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迷宮保険  作者: 井上啓二
第二章 保険屋 v.s. 探索者
31/658

日常から再び幕は上がり

 おはようございます。

 新米迷宮探索者のエバ・ライスライトこと、枝葉 瑞穂です。


 今日も今日とて馬小屋で目覚めたわたしは(これが本当の “馬小屋の聖女” です。なんちゃって)、酒場で一番安い麦粥(オートミール)の朝ごはんを食べると、その足で建物の裏手に回りました。

 溜まった洗濯物を片付けるためです。

 ここ数日、潜って、死んで、生き返ったと思ったら、また潜って、また死にかけて――と実にめまぐるしい毎日だったので、いい加減汚れ物が溜まっていたのです。


 冒険者の酒場兼宿屋である “獅子の泉亭” には、設備の整った水道が引かれていて、石造りの立派な洗濯場まで完備されています。


(今で言うところのコインランドリーですね)


 わたしは一メートル四方の洗濯槽を借りると、腕まくりをしてしゃがみ込みました。

 洗濯槽には水道から水が引きこまれていて、さらには下水へと流れ出ています。

 他にも数名の探索者の人が、やはりわたしと同じように洗い物に勤しんでいました。


「ふん、ふん、ふん、ふ~ん♪」


 ヘンリー・パーセルの “アブデラザール、またはムーア人の復讐” の “ロンドー” を口ずさみながら、ジャブジャブジャブ。

 まずは()()()()から、ジャブジャブジャブ。


 ――お母さん様。

 あなたの娘は、異世界でもたくましく生きています。

 だから、どうか心配しないでください。


 貧乏なわたしです。

 普段着にしても下着にしても、たいした数はありません。


(この世界の下着は、慣れるまで大変でした)


 ボルザッグさんから譲ってもらった クロースの鎧下も洗ってしまいたいのですが、やりかたがわからないので躊躇します。

 普通に洗ってしまってよいのでしょうか?


 う~ん。やっぱり今日はやめておきましょう。


 大事な一張羅なので、変な洗い方をして痛めてしまっては大変です。

 今度お店に行ったときに訊いてみましょう。

 何度も言いますが、わたしは貧乏なのです。

 それほど手間は掛からずに、()()()()の洗い物は片づきました。


 さあ、ここからが本番です。

 メインディッシュです。

 わたしは借りたままになっている、アッシュロードさんのローブに取りかかりました。

 こういった場合、本来なら新しい品を買って返すのが礼儀なのかもしれませんが、なにしろわたしは(以下Rya)。

 なので、せめて新品同然に奇麗にして返したいのです。


 ジャブジャブジャブ。


 下水に流れ出ていく水が見る間に真っ黒になっていきます。

 まったくなんという汚さ。わたしはこんな物を着ていたのですか。

 あの人、絶対に洗濯してませんよね、これ。

 ああ、せめて洗濯石鹸ぐらい買えるようになりたい。

 そんなことを思いながらも、再び口はパーセルのロンドーを口ずさみます。


「ふん、ふん、ふん、ふ~ん♪」


「――なに、随分とご機嫌だね」


 おや、もはや聞き知ったるこの声は。

 顔を上げると、そこにいつの間にか小柄な女の子が立っていました。

 今やこの “アカシニア” でのわたしの一番の友だちであり、パーティの仲間でもあるホビットの魔術師です。


「あら、パーシャ。おはようございます。あなたも洗濯ですか?」


「ううん、あたいは今日は平気――聴いたことないけどいい曲ね。なんて曲?」


 パーシャが大きな翠璧(すいへき)色の瞳をキラキラさせて訊ねました。

 お酒と食べ物と音曲がなによりも好きなホビットです。

 興味を持つのも当然かもしれません。


「これ? これはですね、ヘンリー・パーセルの “アブデラザール、またはムーア人の復讐” の “ロンドー”という曲です」


「……ごめん、それどこからどこまでが曲の名前?」


 たちどころに困惑顔になるパーシャ。

 うんうん、それが普通の反応です。

 元の世界の人たちだって、クラシックの曲名なんて大概言えませんでしたから。


「まっててください。これが終わったら詳しく教えてあげますから」


 よいしょ、よいしょ、と、踏み洗い。

 うんしょ、うんしょ、と、もみ洗い。

 押し洗いに、叩き洗いも。

 いやぁ、手強い。手強い。

 まるでネームド(レベル8以上)です。


「汚いローブだねぇ。そんなの捨てて新しいの買ったらどうなのさ」


 洗濯槽から流れて出ていくコーヒーのような水を見たパーシャが、呆れ顔で言いました。


「これはアッシュロードさんのローブだから、そんなわけにもいかないのです」


「――ふあぁ!?!?」


 な、なんです、その “|奇妙な動物《Strange Animal》” を見たような反応は。


「あ、あんたたち、やっぱりそういう関係だったの!」


「そういう関係って、どういう関係です?」


「そういう関係は、そういう関係よ! 決まってるでしょ!」


 なにやら、禅問答のようなパーシャとの会話。

 だから、どういう関係ですか?


