日常から再び幕は上がり
おはようございます。
新米迷宮探索者のエバ・ライスライトこと、枝葉 瑞穂です。
今日も今日とて馬小屋で目覚めたわたしは(これが本当の “馬小屋の聖女” です。なんちゃって)、酒場で一番安い麦粥の朝ごはんを食べると、その足で建物の裏手に回りました。
溜まった洗濯物を片付けるためです。
ここ数日、潜って、死んで、生き返ったと思ったら、また潜って、また死にかけて――と実にめまぐるしい毎日だったので、いい加減汚れ物が溜まっていたのです。
冒険者の酒場兼宿屋である “獅子の泉亭” には、設備の整った水道が引かれていて、石造りの立派な洗濯場まで完備されています。
(今で言うところのコインランドリーですね)
わたしは一メートル四方の洗濯槽を借りると、腕まくりをしてしゃがみ込みました。
洗濯槽には水道から水が引きこまれていて、さらには下水へと流れ出ています。
他にも数名の探索者の人が、やはりわたしと同じように洗い物に勤しんでいました。
「ふん、ふん、ふん、ふ~ん♪」
ヘンリー・パーセルの “アブデラザール、またはムーア人の復讐” の “ロンドー” を口ずさみながら、ジャブジャブジャブ。
まずは自分の物から、ジャブジャブジャブ。
――お母さん様。
あなたの娘は、異世界でもたくましく生きています。
だから、どうか心配しないでください。
貧乏なわたしです。
普段着にしても下着にしても、たいした数はありません。
(この世界の下着は、慣れるまで大変でした)
ボルザッグさんから譲ってもらった クロースの鎧下も洗ってしまいたいのですが、やりかたがわからないので躊躇します。
普通に洗ってしまってよいのでしょうか?
う~ん。やっぱり今日はやめておきましょう。
大事な一張羅なので、変な洗い方をして痛めてしまっては大変です。
今度お店に行ったときに訊いてみましょう。
何度も言いますが、わたしは貧乏なのです。
それほど手間は掛からずに、自分の分の洗い物は片づきました。
さあ、ここからが本番です。
メインディッシュです。
わたしは借りたままになっている、アッシュロードさんのローブに取りかかりました。
こういった場合、本来なら新しい品を買って返すのが礼儀なのかもしれませんが、なにしろわたしは(以下Rya)。
なので、せめて新品同然に奇麗にして返したいのです。
ジャブジャブジャブ。
下水に流れ出ていく水が見る間に真っ黒になっていきます。
まったくなんという汚さ。わたしはこんな物を着ていたのですか。
あの人、絶対に洗濯してませんよね、これ。
ああ、せめて洗濯石鹸ぐらい買えるようになりたい。
そんなことを思いながらも、再び口はパーセルのロンドーを口ずさみます。
「ふん、ふん、ふん、ふ~ん♪」
「――なに、随分とご機嫌だね」
おや、もはや聞き知ったるこの声は。
顔を上げると、そこにいつの間にか小柄な女の子が立っていました。
今やこの “アカシニア” でのわたしの一番の友だちであり、パーティの仲間でもあるホビットの魔術師です。
「あら、パーシャ。おはようございます。あなたも洗濯ですか?」
「ううん、あたいは今日は平気――聴いたことないけどいい曲ね。なんて曲?」
パーシャが大きな翠璧色の瞳をキラキラさせて訊ねました。
お酒と食べ物と音曲がなによりも好きなホビットです。
興味を持つのも当然かもしれません。
「これ? これはですね、ヘンリー・パーセルの “アブデラザール、またはムーア人の復讐” の “ロンドー”という曲です」
「……ごめん、それどこからどこまでが曲の名前?」
たちどころに困惑顔になるパーシャ。
うんうん、それが普通の反応です。
元の世界の人たちだって、クラシックの曲名なんて大概言えませんでしたから。
「まっててください。これが終わったら詳しく教えてあげますから」
よいしょ、よいしょ、と、踏み洗い。
うんしょ、うんしょ、と、もみ洗い。
押し洗いに、叩き洗いも。
いやぁ、手強い。手強い。
まるでネームドです。
「汚いローブだねぇ。そんなの捨てて新しいの買ったらどうなのさ」
洗濯槽から流れて出ていくコーヒーのような水を見たパーシャが、呆れ顔で言いました。
「これはアッシュロードさんのローブだから、そんなわけにもいかないのです」
「――ふあぁ!?!?」
な、なんです、その “|奇妙な動物《Strange Animal》” を見たような反応は。
「あ、あんたたち、やっぱりそういう関係だったの!」
「そういう関係って、どういう関係です?」
「そういう関係は、そういう関係よ! 決まってるでしょ!」
なにやら、禅問答のようなパーシャとの会話。
だから、どういう関係ですか?
