タフ・ネゴシエーター
――ここが際だ。
アッシュロードは “十字軍” の神殿の中心部、四翼の天使たちが舞う祭壇に引き出されると、自分が勝負の際に立ったことを理解した。
髭面の “テンプル騎士” が、天使たちに恭しく膝をつき頭を垂れながら、これまでの経緯を説明する。
自分を見る天使たちの表情が明らかに戸惑っているのが、アッシュロードにはわかった。
ガブリエルが迷宮に残された “狂気のアヴドゥル” の気配を感じ取ったように、天使の感覚器は人間とは比較にならないほど鋭敏である。
自分にまとわりついているそのガブリエルの残り香を嗅ぎとって、反応に困っているのだろう。
実際、そのとおりだった。
天使たちは、目の前に引きずり出されてきた薄汚い男から、変わり者の姉の気配を感じて狼狽えていた。
姉――ガブリエルは天使の中でも最高位の “熾天使” であるだけでなく、長兄であり長であったあの裏切り者が去ったあとの天界を統べる三大天使の一翼だ。
普段は天界でただの気配に溶けて漂っているか、勝手気ままに別の次元を渡り歩いているかのどちらかだが、なんの気まぐれか現在の最前線であるこの次元に降りてきたようである。
彼女は変わり者ではあるが、その力は自分たち末弟・末妹が一〇〇〇翼で掛かっても、足元にも及ばないほど強大である。
その最強天使を、こともあろうに守護天使にしたという小汚い人間。
不遜で不敬で不快なこの矮小な男を、人間が虫ケラにするように踏み潰してやりたかったが、ガブリエルの残り香がそれを許さない。
彼女にとって楽しくないことをすれば、自分たちが楽しくない目に遭ってしまう。
光り輝く六枚の翼を持つ大天使ガブリエル。
彼女は変わり者ではあるが、決して寛容ではないのだ。
「――ぶっちゃけた話、俺たちにしてみればあんたらがどうなろうと知ったこっちゃねえんだ」
それが演技なのかそれとも素の仕草なのか、自分でも判断がつかないままアッシュロードが肩をすくめて『へっ』と笑った。
「いっそのこと、あの物狂いの坊主どもと相打ちにでもなって両者全滅してくれれば一番ありがたいくれえだ」
さすがにこれは暴言だろう。
だが、暴言なだけに本心からの言葉だ。
アッシュロードの心を読んでいた天使たちの耳にも、その言葉は曇りなく響いた。
「貴様っ!」
「KiSyaaaaーーーーーーッッッ!!!」
祭壇上にも関わらず怒号を発して剣を抜きかけた “テンプル騎士” を、天使が鋭く威嚇する。
髭面の騎士が金縛りにあったように硬直した。
「だが現状ではそれは望めねえ話だ。あんたたちは弱ってる。ハッキリ言って半病人の集団だ。とてもあの坊主どもと殺り合える状態じゃねえ。だから俺たちとしてはあんたらに元気になってもらう必要があるんだ。その為に必要な物を提供するから、代わりに坊主を皆殺しにしてくれって話だ」
そしてアッシュロードは、完全に素の表情でいけしゃあしゃあと付け足した。
「どっちみち――それがあんたらの目的でもあるんだろ?」
天使たちの心が傾いた。
忌々しいことに、目の前の小汚い男の言うことはいちいち的を射ている。
“真龍” が召喚したこの異邦の騎士たちを手懐けてみたはいいものの、迷宮内の環境は過酷であり、敵の戦力を削る前に見る見る痩せ衰えてしまった。
物資不足も深刻で、特に暖を取るのに必要な燃料が絶望的に足りない。
“真龍” が迷宮を閉ざしたことで、外界から枯れ枝を運んでくることもできない。
いや、それどころかこの階層以外の場所に降り立つことすら不可能だった。
神に比肩する力を持つ三翼の兄姉ならいざ知らず、自分たちのような若い天使では、迷宮支配者である世界蛇の許しなく、この領域で好き勝手はできないのである。
