とっておき
その神殿は、正しく方形をしていた。
中心部に祭壇らしき場所があったが、急な傾斜が着いていて入り口からは壇上をうかがい知ることが出来ない。
歩哨が見張る扉を抜けたアッシュロードとドーラは、反時計回りに神殿の外周を進んだ。
祭壇を確認するには、登壇するための階段なりを見つける必要があったのだ。
水薬と加護 の効果が切れてからは、等間隔で並んでいる太い立柱の陰に身を潜めながらさらに慎重に進む。
そうやって神殿をぐるりと一周したとき、祭壇の西側の一辺が緩やかなスロープになっている場所にたどり着いた。
そして、ふたりの古強者は見た。
スロープの先、ひざまずき恍惚とした表情で祈りを捧げる無数の “十字軍” の頭上に舞う、四翼の “天使” の姿を。
神殿が奥まるにつれて、半日ほど前に別れた熾天使とよく似た気配が強まったため、ある程度の予感はあったが……。
(どうやらこっちは、“聖” の神殿のようだね)
立柱の陰から祭壇の様子を観察しながら、ドーラが囁く。
(向こうは悪魔どもの領域らしいからな。それを考えれば納得の光景だ)
同様に柱の陰に隠れながら、アッシュロードがやはり囁き答えた。
(ここまでやたらと “善”と “悪” にこだわってきた迷宮が、行き着くところまで行った感じだな)
(……あの世界蛇は、ここであたしたちに何を見せたいのかね)
あるいは何を証明させたいのか――アッシュロードは思った。
この迷宮が世界蛇 “真龍” の試練・試験の場なら、訪れた者は何かを証明しなければならないはずだ。
それは困難を克服する力か。
真理を解き明かす知恵か。
ただこの天使たちを討滅すれば、それでいいのか。
そうではないような気がする。
そんな単純な話ではない気が……。
(試練を強制させておいて、まったく不親切にもほどがあるよ)
文句を垂れるドーラにアッシュロードもまったく同感だが、毒づくだけでは解決にはいたらない。
(――それで、どうするね?)
(……わからん)
アッシュロードの目的は正邪ふたつの神殿を争わせて、共倒れ、あるいはそれに近い状況に陥らせることにある。
そうでもしなければ、とてもではないが一〇〇人単位の狂信者で溢れている場所の探索など出来たものではない。
そのためには綿密な計画を立てる必要があり、そのためには精確な情報の収集と分析が不可欠だった。
(……今日は戻るべ)
アッシュロードが撤収を口にした。
神殿を一巡りにしたことで、必要な情報は得られただろう。
今はそれとわからなくても、分析すれば浮き上がってくる価値のある情報が目に留まっているはずだ。
あと必要なのは、じっくり考えられる場所と時間……あれば酒だ。
(……そうさね。天使と知り合えたなんて娘にもいい土産話が出来たしね)
ドーラが迷宮では珍しく母親の顔をしたとき、祭壇上を舞う別の天使たちが不意に舞うのをやめ、宙空に制止した。
警戒するように周囲を見渡す、四対の翼。
“天使” の異変に気づいた “十字軍” の間にも、何事かとざわめきが広がる。
次の瞬間、
「「「「――GiSyaaaaaaッッッ!」」」」
「「「「KiSyaaaaaaッッッ!」」」」
四翼の “天使” が続けて金切り声を上げ、ふたりの探索者が身を潜めている立柱を指さした。
「チッ、気づかれたか!」
「ガブの弟妹だってのに、なんて耳障りな声だい!」
アッシュロードとドーラは、同時に柱の陰から飛び出した。
幸いなことに出口は近い。
祭壇上へのスロープの真向かいが一方通行の扉になっていて、そこを潜れば最初に調べた三つ並んだ小部屋の真ん中に出られる。
なんのことはない、あの小部屋はこの神殿の出口だったのだ。
「ハハハッ! ざっと一〇〇人はいるね! でもあたしと鬼ごっこするには、まだまだ足りないよ!」
猫にして忍者なドーラにしてみれば、鈍重な人族が何人追いかけてこようと問題にはならない。
「アホ抜かせ! 完全にオーバーキルだろうが!」
人族の君主が怒鳴る。
もちろんキルされるのは、この男の方だ。
アッシュロードは三七歳。
古強者といえば聞こえはいいが、探索者としてはトウが立っている。
短距離走と長距離走の複合競技である鬼ごっこはキツい。
「“滅消” を使うかい!?」
「あの様子じゃ効果は薄いな!」
“滅消” は広範囲の弱敵を一瞬で塵にする強力無比な呪文だが、物理的な作用はない。
神域を穢されたと思い逆上している狂信者の大群に使っても、一部を消し去るだけで、残りは怯むどころか脇目すら振らずに追いかけてくるだろう。
“対滅” のような広範囲に物理的破壊をもたらす呪文でなければ、この状況では効果を望めない。
「じゃあ、どうすんだい!? あんた、あたしのために囮になってくれるってのかい!?」
アッシュロードは答える代わりに、腰の後ろの雑嚢に手を回した。
今回の探索の序盤に、これとまったく同じ状況に陥った。
正邪の違いこそあれ、狂信者の集団に追われるという悪夢じみた状況だ。
あの時は今追われている “十字軍” の出現で難を逃れることが出来たが、今度は逆に “邪僧” の集団が乱入してくる――ような幸運は望めないだろう。
「――あん時の礼だ、受け取れ!」
アッシュロードは走りながら口の中で祝詞を唱えると、雑嚢から引き出した “とっておき” を、背後から迫る “十字軍” の大軍に向けて放った。
同時にタイミングを計って、“焔柱” の加護を願う。
“焔柱” の効果は中規模集団。最大でも一〇人までは及ばない。
一〇〇人以上の追っ手に対しては、あまりにも非力な加護だが――。
直後、通常の “焔柱” とは比較にならない閃光と轟音が、天使たちの舞う聖殿を揺るがした。