「男と女の関係よ!」
ふあぁ!?
「なんでそうなるのですか!」
「――ふあぁ!?!?」
再び “|奇妙な動物《Strange Animal》” を見たような、パーシャの反応。
「男の服をそんな幸せそうな顔で洗っておいて、他にどんな関係だっていうのよ!」
顔を真っ赤にして息むパーシャ。
というか、あなたはなんでそんなにムキになっているのですか?
「そ、それは……一言では説明しにくい関係なのです」
実際そうなのですから、これは仕方ありません。
「じゃあ二言でして! 三言でして! 十言でも二十言でも必要な分だけでいくらでもして!」
だからなんなのですか、その食いつきのよさは。
「トモダチの部屋で話したでしょう。アッシュロードさんはわたしが契約している迷宮保険屋さんで、最初の探索で全滅したわたしを助けてくれた人だって」
それだけじゃなく、わたしの友だちも助けてくれたって。
「十分じゃない!」
「? なにがです?」
「女が男を好きになるのに、それ以上の何が必要なのよ!」
どうもこのパーシャという子は、“男女の関係” が “男と女の関係” しかないと考えるタイプの女の子のようです。
「あんた、男の趣味悪すぎるわよ。あんたみたいな器量よしが、なんであんなくたびれた汚いおっちゃんなのよ」
失敬な。
「アッシュロードさんは、くたびれても、汚くもありません。あの人はただ面倒くさがり屋さんで、あまりお風呂に入らないだけです」
「それを汚いっていうのよ!」
「「むぅ!」」
わたしとパーシャの視線が、宙空でバチッバチッとぶつかりました。
なんて分からず屋なのでしょうか。
「よいですか、パーシャ! アッシュロードさんはわたしの恩人です! いくらパーシャでもあの人を悪く言うことは許しません!」
「恩人!? 愛人の間違いじゃないの!」
ああ言えばこう言う!
この分からず屋のパーシャ! 魔術師の英明な頭脳はどこに行ったのですか!
「パーシャ。“男と女” の関係を、すべからく“男女” の関係だと考えるのはあなたの悪い癖です」
「だ・か・ら、そうじゃないなら、どういう関係かちゃんと説明してよ! 友だちでしょ!」
「だ・か・ら、説明しているじゃないですか! 命の恩人だって!」
「それだけ?」
「それだけです」
「他に何もない?」
そこまで念を押されると、
「うーん、強いて言えば……」
腕組みをして、思わず首を捻ってしまいます。
「強いて言えば……?」
なにやら、ゴクリと生唾を呑み込むパーシャ。
「アッシュロードさんは、わたしの借金主ということぐらいでしょうか」
うん、あとはそれぐらいですよね。
「あと二七日以内に借りているお金を返さなければ、わたしはあの人の借金奴隷にならなければならないのです」
「はあああっ!!?」
だから、なんなのです、その反応は?
借りているお金を返せなければ借金奴隷に落ちる。
この世界では当然のことだと聞いていましたが、もしかして違うのですか?
「なんでそれを先に言わないのよ!」
「? そんなに大事なことですか?」
「大事なことよ! っていうか、一番重要なことじゃない!」
ワナワナと震え始めるパーシャ。
真っ赤だった顔が、次第に蒼ざめてきて……。
「ゆるせない……あいつ!」
パーシャはホビットの敏捷っさを存分に発揮して、止める間もなく洗濯場から飛び出していきました。
「ちょっ、パーシャ!」
すぐに追い掛けようとしましたが、手には濡れしぼんだアッシュロードさんのローブがあり……。
「ああ、もう! まだ終わってないのに!」
どーして、こうなっちゃうのでしょうか!
大慌てでどうにかこうにかローブを干して、駈け去ったパーシャの姿を求めて酒場に戻ると、彼女が円卓に座るアッシュロードさんに向かって指を突き付け、難詰しているところでした。
「――おっちゃん! あんたは、あんたは、“放蕩君主” なんかじゃない! あんたは、あんたは――」
そして放たれる決定的な一言。
「あんたは、“強姦君主” よ!」







