エルフの少女
「せ、せめて三割増しにしてください」
やる気満々少々暴走気味のパーシャに、わたしが『あははは……』と怖々した笑みを浮かべたとき、
……ガチャン!
迷宮の固い岩盤に、何か重く硬い物が落ちる音が響きました。
驚いて振り向くと視線の先に、水晶玉から手を上げて、真っ青な顔で後ずさるフェルさんの姿がありました。
「フェルさん……?」
――ダッ!
フェルさんはわたしの問い掛けなど耳に入らなかったように、天幕の外に走り出してしまいました。
「フェルさん!」
なにがどうなったのか!
わたしも慌てて後追い掛けて――腕をパーシャにつかまれました。
「今は、あんただけは行かない方がいい」
「どうして……」
「…… “神癒” の加護だけ、授かれなかったんです」
申し訳なさそうに、ハンナさんが説明してくれました。
「……あ」
その言葉に、自分が如何に無神経だったか気づかされました。
こうなる可能性は、なきにしもあらずだったのです。
それなのに、あんな風にはしゃいでしまって……。
わたしは……本当に未熟者です。
「「――アッシュ」」
ドーラさんとトリニティさんが、同時にアッシュロードさんを見ました。
そして、
『『――んっ! んっ!』』
とフェルさんが駈け去った天幕の外に向かって、顎をしゃくります。
アッシュロードさんは『俺が!?』みたいな顔をしていましたが、わたしを含めた天幕内にいる全員から視線を向けられて、ようやくフェルさんを追い掛けました。
(これは……仕方がないです)
◆◇◆
天幕の外に立つ衛兵にフェリリルの走り去った方向を訊ねると、どうやら湖岸の方に向かったようだった。
拠点周辺は武装した近衛騎士の分隊が交代で警邏しているので、魔物に侵入されることはまずないが、それでも水打ち際には危険が潜んでいる。
アッシュロードは気持ちを切替え、最速で彼女の後を追った。
・
・
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少女の足元を、地底湖の水が濡らしていた。
顔をうつむかせ、唇を噛みしめ、拳を握りしめて、悔しさに身を震わせているエルフの少女。
目尻に浮かんだ涙が、今にも零れ落ちようとしている。
少女はただひたすらに、
(……泣いちゃ駄目! 絶対に泣いちゃ駄目! 絶対に泣くもんですか!)
と、意地を張っていた。
それは自身に対する意地か。
それとも常に自分の一歩先を行く、恋敵への意地か。
フェリリルは故郷の森に暮らす一族の中で、最年少のエルフだった。
子供の頃からチヤホヤされ、人間で言うところのお姫様、お嬢様のように育てられた。
生来が素直な性格だったため驕慢にはならなかったが、プライドは高くなった。
だから聖職者の道に進んだ。
信仰心の篤いエルフでは、それが一番尊ばれるのだ。
実際彼女には、優れた聖職者になれる素養があった。
しかし一族でもっとも年若な少女は、それだけでは満足できなかった。
(自分にはもっと特別なことができるはずだ。これだけ一族の大人たちから褒めそやされてきた自分が、一介の聖職者で終わるはずがない。終わっていいわけがない)
森という狭い世界しか知らない少女がそんな肥大化した自我を持ったのは、むしろ自然なことだろう。
そして少女は、聖職者が帰依する神から授かる “使命” を求めた。
“使命” は、困難であれば困難であるほどよい。
達成することができれば、それだけ自分をより特別な存在にしてくれる。
そんな重大な “使命” は、狭い森にいても授かるはずがない。
少女は大人たちが止めるのも聞かずに、森を飛び出した。
目的地は決まっていた。
噂だけは聞いていた、“紫衣の魔女の迷宮” があるという “狂君主トレバーンの城塞都市”
その迷宮でなら、女神 “ニルダニス” から大いなる使命を授かれるだろう。
よしんば授かれなかったとしても、迷宮を踏破し魔女の討滅すれば、同等の称賛が得られるはずだ。
共に迷宮に挑む仲間はすぐに見つかった。
皆人柄がよく、信頼できる者たちだった。
彼らの前では、少女は出来るだけ大人びた振る舞いを心掛けた。
常に一目置かれなければ、彼女のプライドが赦さない。
パーティの誰よりも世間知らずだったにも関わらず、少女は巧く演じてみせた。
リーダーになった少年戦士の、相談役のような立場にもなった。
彼女たちは、もっとも危険とされる “ビギナーズ期間” を乗り切り、探索者としての自分たちに手応えを感じた。
そして……痛烈なしっぺ返しを受けたのだった。
少女は迷宮に屍を晒し、仲間たちの手によって幸運にも蘇生することができた。
本心をいえば、すぐにでも森に逃げ帰りたかった。
迷宮はもう懲り懲りだった。
とても自分に務まるとは思えない。
しかし自分はパーティには不可欠な回復役だった。
何より……新たに仲間に加わった、もうひとりの僧侶の存在。
その僧侶は、自分たちパーティを全滅の危機から救った恩人であるだけでなく、なんと聖女の恩寵まで持つ転移者だという。
仲間たちが彼女の向ける信頼は絶大だった。
彼女は控えめで、人当たりがよく、一見すると弱々しくさえ見えるのに、危機に際しては信じられないほどの勇気と強さと気高さを示した。
エルフの少女のプライドが、森に逃げ帰ることを許さなかった。
ここで自分が抜けると言い出しても、仲間たちは残念に思いながらも快く送り出してくれるだろう。
あんな目に遭った後だからと、誰もが少女の判断に納得してくれただろう。
そんな風に思われるのは耐えられない。
自分は誰かにとって代わられるような存在ではない――あってはならない。
少女は踏みとどまり、結果またしても手酷いしっぺ返しを受けたのだった……粗野で大酒飲みの、やさぐれた人間の男を愛してしまうというしっぺ返しを。
さらには、よりにもよってその聖女も同じ男を愛していたのだ。
そして……エルフの少女は自分の中に常に熾り燻り続ける、冥い葛藤と戦い続けねばならなくなってしまった。
……羨望……羨望……羨望……。
……嫉妬……嫉妬……嫉妬……。
……劣等感……劣等感……劣等感……。
エルフの鋭敏な聴力が、近づいてくる足音を捉えた。
それは少女が今一番会いたくない、一番側にいてほしい男の跫音だった。







