばらくて……。


「聖女様、少しいいかい?」


 ひとり地底湖の岸辺にいたわたしに、誰かが話しかけてきました。



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― 新着の感想 ―
[一言] まあ見届人は必要なんですよね。 それをグレイがやるのは、実力的にも流れ的にも当たり前です。 それで納得できないのが、恋する乙女なんでしょうね。
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