神域★
アッシュロードとドーラは、“龍の文鎮” の第五層を北に向かっていた。
ふたりの古強者が “一の部屋” と “二の部屋” と呼ぶ玄室。
三層へ下る縄梯子と、一層へ直接通じる縄梯子が垂れているふたつの玄室は、わずか七区画の近さにあり、その周辺は前回の探索で調べがついている。
初見階層の手応えを知るため行ったハクスラと並行して、マッピングも完了させていた。
“一の部屋” “二の部屋” とも階層の最南端に位置しているのだが、付近一帯が次元連結によって最北と繋がっているため、ふたりはまず北に進むことにした。
探索者の多くは、験を担ぐ 。
“迷宮に足を踏み入れる時は必ず右足から” ――を頑なに守り通している熟練者もいる。
アッシュロードもそこまで極端ではないが、探索の際に “次元連結の先は後回しにする” 癖があった。
“南の南に北がある”
……というのは、何年迷宮探索者をやっていても据わりが悪く、落ち着かないのだ。
アッシュロードとドーラは、セオリーどおり先ずは 区域の外縁から埋めていった。
扉があれば座標だけを地図に記載して素通りし、一通り区域の形が浮かび上がったら、今度は内側を埋めていく。
やり方は探索者それぞれだったが、多く者がこの方法を採っていた。
この方法なら “際限なく迷宮が広がっていく空恐ろしさ” ――を、比較的感じ難いからである。
……とは言うものの、今のところ区域の外縁を縁取れるほどの長い回廊はなく、無数の小さな玄室が扉によって繋がっている構造が続いていた。
ふたりは扉を蹴破り蹴破り、高確率で出くわす玄室の占有者を打ち倒しながら、地図の空白を埋めていった。
「相変わらず歯応えはないけど、面倒だねぇ」
“悪の曲剣” に血振りをくれると、ドーラがたった今斬り倒した “死人使い” を見下ろして言った。
その数六体。
アッシュロードが呪文を封じた後、“滅消の指輪” を温存するために一体ずつ斬り殺したのである。
他にも同数の “ドワーフ戦士” の骸も転がっている。
最後列に隠れていた “武器を持った男たち” は、仲間が次々に斬り捨てられていく最中にすべて逃げ散っていた。
死体を物色し、目ぼしい物がないことを確認すると、ふたりは次の扉を開ける。
先ほどから、これの繰り返しだ。
だが――。
「おや、ちょっと様子が変ったかね」
「ああ、ようやく回廊に出たな」
ドーラがわずかに眉を上げ、アッシュロードも同意する。
扉の先は狭苦しい玄室ではなく、回廊と広間が合わさった複雑な形の空間で、そこかしこに扉が見える。
やはりふたりは、まず回廊を歩き地図の外縁を埋めていく。
「北と東と西――さて、どの扉から開けてみるね?」
回廊と広間を隅々まで調べ終わると、ドーラが訊ねた。
扉は彼らが抜けてきた南側の物を除いても、三つの方角それぞれに点在している。
「東からだ。外璧に一番近い」
区域の外縁を固めたら、今度は階層の外縁である。
「オセロやパズルは、端っこから置いていくのがセオリーだからな」
アッシュロードがこの世界には存在しない言葉を無意識に口走るのは、いつものことである。
ドーラはそれについて聞き返すような真似はせず、黙って一番近い東側の扉に近づいた。
慎重に危険が無いのを確認したうえで、静かに押し開く。
((――うっ!?))
次の瞬間、ふたりの古強者が声にならない呻きを上げた。
明かな空気の変化――そんな生易しいものではない。
手で触れられそうな、圧倒的な “邪気” が、扉の奥から溢れかえってきた。
鎧を身につけていなければ、猫人の身体は二回りは大きくなっていただろう。
実際、漆黒の鎖帷子や兜の奥で、彼女の毛は大きく逆立っていた。
血の臭いなどしないはずなのに、ドーラの鼻は確かに濃密な血臭を嗅ぎ取った。
そう錯覚した。
明敏な猫人の嗅覚を狂わすほどの、邪悪な空気。
「……なんだい、ここは?」
百戦錬磨のくノ一が、嫌悪感も露わに吐き捨てた。
そこは東西に延びる一×三区画の、玄室とも短い回廊とも言える空間だった。
ふたりの視線の先――階層の最東端。
本来なら岩の外璧がある場所に、壮麗な外構えの大門が聳えていた。
意匠その物は、カドルトス寺院の大正門に似ている。
だが、身に受ける空気は真逆だ。
カドルトス寺院には、そこに巣くっている因業坊主どもの俗物臭こそあれ、荘厳な神気が確かに宿っている。近づくほどに魂魄が粛然となる、厳粛で神聖な気配が確かに存在しているのだ。
しかし目の前の大門から噴きこぼれてくる、この禍々しい気配はいったいなんだというのだ。
これではまるで――。
「……さながら、邪神の神殿だな」
低く感情を感じさせない声で、アッシュロードが呟いた。
ドーラは知っている。
この男がこの声を漏らすときは、確実にヤバい時だということを。
「……どうするね?」
「……後回しが妥当だろうな」
目前の大門の先に何があるかは不明だが、これまでとは段違いの危険が待ち受けていることだけは確かだろう。
まず比較的危険度の低い場所を探索し尽し、その上で必要なら危険な場所に足を踏み入れるのが、迷宮探索の “いろはのい” だ。
例を挙げるなら、アッシュロードが “アレクサンデル・タグマン” の事件で遭難しかけた “紫衣の魔女の迷宮” の八階などは、危険度が高いだけで足を踏み入れる必要のない場所だといえる。
事実、迷宮攻略に必要のないあの階層を、現役最強の探索者集団 “緋色の矢” は未踏破のままだ。
この迷宮の攻略に必要がないなら、敢て踏み込むのは愚者の蛮勇だろう。
もっとも……。
「……あの先に “妖獣” どもの巣がないことを願おう」
アッシュロードたちの目的は迷宮の攻略ではなく、迷宮からの “妖獣” の 完全なる駆逐である。
この奥に “妖獣” の巣があるなら、彼らは危険を度外して踏み込まなければならなくなる。
「……そうさね、もっと楽そうな場所に巣があることを――」
ギイイイイイイッッッッッ!!!
ドーラが黒衣の相棒に賛同しかけたその時、耳障りな軋み音がして眼前の大門が開いた。
中から溢れ出してきた豪奢な僧衣をまとった一団が、アッシュロードたちに向かって間髪入れず祝詞を唱えだす。
戸惑いもなければ、躊躇もない。無論、慈悲など微塵も感じさせない。
神域を侵す者への燃え盛る憎悪と、徹底的な排除の思考。
“呪死” の加護が暴風雨のように、ふたりの熟練探索者に投げつけられようとしていた。