「男と女の関係よ!」


 ふあぁ!?


「なんでそうなるのですか!」


「――ふあぁ!?!?」


 再び “|奇妙な動物《Strange Animal》” を見たような、パーシャの反応。


「男の服をそんな幸せそうな顔で洗っておいて、他にどんな関係だっていうのよ!」


 顔を真っ赤にして息むパーシャ。

 というか、あなたはなんでそんなにムキになっているのですか?


「そ、それは……一言では説明しにくい関係なのです」


 実際そうなのですから、これは仕方ありません。


「じゃあ二言でして! 三言でして! 十言でも二十言でも必要な分だけでいくらでもして!」


 だからなんなのですか、その食いつきのよさは。


「トモダチの部屋で話したでしょう。アッシュロードさんはわたしが契約している迷宮保険屋さんで、最初の探索で全滅したわたしを助けてくれた人だって」


 それだけじゃなく、わたしの友だちも助けてくれたって。


「十分じゃない!」


「? なにがです?」


「女が男を好きになるのに、それ以上の何が必要なのよ!」


 どうもこのパーシャという子は、“男女の関係” が “男と女の関係” しかないと考えるタイプの女の子のようです。


「あんた、男の趣味悪すぎるわよ。あんたみたいな器量よしが、なんであんなくたびれた汚いおっちゃんなのよ」


 失敬な。


「アッシュロードさんは、くたびれても、汚くもありません。あの人はただ面倒くさがり屋さんで、あまりお風呂に入らないだけです」


「それを汚いっていうのよ!」


「「むぅ!」」


 わたしとパーシャの視線が、宙空でバチッバチッとぶつかりました。

 なんて分からず屋なのでしょうか。


「よいですか、パーシャ! アッシュロードさんはわたしの恩人です! いくらパーシャでもあの人を悪く言うことは許しません!」


「恩人!? 愛人の間違いじゃないの!」


 ああ言えばこう言う!

 この分からず屋のパーシャ! 魔術師の英明な頭脳はどこに行ったのですか!


「パーシャ。“男と女” の関係を、すべからく“男女” の関係だと考えるのはあなたの悪い癖です」


「だ・か・ら、そうじゃないなら、どういう関係かちゃんと説明してよ! 友だちでしょ!」


「だ・か・ら、説明しているじゃないですか! 命の恩人だって!」


「それだけ?」


「それだけです」


「他に何もない?」


 そこまで念を押されると、


「うーん、強いて言えば……」


 腕組みをして、思わず首を捻ってしまいます。


「強いて言えば……?」


 なにやら、ゴクリと生唾を呑み込むパーシャ。


「アッシュロードさんは、わたしの借金主ということぐらいでしょうか」


 うん、あとはそれぐらいですよね。


「あと二七日以内に借りているお金を返さなければ、わたしはあの人の借金奴隷にならなければならないのです」


「はあああっ!!?」


 だから、なんなのです、その反応は?

 借りているお金を返せなければ借金奴隷に落ちる。

 この世界では当然のことだと聞いていましたが、もしかして違うのですか?


「なんでそれを先に言わないのよ!」


「? そんなに大事なことですか?」


「大事なことよ! っていうか、一番重要なことじゃない!」


 ワナワナと震え始めるパーシャ。

 真っ赤だった顔が、次第に蒼ざめてきて……。


「ゆるせない……あいつ!」


 パーシャはホビットの敏捷(はしっこ)っさを存分に発揮して、止める間もなく洗濯場から飛び出していきました。


「ちょっ、パーシャ!」


 すぐに追い掛けようとしましたが、手には濡れしぼんだアッシュロードさんのローブがあり……。


「ああ、もう! まだ終わってないのに!」


 どーして、こうなっちゃうのでしょうか!

 大慌てでどうにかこうにかローブを干して、駈け去ったパーシャの姿を求めて酒場に戻ると、彼女が円卓に座るアッシュロードさんに向かって指を突き付け、難詰しているところでした。


「――おっちゃん! あんたは、あんたは、“放蕩君主(レイバーロード)” なんかじゃない! あんたは、あんたは――」


 そして放たれる決定的な一言(クリティカル)


「あんたは、“強姦君主(レイパーロード)” よ!」



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― 新着の感想 ―
[一言] 日常から再び幕は上がりまで読みました。 エバが無事、新しいパーティに入れてよかったです。 アッシュロードさんは相変わらずのツンデレさんで可愛い。 しかし、パーシャがとんでもないことを言ってま…
[一言] 二人の関係性が良い感じになってきましたね。 ラブコメ成分が増えてきて顔がにやけてしまいます。
[良い点] エバとパーシャのやり取りが最高でした! ズケズケ言っちゃうパーシャなのに世話焼きというかお節介なところが良いですね。 [一言] 親父の洗濯物と一緒に洗うんじゃねぇ世代がガッツリおっさんのも…
2021/04/18 09:38 退会済み
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