予言者
もちろん止める間などなかった。
殺気どころか気合いも、それどころか集中している素振りすらなかった。
向かってくる魔物の群れに無造作に手がかざされると、無詠唱で究極の破壊呪文がぶっ放された。
本人の背光を遙かに凌駕する閃光と轟音、そして衝撃波。
熟練者だからこそ可能な咄嗟の身ごなしで、床に這いつくばるように腰を落としていなければ、爆風をまともに浴びて吹き飛ばされていただろう。
やがてつんざくような光と音と風の狂乱が治まったとき……。
“虎男” ×6
“人食い虎” ×6×3集団
魔法が使えないアッシュロードとドーラにとって、やっかい極まる “数の暴力” が、綺麗さっぱり消し飛んでいた。
「やっつけたわ――これでいい?」
硬直するふたりに向かって、ガブリエルが事もなげにいった。
三対の白い翼がたたまれ、その姿は華奢な少女のそれに戻っていた。
「それとも、もっと徹底的にやっつけた方がよかったかしら? でもあまり本気を出すのも可哀想だと思ったの」
唖然。
呆然。
愕然。
慄然。
アッシュロードとドーラは、鼓膜を苛む激しい耳鳴りすら遙か遠くに聞こえた。
「……つまり、あんたとしては……これでも手加減したっていうのかい?」
「ええ、とてもとてもしたわ――次からはもっと強くする?」
「「今よりずっと弱くしろ!」」
見事なユニゾンを叩きつけるふたりの古強者。
数が多いだけの雑魚相手に、いちいちエネルギー変換率が一〇〇パーセントに近い “対消滅魔法” をぶっ放されては、この岩山自体が崩れかねない。
「これよりも弱くするのは難しいわ。剣を貸してくれるのなら、それで殴ってみるけど」
「…… “滅消” の呪文は使えねえのか?」
「あれは害虫駆除の魔法よ? 除草剤にも使うけど――魔物に使ってもいいの?」
「……いいんだよ。あれも害虫・雑草みてえなもんだ」
「わかったわ。今度からそうしてあげる」
ニコニコと屈託なく微笑む “熾天使” を見てアッシュロードとドーラは、
『こいつはとんでもないお子様だ』
と、呆けるしかなかった。
悪辣極まる迷宮で難渋している今この時に、魔王に匹敵する強力な助っ人を得られたと望外の幸運を喜ぶべきか。
それとも、これ以上ないやっかいの種を抱え込んでしまったと、身の不運を呪うべきなのか。
判断が……つきかねた。
「さあ、探索をしましょう! 次はどうするの? 強襲&強奪 をするの?」
“お喋り” で覚えたばかりの言葉を、目を輝かせて使うガブリエル。
好奇心の溢れる無垢で無邪気な魂……。
こんな状況でなかったら、 擦れたふたりの探索者も微笑ましく思えただろうに……。
「いや、今の目的はこの広間から出ることだ。こっちから求めては戦わない」
「そう、それはよいことだと思うわ。だって戦いは自分の身を守るために行うものですもの」
三人はその場を離れ、大広間の東から二区画目の座標に移動した。
「ここから北上する。北端の内壁に付いたら今度は一区画ズラして南下――雑巾掛けだ」
そうやって、おそらくはこの広間のどこかにあるはずの転移地点、あるいは強制連結路を探す。
「糞みたいにクソな迷宮だが、ここが “真龍” の試練の場である以上、出口は必ずある」
ガブリエルはそんなアッシュロードの言葉を、新鮮な心持ちで聞いていた。
目の前の黒衣の男はイキんでいるわけでもなく、淡々と今の思いを口にしただけだが、熾天使はそこに確かな命の脈動――輝きを見て取った。
自分たちに比べれば、弱く、脆く、儚い種族。
それなのに人間は、時としてこのような目に見えぬ輝きを放つ。
どんなに強く美しくても、天使には決して持ち得ない煌めき。
弱いくせに強い。
みすぼらしいくせに美しい。
愚かなくせに優しい。
矛盾だらけのこの種族に、自分たちの長兄が希望を見いだしたのもわかる気がした。
完璧であるが故に不完全な、自分たちの希望を――。
人族と猫人と熾天使のパーティは、顔料で画布を塗りつぶすように、広大な地下空間に足跡を残していく。
暗黒回廊 の闇は天使の背光で払われ、先ほどの “対滅” の衝撃で逃げ散ってしまったのか、魔物と遭遇することもない。
あとは脱出路を見つけ出すだけである……。
「――待って」
殿を歩くガブリエルが、先を行くふたりを引き留めた。