自分たちに出来るのは、せいぜいこの階層に植生している “動き回る蔓草” を充てがってやることぐらいだ。
その蔓草も最近は数を減らしていて、さらにここ数日はまるで誰かかが根こそぎ持って行ってしまったように姿が見えない。
あの蔓草と果実は “十字軍” たちの命綱ともいえる燃料と食料であり、これが手に入らなくなってしまっては、ここでの戦いに敗れてしまう。
恭しい態度を崩さないが、異邦の騎士たちも内心では大いに乗り気である。
ここで取引を認めなければせっかくの手駒の士気はさらに下がり、本当に物の用に立たなくなってしまうだろう。
どちらにしろ、自分たちは姉のお気に入りであるこの小汚い男には手は出せないのだ。
「――どうする? 嫌ならやめてもいいんだぜ?」
その言葉だけは嘘だと分かったが、天使たちは黙殺するしかない。
天使の裁定は “是” だった。
それからアッシュロードは祭壇から下ろされ、再び別室に引っ立てられた。
そこで詳細な契約の内容が話し合われたが、これはアッシュロードが拍子抜けするほどトントン拍子に進んだ。
“十字軍” にしても、燃料は喉から手が欲しい物資なのである。
お許しさえでれば、否やのあるはずがない。
最初の受け渡しの段取りまで一気に決めてしまうと、ようやくアッシュロードは解放された。
入ったときとは真逆の意味で出口まで急き立てられ、何度も約束を違えぬように念を押されたあとに、やっと扉の外に出された。
精根が尽き果てた思いだった……。
その場に脱力して座り込みたくなる衝動に耐え、アッシュロードは神殿から遠ざかった。
微塵の動揺も消耗も浮かべず、あくまで悠然と回廊を歩いて行く。
もちろん小躍りなどはしないし、出来ない。
会社に帰って報告するまで、契約は結ばれたことにはならないのだ。
やがて充分な距離を取り、周囲から “十字軍” の気配が完全に消えると、アッシュロードは壁に背を預け、へたり込みそうになる身体をどうにか支えた。
「――ご苦労さん。さすがにヘロヘロな様子だね」
聞き知った声がして、水薬と隠身の術を駆使し、誰にも気づかれることなく彼を護り続けていたくノ一が姿を現した。
トリニティを始めとする拠点の人間が、アッシュロードを単身で向かわせるはずがない。
不測の事態が起きた場合は、雑嚢に詰められるだけ詰めてきた “とっておき” や “滅消の指輪” を使って攪乱し、トリニティから貸し出された “転移” の呪文が封じられたダイアデムを使って脱出する計画だった。
「ビックリするほど上手く運んだね。冠の力を使わずにレインに返せるよ」
「ガブと……ライスライトのお陰だ」
グッタリと生気のない声でアッシュロードが答えた。
上手くはいったが、“案ずるより産むが易しだった” ……などと、とても言える気分ではない。
「聖女様の? ――ああ、そういうことかい。あんたにしては腹芸のない交渉だと思ったら、つまりは馬鹿正直に正面突破をしたってわけかい」
「馬鹿は余計だ……」
不機嫌なのは疲労のせいか、それともあの娘を馬鹿呼ばわりされたからか。
おそらくは――。
(まったく良いコンビだよ。とっとと嫁にもらっちまいな)
「確かに、いつものあんただったら裏の裏までかいて、却って墓穴を掘ってたかもしれないねぇ」
それから、クスクスと笑ってドーラは付け加えた。
「還ったらお礼にタップリ優しくしてやりな。今までの分もまとめてね」
「……優しくして欲しいのは、こっちの方だ」
ドーラは迷宮内だというのに今度こそ大笑した。
とにもかくにも、最初の関門は越えた。
“湖岸拠点” は “十字軍” と、一応の協調関係を築いたのだった。







