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迷宮保険  作者: 井上啓二
第四章 岩山の龍
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饗宴

 宴はたけなわだった。

 拠点の中央に焚かれた大きめの篝火(かがりび)の周りでは、若い男女の歓声が次々に上がっている。

 慰労用に持ち込まれているアコーディオンその他の楽器で陽気な音楽が奏でられ、妻帯していない騎士や、彼らに仕える従士。輜重隊の兵士。使節に随行する文官。

 そういった若者たちが、普段は遠くから眺めているだけの女官や侍女(高値の花)を、この時とばかりにダンスに誘っている。

 無礼講と言うこともあり、上帝の直臣である女官はもとより主人のいる侍女たちも、ある者ははにかみながら、またある者は自信に充ちた表情で、誘いに応じている。


 宴の主役は篝火から適度に離れた快適な場所に座らされた、一組の年若の男女だった。

 ふたりの前には清潔なクロスが広げられた(テーブル)が置かれ、腰を下ろしている椅子も貴族が使うそれであり、決して粗末な品ではない。

 いずれも娘の主人から後見人へと立場を変えた、とある貴族が用意した物である。


 若者の名を、ヨシュア。

 娘の名を、エッダという。


 ヨシュアは、近衛騎士ロドアークに仕える従士。

 エッダは、“リーンガミル親善訪問団” の使節のひとり、オレシオン伯爵の侍女(メイド)である。

 ふたりは今回の “リーンガミル” への長い道中の最中に知り合い、恋に落ちた。

 エッダのお腹にはすでに子供がいて、互いの主人の許しを得て夫婦になることが決まっていた。

 正式な結婚はまだ先だが、今宵はその前祝いというわけだ。

 若いふたりの慶事に(かこつ)けて、この迷宮に召喚されて以来溜り続けている鬱屈を発散するのが大多数の人間の目的ではあったのだが、そこは主賓の(出しにされた)ふたりも理解していたので問題はないだろう。


 周囲には、殺人的に食欲を誘う香ばしい匂いが漂っている。

 嗅いだだけで口の中に唾が充満する匂いは、“緋色の矢” の面々が第四階層で仕留めた “コカトリス” を調理した匂いだ。

 本来は人間と同程度の大きさの魔物なのだが、ここでは餌が豊富なのだろうか、全長は五~六mほどもある。

 女戦士たちが “転移(テレポート)” の呪文を使って持ち帰ったのは二羽でしかなかったが、一〇〇〇人の人間が充分に舌鼓を打てる肉が取れた。

 もっとも口にした人間の多くが、食えば食うほど食欲が増してしまう至高の味に、『こりゃ拷問だ』と


 >_<


↑こんな顔になった。


 グレイ・アッシュロードは独り宴の喧噪から離れて座り、その光景を見つめいていた。

 視線の先では彼の所有物である少女が、幸せそうな顔で “極上の鶏肉” を頬張っている。

 今回の騒動の張本人して、悲劇に終わりかけた男女を結びつけた立役者は、恋人たちに懇願されてふたりの隣に座っていた。

 実際あの恋人たちにしてみれば、いくら感謝してもしたりないだろう――と、事の顛末を()()()()()()()()()()()()アッシュロードは思わざるを得ない。

 彼の奴隷がいなければ、最低でもひとつの――最悪で三つの命が失われていたかもしれないのだから。


 エバ・ライスライトは、力を示した。

 予期せぬ懐妊で冷静さを失ったエッダが過ちを犯すのをすんでの所で止めて、彼女を立ち直らせた。

 次にエッダと共に恋人ヨシュアの元を訪れ、状況を説明し、狼狽えた若者を叱咤し、エッダと共に生きる決意を固めさせた。

 さらにはトリニティ・レインに面会を申し込んで事情を話すと、ふたりの主人であるロドアークとオレシオンを本部の天幕に集めさせたのだ。


 アッシュロードが呼びつけられたのもこの時で、第三層での “聖水汲み” から帰還したばかりの彼がわけもわからぬまま出向いてみると、トリニティの天幕は一触即発の剣呑極まる空気が支配していた。

