後方兵站①
・汲水任務
「なるほどな――確かに二階と比べるとビックリするほど単純な造りだぜ」
縄梯子を登り切るなり出現した広大な空間に、ジグリッド・スタンフィードが納得顔で言葉を漏らした。
地図の上では理解していたが、実際に目にするとやはり違う。
「ほんと。のたくった蛇が絡み合ってるみたいな二階は大違い」
ジグの横で同意を示したのは、彼よりも “豪華な” 革鎧に身を包んだ少女である。
襟足で均一に切りそろえた髪に、くりくりとよく動く大きな瞳。
小柄で見るからに敏捷げであり、実際に彼女は腕利きの盗賊だった。
“緋色の矢” の女盗賊ミーナ。
その実力はジグを2レベルも上回っている。
「だけど梯子の周辺を出たら、一区画進むごとに後戻りできなくなるよ。すぐには還れなくなるから注意しな」
ドーラ・ドラが周囲に気を配りながらいった。
「地図は頭に入ってるな?」
「大丈夫――でも同じ一方通行の階層でも、“善” と “悪” でここまで趣が違うなんて」
アッシュロードの言葉に、同じ地図係であるヴァルレハが興味深げに頷いてみせた。
“善” の属性の者のみが、足を踏み入れることの出来る第二階層。
“悪” の属性の者のみが、探索を許される第三階層。
共に “一方通行” の罠がキモの階層だが、その様相は大きく異なっている。
第二階層は、無数の蛇が絡み合い一匹の大蛇になったような複雑な構造。
片や第三階層は、一見すると何もない広大な空間が一方通行の壁によって次々に区切られていく構造。
「まるで “善” と “悪” のように対照的ね」
「同じ人間でもな」
ヴァルレハの品の良い冗句に、アッシュロードが苦笑してみせる。
「……これだけ広いと確かに玄室は少ないだろう。ハクスラには向かない場所だ」
「だから却って好都合なのさね。“聖水” を汲みに来るたびに玄室を強行突破なんてしてられないからね」
魔法の戦斧を手に油断なく辺りを警戒していたカドモフの呟きに、ドーラが洒脱に答える。
現在 “龍の文鎮” の第三階層を探索しているのは、隊列順に、
①ドーラ(忍者):悪
②アッシュロード(君主):悪
③カドモフ(戦士):中立
④ジグ(盗賊):中立
⑤ヴァルレハ(魔術師):中立
⑥ミーナ(盗賊):中立
――の六人パーティである。
目的はドーラの言ったとおり “聖水” の汲水と、“中立” のメンバーに “悪” の階層の経験を積ませることにあった。
この階層の泉でのみ湧く “聖水” は、“小癒” の水薬の倍の効果があり、聖職者の数が限られている訪問団にとって必須の医薬品だ。
“湖岸拠点” で生活する人間は一〇〇〇人を超える。
供給を絶やすことは出来ない。
また “中立” の者は、普段はそれぞれ “善” のパーティに所属しており、この階層を訪れたことがない。
今後の状況次第では、彼・彼女らもこの階層を探索する必要に迫られるかもしれない。
実際 “聖水” の発見以降アッシュロードとドーラは汲水作業に追われ、“悪” の階層の探索が滞っていた。
“善” に比べて “悪” の探索者が少ないのが、訪問団の弱点なのだ。
迷宮から出るには、“真龍” から与えられた使命――迷宮からの “妖獣” の駆逐を――果たさなければならず、そのためには全階層を踏破しなければならない。
さりとて劣悪な環境での生活を余儀なくされている一〇〇〇人の訪問団に “聖水” は必要不可欠だ。
“中立” の探索者が “聖水” の汲水作業を肩代わりできれば、 問題の一端は解決する。
“善” のパーティは二組あり、拠点で待機している側が作業に当たれるはずだ。
「―― “悪” の聖職者が、トリニティ以外にいないってのは痛いな」
「小隊や分隊の軍医や衛生兵は引き抜けないの? “悪” の属性の人もいるんでしょ?」
「迷宮探索者としての経験がないのよ。却って足手まといになるわ」
ジグとミーナの会話に、ヴァルレハが頭を振った。
「でも傷の治療は “聖水” でどうにかなるとして、“毒” や “麻痺” になったら回復役がいないとお手上げだよ?」
「戦利品の “解毒薬” を優先的回すよう、トリニティに掛け合っておこう。麻痺については――」
アッシュロードはそこまで言って、頭をボリボリと掻いた。
彼にも名案が浮かばないらしい。
「ま、それについては後で知恵を出し合おうじゃないか。今日のところはアッシュがいる。問題はないさね」
そのドーラの気楽な言葉を最後に、急ごしらえのパーティは進発した。
階層全域を一通り巡り、“中立” のメンバーが構造を覚えたあと、汲める限りの “聖水” を水袋に詰めて、ヴァルレハの “転移” で帰還する――。
それが今日の彼らの計画だった。
◆◇◆
・口糧作り
イヒヒヒッ、
「ア~ン♪」
わたしはイヒヒヒッと悪戯っぽい笑みを浮かべて、パーティメンバーの洗濯物を畳んでくれていたアンに声を掛けました。
「はい、エバさま。なんでございましょう?」
二つ結びの三つ編みが揺れて、アンが振り返りました。
うっすらとソバカスの浮いた小作りな顔の可愛らしい女の子で、トリニティさんがわたしたち “フレンドシップ7” のためにつけてくれた専属の侍女さんです。
「ア~ン♪」
最初の『ア~ン♪』は彼女の名前。
次の『ア~ン♪』は、文字どおりの『ア~ン♪』です。
「?」
榛色の髪が再び揺れて、アンが小首を傾げます。
「ア~ン♪」
わたしはもう一度言い、今度は大きく口を開ける仕草もしました。
「ア、ア~ン」
戸惑いながらも、アンがア~ンと口を開けます。
「えいっ」
わたしはその可愛らしく開いた口の中に、つい先ほど出来たばかりのとっておきを放りこみました。
ええ、それはもうとっておきです。
「――!?」
びっくり仰天のアン。
「エバさま、これはもしかして!?」
「はい、乾し葡萄です。久しぶりですよね」
乾し葡萄は、この世界でも一般的な食べ物です。
安価で栄養価が高い上に保存も利くので、旅の糧食は打って付けと言えるでしょう。
「まだ残っていたのですね」
口の中に広がる凝縮された果糖の甘みに、アンの顔が幸せ色に染まっています。
「いえいえ、輜重隊の物資の方はとっくに底を突いていますよ。これは迷宮産です」
そう言うと、わたしもレーズンをひとつ口の中に放り込みます。
う、う~ん! まったく身震いするほどデリ~シャス――です!
「え? でも迷宮に葡萄なんて……」
キョトンとするアン。
当然です。
誰だって、そう思うでしょう。
地下迷宮(厳密には岩山の内部ですが)に、葡萄などあるわけがないと。
何を隠そう、わたし自身がそうでした。
実際に群がり寄られるまでは。
「ついてきてください、見せてあげますから。驚きますよ、間違いなく」
わたしは再びイヒヒヒッと悪戯っぽい笑みを浮かべて、アンを拠点北の作業場へと誘いました。
......To Be Continued