「穽かい?」
ほぼ同時にドーラも気づいた。
「ええ、そうみたい。あなたのすぐ先の床、危ないわ」
「悪辣だねぇ」
ドーラの猫顔が歪んだ。
闇が払われているから、気づくことができた。
だが、臭いもなければ音もしない。
もちろん空気の揺らぎもだ。
くノ一自慢の鼻も耳も髭さえも、この罠を察知することはできないのだ。
この広間が常闇のままであったら、自分たちは大きなダメージを負っていただろう。
「よくやった」
「うふふ、あなたは面白い人間だもの。怪我をさせるのはもったいない」
「~そいつはどうも」
結局、落とし穴はこのひとつだけではなかった。
広間のあちこちに、九つあまりも点在していたのだ。
「本当にここは “試練の場” なのかい? あたしには完全に殺りにきてるようにしか思えないけどね」
「確かにな……暗黒回廊に、魔法封じの間に、この穽計の配置……迷い込んだが最後、天使の加護でもない限り生きて出られる場所じゃねえ…… 蛇め、難易度調整を間違ってやがる」
ドーラとアッシュロードが迷宮支配者の不手際を糾弾したとき、
「……アヴドゥルの匂いがするわ」
ガブリエルが周囲を見渡し、呟いた。
「……アブドゥル?」
「天使が “狂気のアヴドゥル” と呼んでいる、人にして人ならざる者よ」
「“狂気のアヴドゥル” ……随分とぶっそうな通り名じゃないか。何者なんだい?」
「人間の中には極希に、あなたたちが “神” と敬い畏れている存在に、わたしたち以上に接続できる個体が出現するの」
“神” とは、魔術師たちの間では高次元に存在する “宇宙的規模の集合意識” だと言われている。
その集合意識に接続して力を引き出す能力を、便宜上信仰心と呼んでいるのだとも。
もちろん表だっての見解でない。
そんなことを公言すれば、たちまち “カドルトス” や “ニルダニス” の寺院から猛烈な排撃を受けるのは、火を見るよりも明らかだ。
魔術師たちは、信仰を持つ者とその集団に対して常に慎重であり、臆病であった。
「わたしたちは、そういう個体を “預言者” と呼んでいるわ」
「……預言者」
「“狂気のアヴドゥル” は、そんな預言者たちの中でとても特異な存在なの。彼が接続したのは “神” ではなく、別の存在だったのよ」
「別の存在って、まさか “魔王” かい?」
引きつり気味に問い返したドーラに、ガブリエルは頭を振った。
「違うわ。彼が接続したのは “異星の住人” よ」
「……異星。異なる星? 違う星ってことかい?」
「そう。そしてアヴドゥルは、その “異星の住人” から知り得た様々な知識を一冊の本に著したの。“死霊秘法” という禁断の書物に。そして狂気に取り憑かれてしまった……ううん、違うわ。狂気に取り憑かれていたからこそ、あんな本が書けたのね」
ガブリエルの顔から表情が消える。
「可哀想なアヴドゥル。哀れなアヴドゥル。最もわたしたちに近い人間だったのに」
「……そのアヴドゥルってのは、もしかして浅黒い顔をした砂漠の民か?」
淡々と嘆く熾天使の横顔に、アッシュロードが思い付いたように訊ねた。
いや、文字どおり思い付いた。
「アッシュ、そいつはひょっとして三階に現れた」
「ああ、あの “親切そう” な男だ。俺たちを拠点まで送ってくれるっていったな」
この迷宮でアラブ系の名とくれば、真っ先に思い当たるのはあの男だ。
ライスライトたちの話によると、同じ人間と思われる男が四層にも現れたらしい。
迷宮に時折現れる怪人――人外。
「おそらくそうでしょう。世界蛇はあなたたちを助ける者として、彼を召喚したのだわ」
「……なるほど。おまえが現れなければ、あの男が “暗闇で迷った俺たち” の救い主になってたってわけか」
どうやら迷宮支配者は、一応の仕事はしていたようだ。
「久しぶりに会いたかったのに。でも仕方ないわね。アヴドゥルは天使が嫌いなの。無理強いはよくないわ」
穽と同じように “狂気のアヴドゥル” の気配は広間のあちこちに残っていて、残り香に気づくたびにガブリエルが懐かしそうな顔をした。
そして、いくつめかの気配の近くで、
「その先は別の場所につながっているわ」
ガブリエルが転移地点の存在を察知した。