 彼は無表情に困惑しながらも、ひとまず主人として自分の奴隷の後ろに立ち、状況の把握に努めた。

 どうやらロドアークの従士が、オレシオンの侍女を孕ませたらしい。

 そして彼の奴隷がふたりの仲を認めさせようと、“犬猿の仲” の主人たちの間に立っているようだった。

 トリニティの手前、ロドアークとオレシオンは互いに剣に手こそ伸ばしてなかったが、切っ掛けさえあればすぐにでも抜剣・斬り合いが始まりそうな気配だった。

 そしてその気配に油を注いでいるのが、彼の奴隷だった。


 エバ・ライスライトは間に立つどころかまるで対立を煽るように、ニルダニスの聖女として、女神の名の下に激烈な調子でロドアークとオレシオンの()()を糾弾し、その狭量を(なじ)り、直ちにエッダとヨシュアの結婚を認めるように要求した。

 なにかが乗り移ったようなライスライトの豹変ぶりに、アッシュロードばかりかトリニティも戸惑った。


 片や “最愛の恋人を死に追いやった男”

 片や “最愛の娘の死の原因”


 互いに互いを仇と思い、この一〇年を生きてきた人間である。

 聖女とは言え、いきなり一五の小娘に――それも礼を失した尊大な態度で居丈高に迫られては、首を縦に振るわけがない。

 そもそもロドアーク、オレシオンともに、ニルダニスの信徒ではないのだ。

 女神の威を借りた強要など通じる訳がない。


 “ニルダニスなどオークに喰われてしまえ!”


 激発し、感情を爆発させたオレシオンがまず天幕を出て行き、ロドアークもそれに倣った。

 ヨシュアとエッダが泣きそうな顔で見つめる中、そしてアッシュロードとトリニティが困惑顔を浮かべる中、エバは言った。


“素直になるには、泣いて暴れて、疲れる果てるまで駄々を捏ねなければならないのです”


 それからしばらく時間を置いたのちに、少女はロドアークとオレシオンの天幕をそれぞれ訪れた。

 同行しかけたアッシュロードを、


“今はひとりで行かせてください”


 と押し留めたエバの微笑みは、いつもの彼女のものだった。

 そして少女はロドアークとオレシオンから、エッダとヨシュアの結婚の許しを取りつけて戻ってきたのである。

 アッシュロードには自分の所有物である少女が、ふたりの年嵩な男たち――特にオレシオン、天幕の中で泣き濡れていたであろう男――を、どう説き伏せたのかは分からない。

 ただ最後にかけたであろう言葉は、おぼろげにだが想像できた。


“もう許してあげましょう”


 きっとライスライトは、慈愛に満ちた表情でこういったのだ。

 それが誰に対する “許し” なのか。

 最愛の存在を失ってから、ずっと憎み続けてきた仇敵に対してか。

 それとも、悲劇の原因となった己自身か。


 オレシオンが過去の行いを悔いているのは、身寄りのない娘たちを引き取り、読み書きを教え礼儀作法を躾けて、嫁ぎ先まで探してやってることからも明らかだろう。

 ロドアークも、同様の悔恨を抱いて生きてきたに違いない。

 かつての悲劇を模したような今回の出来事は、ふたりの男にとって救いとなるはずだった。ふたりとも、心のどこかで待ち望んでいたはずなのである。


 だが一〇年という月日は、ふたりの男の心を頑なにさせるには充分すぎる年月(としつき)だった。

 自分を責め続け歪めてしまうには、余りある歳月(さいげつ)だった。

 時は傷を癒しもするが、必ずしもそれだけとは限らない。

 エバ・ライスライトは、そんな男たちの心を氷解させ、止まっていた時計の針を再び進めるようにしたのである。


 アッシュロードの視線の先で、ペロリと鶏肉を平らげた少女が猫人(フェルミス)の幼女や蛙や熊の動く(Living)彫像(Statue)と一緒に、奇天烈なダンスを披露して大いに喝采を浴びている。

 やさぐれた保険屋の目には、無邪気にはしゃぐ少女の年相応の姿が、いつになく眩しく映っていた。



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[良い点] >_< ↑こんな顔、美味しそうです [一言] 今回のエピソードは展開によっては読むのを敬遠することになりそうで、どうなるのかヒヤヒヤしていました。 お2人が無事に帰還して幸せに暮らせますよ…
[一言] 切っ掛けが欲しかったってことですか。 人を恨み続けるのも大変ですからね。 仲良くできるならそれに越したことはないですね。
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