タイトロープ
群がりよってくる魔物を振り切り、からくも南の扉を越えたわたしたちを待ち受けていたのは、新たな玄室と、そこかしこに突き刺さった数え切れない立て札でした。
“兄弟よ、気をつけたまえよ”
“兄弟よ、気をつけたまえよ”
“兄弟よ、気をつけたまえよ”
“兄弟よ、気をつけたまえよ”
「これじゃ前回とまったく同じじゃない!」
林立する立て札から無言の嘲笑を浴びせられ、パーシャがブーツいらずの素足で地団駄を踏みました。
またしても危機を乗り越えようとして、より大きな危機に飛び込んでしまった! ――激した彼女からは、そんな自分たちへの強い憤りが噴き出しています。
レットさんが言った “繰り返している” も、同じ意味でしょう。
わたしもこの立て札の大群を見て、同様の思いに駆られました。
ですが――。
「――いえ、違います。同じではありません」
わたしはキッと、立て札を睨み付けました。
「わたしたちには前回の経験があります。わたしたちは前回のわたしたちではないのです」
地下迷宮、何するものぞ。
悪辣な罠、何するものぞ。
我らは灰降り積もる迷宮から生を拾う、探索者。
常闇から一筋の光明を見いだす、迷宮無頼漢なり。
「立て札の罠はまだ作動してはいません。思うにこの “警報” に似た罠は、近づくことによって作動するのではないでしょうか。そうであるなら罠の発動する範囲を正確に予測して、その外をすり抜けるのです。取り乱して乱暴に動いては立て札の思うつぼです」
“立て札の思うつぼ" ……とは我ながら変な表現だとは思いましたが、言わんとするところは皆に伝わったようです。
「なるほどな――確かにエバの言うとおりかもしれない。新手の出現に気をとられてつい罠の側で迎え撃ち、結果として次から次へと魔物を呼び寄せてしまうわけか」
「最初の確認から、罠が連鎖的に発動するようになっているのね。入り口から新手がどんどん現れれば、慌てて玄室の奥に逃げるに決まってるもの。そうして別の立て札を作動させてしまって……」
「好奇心が呼び水に――ってわけか。ったく、どんだけ性根がひん曲がってやがるんだ、こんなのを考える奴は」
「……むしろ人の心と行動を読んだ、見事な職人技だ」
「感心してる場合じゃないでしょ!」
嘆息するレットさんたちにパーシャが怒鳴ったとき、
――ドンッ、ドンッ、ドンッ!
背後の扉が激しく乱打されました。
「フェル! 扉はどれくらい持つ!?」
「あの数だと、そんなに長くは――」
「よし、立て札を作動させないように移動するぞ!」
「だが言うは易しだぞ! 俺にもまだこの罠の探知範囲はつかめちゃいねえ! だいたい、これだけの数だ! 死角なんてねえかもしれねえ!」
そもそも罠ってのは、本来そういうもんだろう! ――言葉には出しませんでしたが、ジグさんがそう言いたいのは明らかでした。
仕掛けた本人以外は解除も回避もできず、大切な財貨と宝を永久に守る仕掛け。
それが罠です。
「いえ、死角は――どの罠も作動しない範囲はあるはずです! この迷宮は、世界蛇が謁見を望む者にその資格を示させるための、いわば試験の場です! 回避不可能な罠は “真龍” の真意と合致しません!」
ここが古代王家の墳墓かなにかなら、ジグさんの言うとおりでしょう。
しかし違うのです。
この迷宮は違うのです。
「あたいがやる! あたいならできる!」
パーシャが決然と叫びました。
しかしその視線は、玄室の床に無数の矢のよう突き刺さった立て札に注がれたままです。
「できるって、いったいなにを――」
「いいから少し黙ってて!」
一喝してジグさんを黙らせると、パーシャは食い入るように立て札の群れを見つめ続けました。
おそらく今パーシャ頭の中では、視界を埋め尽くす全ての立て札の中心から半径nメートルの円が描かれているはずです。
そしてその円を徐々に小さくしていったとき、どこかにどの円弧も重ならない場所ができるはずなのです。
それこそがこの罠を仕掛けた者―― “真龍” が、わたしたちに求めている答えなのです。
ジグさんではありませんが、口で言うだけなら易しでしょう。
ですが、実際に道具を使った作図もせずに、頭の中だけですべての罠が作動しない隙間を見つけだすなど、常人にはおよそ不可能な作業です。
この玄室を一言で言い表すなら、”床が三分に、立て札が七分”
その立て札の位置を全て記憶するだけでも至難の業なのに、拡縮する円の面積まで付随するのですから。
しかし、わたしたちには不可能ではありません。
なぜなら、作業に当たっているのは常人ではないからです。
作業に当たっているのは、こと “迷宮での測量” に関しては、探索者随一の才能を発揮する天才地図係なのです。
「――見えた!」
パーシャが叫び、振り返りました。
「先頭に立つから、あたいが踏んだ場所だけを付いてきて! 身体もできるだけ縮こまらせて!」
愛剣 “ぶっ刺すもの” を抜き放つと、眦を決して立て札の群れに踏み出すパーシャ。
わたしたちもうなずき合い、彼女のあとに続きます。
パーシャが進むルートは、わたしたちにはガラスのロープ。
細くて、もろくて、落ちやすい。
そう、これは最も危険な遊戯――地下迷宮の綱渡り。
渡りきれるかどうかは、すべて運次第。







